この世界には何もなかった。

ここからは何も生まれず、何も死なない。

そんな閉ざされた世界。

ある時、時間の流れすら存在しないはずのこの世界に変化が現れる。

風の匂いが変わり、冬が訪れた。

雪が降り続け、世界のすべてを白く染めていった。

それは世界の終わりのようだった。

終わる世界の中を、ひとりの少女が歩いていた。

いや、少女はひとりではなかった。

その手を、一体のガラクタ人形と繋いでいた。その背を、たくさんの獣たちが押していた。

ひとりと、一体と、無数の影が、世界の果てに向かって進んでいた。

こうして彼女は世界の果てに辿りつき、そして……

世界は一度、終わりを告げた。

CLANNAD 10years after ~幻想世界~

世界が終わりを告げた後――時間の流れすら存在しないこの世界では、それがすぐ後なのか十日後なのか十年後なのか、それとも果てしなき時間の果てなのか、定かではない――、世界に再び変化が現れた。

終わってしまったはずの世界の果てから、無数の光が舞い上がっていた。

少女の思いが、ガラクタ人形の思いが、獣たちの思いが……

この世界に春を呼ぶ。

終わった世界に、はじまりの季節が訪れた。

***

三匹はずっと一緒だった。

常に寄り添って生きてきた三匹は"カゾク"だった。

その中の一匹が今、巣立ちを迎えようとしていた。

二匹に見送られて、一匹の獣が光差す大地を歩き始める。

果てなき旅路のはじまりだった。

∽∽∽

「いってきまーす!」

元気な声が春の青空に響く。

ひとりの少女が今、旅立ちを迎えていた。

「いってらっしゃい、しおちゃん」

「車に気をつけろよ」

「うんっ」

少女の身を案じつつも優しい眼差しで見送る両親の言葉に笑顔で頷いた少女は、その手に一番の宝物を抱えて歩き始めた。

「だんごっ、だんごっ」

自分が口ずさむ曲に合わせてスキップをしながら、少女は彼女にとって一番の宝物――自分が生まれた年に我が家へやってきたぬいぐるみ――と共に、この町の"たんけん"に出発した。

∽∽∽

長い、長い道のりを歩いた獣は、そこで初めて自分以外のモノに出会った。

それは自分と同じカタチをした二匹の獣だった。

ずっと三匹だけで暮らしてきた獣にとって、自分たち以外の存在がこの世界にいたことは驚きだった。

かつての自分たちのように二匹で寄り添うようにしていた相手側もそれは同じようで、一匹が一声鳴いて逃げるように走り出すと、もう一匹も同じように鳴き声をあげてそれを追うように離れていった。

