門松としめ飾りで玄関を彩り、新年の朝を迎える。

幸い昨年も無病息災でいられ、無事に新しい年を迎えることができた。

昨月は師走と呼ぶには不相応な、のんびりとした年の末であった。

今の自分にとっては、それが嬉しくもあり寂しくもある。

教師という生き甲斐をなくして十年余り。

隠居生活を続けるわしは穏やかな日々を送っていた。

壮年期のような充足感を得られなくなって久しいが、年寄りの冷や水という言葉もある。

今さら老いさらばえた自分が出ていく場所などどこにもない。次の世代の若者に任せて、役目を終えた老兵は去りゆくのみだ。

台所へ戻ると、盆の上に置かれた急須に新しい茶葉を入れる。

息子が歳暮に贈ってくれたその茶葉は、さすがに茶作りの本場から取り寄せただけあって良い香りがする。

熱湯を入れた急須を傾けて、湯呑みに茶を注ぐ。

……茶柱が立っていた。

変わり映えのない余生だが、今年も良い年になりそうだ。

CLANNAD 10years after ~幸村~

縁側に腰を下ろし、湯呑みを片手に庭を眺める。

二年前まで、独り身には広すぎる庭だった。

だが今は……

「じいちゃーんっ!」

元気に庭を走る孫の姿があった。

「年賀状、来てるよ、ほら、こんなにいっぱい!」

「うむ……」

孫から年賀状の束を受け取る。

一番手前にある葉書の宛名には見覚えのある名前。その名を見れば今でも当時の姿を鮮明に思い出すことができる。

わしが生きてきた証はこの子たち……学校生活というひとつの人生を共にし、卒業を見届けた教え子の中にあった。そばにはいないが、こうしてわしのことを覚えてくれている。

もういつ逝ってもさほど未練はないが、教師という仕事を生き甲斐にしてきたわしにとって、役目を終えたからといってそれをいきなり取り上げられては、つまらなく思うこともあった。

わしが最後に勤めたあの坂の上の学校に通うことになった孫が親元を離れ家に来たことで寂しさを感じることはなくなった――なくなるどころか騒がしくなるほどだった――が、手のかからないこの子たちの前ではわしはただの祖父であって、教師としての役割はここにない。

「……俊坊」

竹刀を構え、素振りを始めていた孫に声をかける。

俊坊。

昔、自分が小さい頃に呼ばれていたその名を口にするのは、何やらくすぐったい気分だ。

「なあに?」

「美幸は……まだ寝とるのかの」

「たぶん。昨夜も遅くまで起きてたみたいだし」

「ふむ……起こしてきてくれるかの」

「うん、いいけど……あいつ、寝起き悪いからなぁ」

俊坊は竹刀を下ろして縁側に立てかけると、つっかけを脱いで家に上がり、妹の部屋に向かった。

その後ろ姿を見送ってから、束になった年賀状の輪ゴムを解いて老眼鏡を取り出す。

これまで重い病気を患うこともなく壮健であったわしだが、ここ数年で新聞や本の小さい字を読むことが困難になってきた。やはり寄る年波には勝てない。

老眼鏡をかけて葉書を一枚一枚めくっていくと、そこには懐かしい名前が並んでいた。

小さな会社の社長として忙しく働いている話、脱サラしてうどん屋を始めたという報告、教職に就いた子供の話、子供の巣立ちを機に再婚したという報告……仕事の話から家庭の話まで様々だ。

初孫です、と可愛い赤子の写真が添えられた葉書を見て目を細める。

わしと同じように孫を持つような年齢に達した者も多く、それでもわしのことを記憶に留めてくれていることを嬉しく思った。

そんな中、記憶に新しい人々からの便りもある。

「またいつでも家にお越しください。娘も喜びます」と綺麗な字。その横には、以前会った時の穏やかな印象とは大きく異なり子供のようにはしゃいでいる夫と、母に似て可愛い娘……家族三人、庭で楽しそうに遊ぶ姿が映された写真が飾られていた。

数年前の幸せな光景が目に浮かぶ。式の正装に身を包んだふたりは、とても美しかった。

次の一枚には「元代理妻です。また今度、娘に会いに来てください」と丁寧な字。「光子です」と書き添えられた写真も貼られていた。姉と同じようなことを書いてくるあたり、さすがは仲の良い姉妹だ。

妻としては未熟と姉たちにからかわれ、ふくれていた、子供は風の子を体現したようだったあの子も今や一児の母……時が経つのは早いものだ。

次の一枚には「先生が伝えてくれた音楽の素晴らしさを、今年もたくさんの人に伝えていきたいです。最寄りの際には、ぜひお立ち寄りください」と綺麗な字。その脇には今年の干支を象った可愛らしい手描きの絵が添えられていた。

この子はわしの教師生活最後の年に縁があった子のひとりで、残念ながら卒業まで見届けてやることはできなかったが、この子ならわしの後押しがなくとも最後までやり遂げていたであろうことは容易に想像がつく。

次の一枚には「結婚しました!」と相変わらずの汚い字。結婚の字が大きすぎて残りの文字が横から押し潰されたようになっていた。昨年初めに招待された結婚式を思い出し、自然と笑みがこぼれる。

