<4月7日>
今日から再び、自分の日記とは別に、私の妹、ふぅちゃんの観察日記をつけることにしました。
あの日以来、ずっと書いていなかった日記帳。
奇しくもその日付は4月7日で止まっていました。
そして長い年月を経た今、ふぅちゃんは止まっていた時間を取り戻すように再び学校に通うことになりました。
明日はその入学式です。
どうか晴れますように。
そして、ふぅちゃんに友達がたくさんできますように。
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♪CLANNAD 10years after ~公子~
「おねぇちゃん、ユウスケさんと結婚してください」
目を覚ましたふぅちゃんが最初に言った言葉です。
数年前の春。
この町に光の雪が降ったあの日。
奇跡が起こったあの朝。
数年間、意識が戻らず病院のベッドで眠り続けていたふぅちゃんの容態に変化が起きました。
病院から連絡を受けて駆けつけた私と祐くんの目の前で、ふぅちゃんの意識が戻ったのです。
最初は見間違いかと思いました。
ふぅちゃんはゆっくりと目を開き、まだしっかりとは見えないであろうその瞳で、確かに私たちのほうを見たのです。
この日からふぅちゃんの……そして私の、止まっていた時間が再び動き出しました。
長い、長い眠りから覚めたふぅちゃんの言葉に後押しされ、私と祐くんは結婚を決意しました。
私が結婚するなんて……ふぅちゃんを置いてひとりだけ幸せになることだと思っていました。
でもふぅちゃんはずっと……眠っている間も私の幸せを願ってくれていたのです。
「結婚してください。おねぇちゃんの幸せが、風子の幸せですから」
私が幸せになれば、ふぅちゃんも幸せになれる。そしてふぅちゃんが幸せになれば、私も幸せ。これ以上の幸せはありません。
ずっと待ち続けていた長く苦しい日々が終わりを告げたことを、私は実感しました。
そしてその長い年月の間、私を支えてくれたのが祐くんでした。
私ひとりだったら、とっくに挫けてしまっていたかもしれません。
ずっとそばにいてくれた祐くん、私のために歌ってくれていた祐くん。
祐くんの歌に小さな勇気とたくさんの元気をもらいながら、私はここまで来ることができました。
そんな風に私が祐くんに支えられていたことを、ふぅちゃんはよく知っていました。
まるで眠っていたこれまでの数年間、ずっと私たちのそばにいたかのように。
私たちはこれまでの空白を埋めるようにいっぱい話し合い、ふぅちゃんがリハビリで歩けるようになったら結婚式を挙げることに決めました。
「風子、すぐにヒトデみたいに歩けるようになりますっ」
「それ、あんまり歩けてないよね」
そんなふぅちゃんとのやり取りが懐かしくて楽しくて……私の心に温かいものがじんわりと広がっていきました。
*
「おねぇちゃん、子供を作ってください」
結婚の日取りを決めた後、ふぅちゃんが次に言い出した言葉がこれでした。
その言葉を聞いた祐くんは椅子から滑り落ち、私も剥いていたリンゴを危うく落とすところでした。
どうして突然?とふぅちゃんに訊いてみます。
「おねぇちゃんはユウスケさんと結婚します」
「ふぅちゃんが元気になったらね」
「そうするとおねぇちゃんは幸せになれます。おねぇちゃんが幸せになると、風子も幸せです」
そう。ふぅちゃんのその言葉が私に結婚を決意させました。
「ですので、子供を作ってください」
? 途中まで理解できていたつもりなのに、最後の部分だけ理解できませんでした。
もう一度、訊いてみました。
「風子、幸せですから、おねぇちゃんは子供を作ってください」
余計にわからなくなってしまいました。
どうして突然、子供の話になるの?と訊いてみます。
「突然じゃありません。結婚の次は子供です。それが幸せです」
なんとなく言っていることの真意がわかってきたような気がするけど、少し急ぎすぎな気もします。
「私はふぅちゃんが元気になってくれるだけで幸せだから、ゆっくり幸せになっていこうね」
その場はそう諭しておきましたが、思い返せば婚約してからずっと祐くんを我慢させてしまっていたのではないか、と我ながら恥ずかしいことを考えてしまいました。
*
ふぅちゃんが目を覚ましてから数ヵ月後。
リハビリを順調に進めて歩けるようにまでなったふぅちゃんの外出許可を病院からもらい、私たちは結婚式を挙げることになりました。
式場は私と祐くんにとって思い出の場所。
あの坂の上の学校です。
今回、結婚式場を選ぶに至って、たくさんの人たちが力を貸してくれました。
渚ちゃんと岡崎さん、渚ちゃんや岡崎さんのお友達の方たち、早苗さんに秋生さん。乾先生や斉藤先生……そして幸村先生。
思えば渚ちゃんと岡崎さんには私の願い――もっとたくさんの人に祐くんの歌を聴いてもらいたいという願い――も叶えてもらいました。式場の話もおふたりが中心になって動いてくれていたようで、感謝してもしきれません。
結婚式当日。
その日は真っ青な空が広がる、とても素晴らしい日和でした。
私は歩き慣れた道のりを辿って、数年ぶりの学校へと向かいます。
歩き慣れたはずの道は、変わってしまった風景によって知らない道になっていました。