自分と同じ存在がこの世界にいる。

それは獣にとって驚きであり、喜びだった。

もしかしたらこの世界には自分と同じカタチをしたモノがもっとたくさんいるのかもしれない。

いつしか獣は、自分と同じ存在を求めて再び歩き始めた。

∽∽∽

「あっきー、こんにちはっ」

「おぅ、汐か。よくきたな」

まず最初に、少女は通い慣れた祖父の家を訪れていた。

扉をくぐると店の中いっぱいに広がるパン屋特有の焼きたてのパンの匂いが少女は気に入っていた。

「今日はひとりでこれた」

「おっ、頑張ったじゃねぇか。今日は赤飯だな」

「せきはん?」

「今週の新作、赤飯パンだ。食うか?」

「いらない」

「へっ、相変わらず護身に長けてやがるぜ」

「なんの話ですか?」

「愛してるぜ早苗」

「わたしもですよ」

「さなえさん、こんにちは」

「こんにちは、汐。今日はだんご大家族と一緒ですね」

「うん、汐のたからもの」

少女はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。

「汐はだんご大家族が大好きですものね」

「あっきーとさなえさんのたからものは?」

「俺か? 俺の宝物はおまえとおまえのママと早苗だな」

「パパは?」

「あいつは俺の宝を奪っていきやがった盗人だ」

「わたしにとっても汐と汐のパパとママ、それに秋生さんが宝物ですよ」

「けっ、早苗がそう言うなら仕方ねぇ。あいつも宝物庫の隅にでも置いといてやるか」

「うーん……そうじゃなくって……」

少女はふたりの答えに納得していない様子で、抱きかかえていたぬいぐるみを両手で掲げてみせる。

「こういうの」

「ぬいぐるみですね」

「抽象的なもんじゃねぇってことか?」

「ならわたしは、秋生さんにもらった結婚指輪ですね」

「おう、ギャラ三ヶ月分のやつだな。愛してるぜ早苗」

「はいっ、わたしもですよ」

「よし、そういうことなら任せとけ。今からとっておきの宝を見せてやる」

そう言って奥の部屋に入っていった少女の祖父は、やがてその手に何かを持って戻ってきた。

「MG 1/100 MSN-06Sシャア専用ザク、秋生カスタムだッ!」

祖父は意気揚々と手の中のものを掲げてみせる。

「うーむ……何度見てもカッコイイぜ。特にツノの部分が痺れるな。どうだ汐、おまえも痺れるだろ?」

「うん、かっこいい」

「クソ親父と違ってこの良さがわかるか。さすがは俺の孫だ」

上機嫌の祖父は、ぐいっと脚のパーツを動かしてそばに置かれた球状の物体を蹴飛ばさせた。

「がっはっは! 見ろ汐、ボールなんざ一発で吹っ飛ばすこの威力。こんな細かいギミックもできるんだぜっ」

「それ、ボールじゃない。さなえさんのパン」

「わたしのパンは……わたしのパンはっ……」

「ぐあ……」

「蹴飛ばすものだったんですねーっ……!」

「俺は大好きだーーーーっ!」

いつものように店の外へと走り去っていく祖母と祖父の後ろ姿を見送ると、少女は店を出て"たんけん"を続けるべく再び歩き始めた。

∽∽∽

旅を続ける獣の後ろを、いつの間にか小さな獣がついてきていた。

体は小さいけれど、それは自分と同じ存在だった。

ソレは獣の後ろをぴったりとついてきていて、獣が立ち止まるとソレも立ち止まった。

獣は後ろを振り返り、一声鳴く。ソレも応えるように一声鳴いた。

やがて二匹は並んで歩いていた。

それは獣にとってカゾク以外で初めての"ナカマ"だった。

∽∽∽

「だんごっ、だんごっ」

「ヒトデっ、ヒトデっ」

"たんけん"を続ける少女の後ろを、何者かがついてきていた。

「?」

少女が背後を振り返ると、そこには誰もいない。

「だんごっ、だんごっ」

「ヒトデっ、ヒトデっ」

でもまた歩き出すと、声が聞こえる。

「?」

また振り返っても誰もいない。

「……」

少女は一計を案じて前を向く。

「だーーるーーまーーさーんーがころんだ」

「見つかってしまいましたっ」

振り返った少女の前に、長い髪の女の子がいた。

その手には星形の木彫りがある。少女の友達だった。

「ふぅちゃん、こんにちは」

「こんにちは汐ちゃん。どこか遊びにいくんですか」

「たんけんしてるの」

「探検ですかっ。風子の得意分野です。一緒にいっていいですか」

「うん」

「岡崎汐探検隊、出発ですっ! 洞窟に入りますかっ?」

「はいらない」

こうして少女は、友達と一緒に"たんけん"を続けることにした。

∽∽∽

道連れを伴って旅を続ける獣の前に、二匹の獣が現れた。

それらも以前見た獣たちのように、自分と同じカタチをしていた。

ただひとつ異なるのは、二匹とも左右非対称のツノを持っていたことだ。一匹は左の、もう一匹は右のツノが自分と異なる形状をしていた。

