ずっとずっと、渚のそばにいよう。

渚のそばで、ずっと笑っていよう。

そう誓ったあの日。

ただ自分の夢を追い続けていたわたしたちは、自分たちがまだ子供だったことを……家族としてあまりにも未熟だったことを思い知らされました。

過ちを二度と犯さぬよう、わたしたちは自分の夢を娘に……渚に託し、そのそばで家族としてずっと支えていこうと誓い合いました。

そんな誓いの日から、もうすぐ十年になります。

わたしと秋生さんは今も渚のそばにいます。

あの日以来、体が弱くなってしまった渚でしたが、わたしたちの前では元気に笑顔を見せてくれています。

この町でパン屋さんとして再出発してから、いろんなことがありました。

パン屋を始めたばかりの頃は失敗ばかりしていたわたしですが、十年という長くて楽しい日々の積み重ねによって経験を積み、技術を学び、アイデアを磨き、パン職人として大きく成長したような気がします。

CLANNAD 10years after ~早苗~

「わたしのパンはっ……古河パンのお荷物だったんですねーっ……!」

「俺は大好きだーーーーっ!」

泣き虫なわたしは今日も秋生さんに泣かされて店を飛び出します。

やっぱりわたしはまだまだパン屋さんとして未熟でした。

もともとわたしの希望で始めたパン屋だったのですが、それまで一度もパンを焼いたことがなかった秋生さんのほうがみるみる上達していって、今では店のほとんどのパンを秋生さんひとりで焼くようになってしまいました。