葉書の端に並べられたふたりの名前、ふたりの字。「旧姓」などとわざわざ書かれているが、それだけ幸せなのだろう。その幸せな気持ちをわしに伝えたいのだろう。彼女のそんな提案に、あいつは言葉では反対しながら渋々といった様子を装って書き始める……そんな幸せな光景が目に浮かぶようだった。

そして最後の一枚は……先ほどのあいつと一緒にわしが見送った最後の教え子からだった。

「来月の最初の日曜日、一ノ瀬邸の庭園にて青空教室を開催する予定です。先生にはぜひ教師として再び教壇に立っていただきたく思います」と端正な字で書かれている。

その隣には「良いお返事をお待ちしています」と可愛らしい字で書き添えられていた。仲睦まじいふたりからの、思ってもみない提案だった。

突然の提案で人を動かすことにかけては右に出る者はいないだろう。それだけの行動力と、人を動かす何かがあるふたりだ。

それにしても妻の影響か、あいつも随分と遠慮深くなったものだと感心する。思い返せば、十数年前のあの日の出来事が目に浮かんできた。

「はい、幸村だがの」

『ジィさんか、俺だ。岡崎』

電話を取ったわしの耳に、懐かしい声が飛び込んでくる。

「……ふむ。卒業以来だの」

『元気か』

「まぁ……なんとかの」

『なら頼みがある。卒業式をやりたいんだ』

「一年前に、何かやり残したことでもあったかの」

『俺じゃない。いや……やり残したことだな、確かに。渚の……古河渚の卒業式をやりたいんだ』

その名前を聞いて合点が行く。わしが定年を迎え現役を退くにおいて唯一の心残り……わしが卒業まで見届けてやれなかった生徒の名前。

体調を崩して卒業式に参加できなかったその子のために、卒業式をしてやろうとこいつは言うのだ。それはわしにとっても、願ってもない提案だった。

『ジィさんには学校側の許可をもらうのと、式の進行役をしてもらいたい。どうせ今は隠居して暇だろ? 頼むよ』

「うむ……日取りはどうするかの」

『サンキュー!』

こうして皆が集まった卒業式の直後、ふたりは籍を入れ、正式に夫婦となった。

わしと同じようにあの学校で居場所を失くしていたふたりは、あの学校で出会い、共に歩み、学校を卒業してもその後の人生という長い道のりを共に歩むことになった。

わしにとっても、最後の教え子としていつまでも記憶に残っている。

そんな教え子たちの願いを断れようはずもない。

それに、再び教師として教壇に立つ……それがどんなに小さな授業だったとしても、わしにとっては願ってもないことだった。

まったくあいつらは……わしの心残りをことごとくなくしてくれる。

視界が揺れ、庭の景色が滲む。

どうも年を取ると涙腺が緩くなっていかんな。老眼鏡を外して目尻を押さえる。

「おはよう~、おじいちゃん」

あくびをかみ殺しながら、寝ぼけ眼の孫娘が姿を見せた。

「随分と遅いおはようだの」

「昨夜はずっと楽譜書いてて夜更かししちゃった。ごめんなさい」

ぺこりと可愛らしく頭を垂れてみせる。祖父馬鹿かもしれぬが、兄妹ともに素直な良い子だ。

「お兄ちゃん、私にも年賀状来てる?」

「みー宛ての年賀状はちゃぶ台の上だよ」

「うわぁ~、来てる来てるー。部のみんなからかな……あ、先生からも来てる。どうしよ、私からは出してないや」

「こらこらっ、そっちは僕宛てのだぞ」

賑やかに自分たち宛ての年賀状を机の上に広げる孫たち。

そんな微笑ましい風景を尻目にわしはゆっくりと立ち上がると、曲がった腰に手を当て歩き出す。

「じいちゃん、どこいくの?」

「少し……電話をの」

「じゃあその間に、今日は私が朝ご飯作るねっ。寝坊したお詫び」

「うむ……」

大仰に腕まくりをしてみせる美幸に頷いて返し、玄関に向かった。

玄関前に置かれた黒電話の受話器を手に取り、葉書に書かれた番号に電話をかける。

「もしもし……幸村だがの」

長い、長い旅の果て。

役目を終えたわしにとって、その日は最後の勤めとなろう。

冥土の土産話としてはもったいないくらい、素晴らしい思い出になりそうだった。

――終わり。

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後書き

CLANNAD10周年記念SS第22弾、幸村アフターでした。

独白を年配の人らしくするのに苦労しました。難解な言い回しはなかなかうまくいかないなぁ。

幸村の孫ふたりは剣道部で楓繋がりの男の子と、合唱部で仁科繋がりの女の子……仁科アフターに登場した合唱部員です。が、特に重要な人物じゃないのでさらっと書き流しました。

光坂幸村編での「もういつ逝っても"さほど"未練はない」という独白から、幸村先生は役目を終えておおむね満足しているがまったく未練がないわけではない、と想像を広げました。仕事馬鹿だったようだし、未練といえばこれじゃないかな。