二匹の獣は"カゾク"のようで、二匹寄り添って暮らしているようだった。

その二匹に昔の自分の姿が重なって見えた獣は、今まで歩いてきた道を振り返る。

すぐ後ろにはナカマの獣がちょこんと立っていた。

獣はやがて前を向き、再び歩き始めた。ナカマの獣もそれに続く。

二匹の旅は、まだ始まったばかり……。

∽∽∽

友達と一緒に"たんけん"を続ける少女は、次に昨年まで通っていた幼稚園を訪れた。

「せんせい、こんにちはっ」

「あら、汐ちゃんじゃない。久しぶりね。小学校にはもう慣れたかしら?」

「うん、あたらしいともだちもできた」

「よかったわねぇ。その子も新しい友達?」

「いえ、風子は汐ちゃんの姉です」

「姉って……ああ、近所の子ね」

少女たちが先生と話していると、園内からもうひとり女性が現れる。

「お姉ちゃん、診察終わったよ。風邪引いてる子が何人かいるから、お薬用意しておくね」

「ありがと、椋」

「こんにちはっ」

「こんにちは、汐ちゃん。お元気でしたか?」

「うん、げんきいっぱい」

「それは良かったです」

ふたりの女性を見比べて、少女の友達が驚きの声をあげる。

「すごいですっ。この人、分身してます!」

「えっ?」

「いや、髪の長さがぜんぜん違うでしょ。先生たち双子なのよ」

「なるほど」

「それで、今日はどうしたの?」

「町のたんけんしてるの」

「岡崎汐探検隊です。風子は副隊長です」

「ふくたいちょうは、この子」

そう言って少女はぬいぐるみを掲げる。

「ショックですっ。だんご大家族に副隊長の座を奪われましたっ」

「相変わらず汐ちゃんはだんご大家族が好きねぇ」

「うん、汐のたからもの」

少女はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、祖父たちに尋ねた時と同じように問う。

「せんせいのたからものは、なに?」

「宝物? うーん……これかしら。ねぇ? 椋」

「うん、そうだね。私にとっても宝物だよ」

ふたりはそれぞれ自分の髪を装飾するレースのリボンをほどいて少女に見せる。

「わぁ……すごくきれい」

「風子のおリボンにも負けない輝きです」

「これは私たち姉妹が生まれた時に買ってもらったリボンなんです」

「よく見ると少し模様が違うでしょ? 両方とも藤の花なのよ。先生のが右巻きの野田藤、椋のが左巻きの山藤なの」

「ふじ?」

「いい香りのする綺麗なお花よ。今ちょうど咲く時期だから、山のほうへいってみたら見られるわよ」

「山まで結構遠いですけど、どうしますか? 汐隊長」

「いってみる」

少女は母の温もりが感じられるぬいぐるみを強く抱いて、決意を示す。

「ボタンを護衛につけてあげたいけど今あの仔、留守なのよねぇ」

「だいじょうぶ。ふたりでできる」

「そうです。汐ちゃんには風子がついてますっ」

「まぁ探険だもんね。でも車と、カラスと、目つきの悪い電気工には注意するのよ」

「わかりました。風子、注意深く周囲を索敵します」

「気をつけていってきてくださいね」

「うんっ!」

先生たちに見送られて、ふたりは幼稚園を後にした。

∽∽∽

旅を続ける二匹の獣は、雨宿りに立ち寄った洞穴で一匹の年老いた獣と出会った。

これまでに出会った獣と大きさこそ変わらないが、体毛は白というよりも黄土色に近いほど汚れ、ツノには目立つ傷がいくつもあった。

そして何よりも違ったのは、年老いたそれが、まったく鳴き声を発しなかったことだ。

なかった、と言うより、できなかった、と言うべきかもしれない。

二匹の獣が鳴き声をあげても、その年老いた獣はそれに応えることができなかった。

その夜、二匹は老獣と身を寄せ合って眠った。

声を交わすことはできなくとも同じカタチをしたもの同士、意思の疎通はできていた。

やがて長い夜が明け、朝が来る。

再び旅立ちの時が来た。

そしてそれは、老獣との別れが来たことを示していた。

体を擦りつけ合って別れを惜しんだ二匹は、老獣に背を向けて歩き始める。

その時、背後から、か細い鳴き声が聞こえてきた。

それは精いっぱいの別れの声だった。

二匹は一声鳴いて老獣の別れの声に応え、振り返ることなくその場を後にした。

∽∽∽

急に降り出した雨の中、傘を持っていなかった少女たちは歌の先生の家――音楽教室に立ち寄っていた。

「風子、もう少しで水も滴るいい女になるところでした。ありがとうございます」

「せんせい、ありがとう」

「おふたりとも濡れなくて良かったですね。お茶でも飲んで温まっていってください」

「うんっ」

「そうやって風子を和ませるつもりですね。受けて立ちます!」

リビングのふかふかのソファーに座って、ふたりは紅茶とお菓子で"たんけん"の疲れを癒した。

「大きなだんご大家族ですね」