私たちがこの町を離れて数年。その間に町は変わっていたのです。
こうして周囲の風景に目を向ける余裕もなく、ただふぅちゃんの目覚めをずっと待ち続けていた私は、ふぅちゃんと一緒に自分の時間も止めてしまっていました。
浦島太郎のような気分で変わってしまった町並みを歩いていくと、そこには変わらない景色が広がっていました。
長い、長い坂道。
坂道を脇を彩る桜並木。
そのずっと先に小さく見える、思い出の学校。
見慣れた坂道を登り、懐かしくさえ感じる校門をくぐると、そこは変わらない風景と変わってしまった風景が混在していました。
私の知る旧校舎は新しく建て替えられ、私の知る新校舎は旧校舎と呼ばれるようになっていましたが、それ以外はすべてが思い出のままの景色です。
校舎を見上げると、窓に吊された垂れ幕が風になびいていました。
「ご成婚おめでとう」と達筆に書かれたその垂れ幕は、幸村先生が作ってくれたのだそうです。
私は祐くんが待っている校舎――今の旧校舎へと向かいました。
結婚式は私と祐くんが初めて出会った空き教室で行われました。
祐くんの歌を初めて聴いた思い出の場所です。
不安でいっぱいの新米教師だった私に小さな勇気をくれた歌。たくさんの元気をくれた歌……。
思い返すと、その頃から私は祐くんに支えられていた気がします。
幸村先生、乾先生、斉藤先生……かつて私が教鞭を執っていた頃にお世話になった人たち。
渚ちゃん、岡崎さん、渚ちゃんの腕の中ですやすやと眠っている汐ちゃん、早苗さん、秋生さん、相楽さん、親方さん、ジョニーさん……私や祐くんと縁によって出会い、時を共にした人たち。
そして私の……これからは祐くんにとっても大事な家族、ふぅちゃん……。
大好きな人たちに祝福されながら、私たちは永遠の愛を誓い合いました。
式を終え、教室を出て昇降口を抜けると、そこには信じられない風景が広がっていました。
「おめでとう!」
「お幸せに!」
たくさんの人たちが、口々に祝福の言葉を投げかけてくれます。
私の知らない人たち……それぞれ服装も異なる人たち……中にはこの学校の制服を着ている人たちもいました。
今の在校生は私たちのことはもちろん知らないはずでした。私がこの学校を――教師を辞めてから数年経っています。
それがこんなにも人が集まって、私たちを祝ってくれるなんて……。
今までに一度も見たことがないような……そんな幸せな風景の中、私は笑顔でみなさんにお礼を言いました。
「おめでとう、おねぇちゃん」
そしてその幸せな風景の最後に、ふぅちゃんが待っていました。
「いつまでも、いつまでも、幸せに」
こんな幸せな風景を、ふぅちゃんはずっと待ちこがれていたのかもしれません。
私たちの結婚式を祝うために、頑張ってリハビリを続けていたふぅちゃん。お医者さんも驚くほどのスピードで歩けるようになりました。姉思いの、自慢の妹です。
「ずっと、ずっと幸せに」
ふぅちゃんが私に木彫りのヒトデを手渡してくれました。
リハビリで手が動かせるようになってから懸命に彫っていたそのヒトデはとても上手にできています。
私は木彫りのヒトデを……ふぅちゃんの思いを胸に抱きながら、その思いに応えました。
「ありがとう」
この一言に万感の思いを込めて。
*
その後……私とふぅちゃんは、この町に帰ってきました。
ひとりでは広すぎるあの家……ひとりでは寂しすぎるあの家に。
私の大切な人――祐くんを新しい家族に迎えて。
ふぅちゃんを中心とした騒がしくも大切な日常が戻ってきました。
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<4月8日>
入学式の日。
その日は朝から突き抜けるような青空で、快晴と呼ぶにふさわしい天気でした。
ふぅちゃんは家に帰ってきてからずっと作り続けていた木彫りのヒトデを鞄にたくさん詰めて、学校に向かいます。
「それでは、いってきますっ」
「いってらっしゃい、ふぅちゃん」
私はふぅちゃんを見送ります。
私たち家族にとって幸せのかたち……私たちの新しい家族、愛ちゃんを抱いて。
――終わり。
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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!
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♪後書き
CLANNAD10周年記念SS第13弾、公子アフターでした。
『光見守る坂道で』の風子編が公子視点で書かれていたため、それを参考に試行錯誤しましたが、丁寧口調で一人称地の文を書くのが思った以上に難しかった。風子編みたいにギャグっぽくしようとも考えたけど、それだとどうやっても風子がメインになっちゃうんだよね。
その後の風子についてはCLANNATSUで書いて……る途中です。アフターストーリー後の世界を妄想するにおいて、これまで時系列を完璧には突き詰めずその場の思いつきで追加した話もあるため、どうも時系列に歪みが出てきた気がするけど……そこはまぁ、見逃してください。