「うん、汐のたからものなの」

少女は自慢げにぬいぐるみを掲げながら、今までと同じように質問する。

「せんせいのたからものは?」

「宝物……そうね、あれかな」

歌の先生は席を立ち、奥の部屋から古びたケースを持ってきた。

損傷が激しいその蓋をゆっくりと開くと、中にはケースと同じく傷んだ楽器が入っていた。

「ばいおりん?」

「ええ、私が小さい頃弾いていたヴァイオリンです」

「風子、初めて実物を見ました」

「汐も」

「そうですよね、普通は」

歌の先生は微笑みながらも、少し寂しそうだった。

「せんせいのばいおりん、きいてみたい」

「それは……」

少女の言葉に表情を曇らせた歌の先生は、その手に持ったヴァイオリンをじっと見つめる。

やがてふっと表情を緩めて、少女の言葉に答えた。

「なんででしょうね……この子も弾いてほしいって言ってるみたい」

「このバイオリン、しゃべるんですかっ、すごいですっ」

「そうじゃありませんよ。ただ、なんとなくそう思えただけ……」

彼女はヴァイオリンを手に立ち上がり、背筋を伸ばしてゆっくりと弓を構える。

それは輝いていた頃の彼女の姿と何ひとつ変わらない……音楽を愛する彼女の姿だった。

「昔のようには弾けないけれど……私の演奏、聴いてくれますか?」

「うんっ」

「もちろんです!」

彼女は目を閉じ呼吸を整えて、弓に弦をそっと当てる。

やがて目を開き、ゆっくり弓を引く。

音が鳴る。

音が連なる。

音が重なり、曲となる。

それは、いつか聞いた懐かしい曲。

少女が大好きな、母の歌。

世界にたったひとり残された女の子が、最後に歌った唄。

演奏に聞き入った少女は目を閉じる。

"ここ"とは違う景色の断片が、脳裏に浮かんできた。

それはどこかで見たことのある光景だった。

「すごいですっ」

「せんせい、すごくかっこいい」

演奏を終えて息をつく歌の先生に向けて、ふたりは大きな拍手を送る。

部屋の中に温かい日の光が差し込んできていた。

いつの間にか外の雨模様は大きく変わり、太陽と青空が姿を見せていた。

それは演奏を終えた彼女の心境を表しているようだった。

「ありがとうございます」

彼女は心からの笑顔で、少女たちの拍手に応えた。

∽∽∽

その後も二匹は果てしない旅を続けた。

何もない大地がどこまでも続いている。そう思われた。

いつからか、風の匂いが変わっていた。

暖かい春の風。

自然の息吹が、乾いた大地に恵みをもたらしていた。

そこは最果ての地。

かつて少女が願いを叶えた場所。

そして、一匹の獣の願いが叶う場所でもあった。

緑の大地に、たくさんの獣が群れを作っていた。

長い、長い旅の果て。

終わってしまったこの世界で、獣は希望を見つけた。

∽∽∽

その後もふたりはいろんな場所へ行った。

商店街、大きなトンネル、川辺の道、長い坂道……山沿いの道で藤の花も見た。

そしてふたりは長い"たんけん"の果てに、この場所に辿り着いた。

そこはふたりが初めて出会った場所だった。

「ここは風子が汐ちゃんと初めて遊んだ場所ですね。お気に入りの場所ですか」

「うん……たぶん」

「そうですか。じゃあ今日も風子と遊びましょう。風子のヒトデと汐ちゃんのだんご大家族、どっちが可愛いか勝負ですっ」

「うんっ!」

こうしてふたりは、一本の木を中心とした小さな場所であの日と同じように遊びに興じた。

「汐ちゃん、あれ見てくださいっ」

遊びの最中に友達が指差した先……空を少女は見上げる。

そこには七色の美しいアーチが描かれていた。

「虹です」

「にじ……」

「汐ちゃんは虹を見たのは初めてですか」

「うん……」

少女はその時、空に架かった虹の橋の向こうに違う光景を見た。

先ほど演奏を聴いた時に断片的に見たもの。

そこには緑の大地とたくさんの小さな獣たちと、舞い上がる無数の光があった。

それはとてもとても楽しい……

春の日の幻想世界だった。

――終わり。

-----

感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

---

後書き

CLANNAD10周年記念SS第18弾、幻想世界アフター(?)でした。

幻想世界については本編で明確に答えを示していないため例によって私的解釈なんですが、今回はビジュアルファンブックではっきりと答えが示された『幻想世界の獣』を主軸に書いてみました。それぞれの獣がどの人工物に当たるかわかるように書いたつもりです。

そして、にしなど恒例の仁科りえは主要人物論。今作ではりえちゃんのヴァイオリンが最も強く人の思いが込められた人工物だと想像していたのでこうなりました。光降る町での冒頭文も元々このSSの原型となるものに使うつもりだったんだよね。