わたしが不甲斐ないばっかりに秋生さんの仕事を増やしてしまって、とても申し訳なく思います。

家計の支えとして副業で学習塾を始めましたが、結局それは渚に託したはずの自分の夢に未練があるだけなのかもしれません。

わたしはパン屋さんです。

渚と秋生さんとわたし……三人でいられるために始めた、わたしたちの新しい夢です。

たとえほとんどのパンを秋生さんに焼いてもらっていたとしても、わたしの新しい夢だけは譲れません。

しばらく町の中を泣きながら走り続けた後、公園のブランコに座って落ち込んでいたわたしでしたが、改めてそう決意を固めて再び立ち上がりました。

そこでわたしは、古河パン開店十周年記念パンを作ろうと思い立ちました。

日々、新しいパンの開発には余年がないわたしですが、今回はその成果を総動員させて秋生さんや渚、お客さんをびっくりさせるようなパンを作りたいと思います。

題材は決まっていたので、それからは毎日、材料と作り方の研究に日々を費やしました。

「こんにちは」

「ああ古河さん、いらっしゃい!」

二週間後。

わたしは楽市通りにある行きつけのお店を訪れました。

料理やパン作りの材料を調達するのによく利用させてもらっているお店です。

「奥さん、例のブツ、入ってますぜ」

「本当ですかっ?」

以前頼んでいたものが入荷していたようで、十周年記念パンの完成にまた一歩近づけた喜びに思わず顔が綻びます。

「今朝届いたばかりさ。産地直送だぜ」

「わぁ……」

店の奥から店主が持ってきたものに思わず感嘆の声が漏れてしまいました。それほどの輝きを持ったものです。

きらきらと光るそれを丁寧に梱包してもらい、代金を支払って受け取りました。

「毎度っ!」

「わざわざ取り寄せていただきまして……ありがとうございます」

「なーに、大した手間じゃないさ。料理に使うのかい?」

「いいえ、パンに使います」

「…………えっ」

わたしはお店を出る前に宣伝をしておくことにしました。

「古河パンは今年で十周年を迎えます。ぜひ買いに来てくださいねっ」

「あ、ああ……時間が空いたら寄らせてもらうよ、うん」

上機嫌でお店を出ると、さっそく家に持ち帰ってパン作りの準備を整えました。

次の日。

わたしは早朝から厨房で十周年記念パン作りに励んでいました。

そして数回の試行錯誤の末、ついにその時が訪れたのです。

「……」

滲む汗を拭いながら無言でオーブンを覗き込み続けること数十分。

焼き上がりを告げる音と同時に、わたしはオーブンを開きました。

トレイをオーブンから取り出すと、焼き上がりのパン特有のいい匂いが鼻腔をくすぐります。

仕上げに、焼き上がったパンに軽く塩を振って完成です。

「できましたっ!」

「ついに完成しちまったか……」

「はいっ。古河パン開店十周年記念パン、完成ですっ」

パン生地をこねていた秋生さんに向けてトレイを掲げてみせます。

「じゃあ試食だな。覚悟はできてるぜ、いつでも来い」

「秋生さんはリビングで待っていてくれますか? わたしが持っていきますので」

「ああ……」

秋生さんは真面目な顔のまま、厨房を出ていきました。

普段からそんな顔でわたしのスカートをめくってきたりする秋生さんなので、何を考えているのかわたしにはわかりません。

「おはようございます、お母さん」

「おはようございます、渚」

トレイを持ってリビングに入ると、ちょうど起きてきたらしい渚が秋生さんと待っていました。

「記念のパンが完成したんです。渚も見てくれますか?」

「あ、はい」

「ここはこれから戦場になるから逃げろっつったのに……」

秋生さんは顔を背けて何かぶつぶつ言っています。

「古河パン開店十周年記念パン、名付けて……」

少しもったいぶってみます。

「……渚パンですっ!」

ばーんと十周年記念パンの載ったトレイを掲げてみせました。

「ウナギパンだとぉ! 土用の丑にゃまだ早いんじゃねぇか?」

「違います。渚パン、古河渚パンです」

「え? わたしですか?」

わたしたちの夢……渚。

渚のそばにいるために始めたパン屋さんの、十周年にふさわしいパンです。

「形は渚の大好きなだんご大家族を象ってみました」

「わぁ……だんご大家族です。お母さんとっても上手です」

「確かに今回は見た目からやべぇ代物じゃねぇようだな。問題は中身だが……」

秋生さんの言葉に泣きそうになりましたが、ぐっと堪えて説明を続けます。

「風味は、渚の名前に由来するものです」

「わたしの名前ですか?」

わたしは渚に、自分の名前の由来を話して聞かせました。

秋生さんとふたりで考えた『渚』という名前。

たとえ古くて小さな河の流れだったとしても、少しずつ少しずつ進んでいけば、いつかは渚へ……大きな海へと辿り着くことができる。

そんな思いを込めた名前の通り、渚はこれまで小さくても少しずつ一歩を積み重ねてここまで大きくなりました。

あの日からずっと、渚の成長を家族としてそばで見守ってこれたことを嬉しく思います。

「どうぞ、食べてみてくださいっ」

「わかった。まずは俺が毒――じゃねぇ、味見をする」

「待ってください、お父さん」

神妙な顔つきでトレイを手に取った秋生さんを、渚が制止しました。

「お母さんがわたしのために作ってくれたパンです。わたしが食べます」

「渚……」

最愛の娘のそんな言葉に目頭が熱くなってきます。

「それでは……食べます」

渚は真剣な表情でトレイの上のパンを手に取りました。

「渚、ヤバくなったらすぐにお父さんに渡すんだぞ」

「いえ、大丈夫です」

渚は、ぎゅっと目を閉じてパンを一口食べました。

自分が焼いたパンを食べてもらえる瞬間というものは、何度経験しても緊張します。

「……おいしいです」

「なにぃ!? そんな馬鹿なっ!」

渚の言葉がそんなに意外だったのか、秋生さんは驚きながらトレイの上のパンを手に取り、口に入れました。

「う……」

途端、秋生さんの動きが止まります。

以前このように動きが止まった時は、急に「ぐぉぉーーーーっ!」と大声で叫びながら走っていってしまいました。

今回もそうなってしまうのではないかと不安になりながら秋生さんを見守っていると、急にくわっと目を見開きました。

「うーーまーーいーーぞぉーーーーーーっ!」

そして、天井に向かって口から光を発射するみたいに大声で叫びました。

今回はちょっと違うみたいです。

「なんだこりゃ夢か? 早苗のパンがうまいなんて信じられねぇ……一体このパンにどんな秘密が?」

待っていました!とばかりに、わたしはアイデアを披露します。

「おいしさの秘密は……産地直送、伯方の塩ですっ」

「産地直送!」

「伯方の塩!」

「お母さんすごいですっ」

「ああ。よくわからんが、とにかくすごい自信だぜ早苗っ!」

感心するふたりを前に、わたしはトレイの上に載せられたパンを手に取ってふたつに割り、中身を見せました。

「パンの中に入っているのは天然の岩塩です。まるごと入れてみましたっ」

「わぁ、きらきらしてて綺麗です」

「なんてこったっ! でかすぎだろ!とか塩分多すぎだろ!とか普通溶けるだろ!なんて野暮なこたぁ言わねぇ。早苗、おまえのパンは最高だっ!」

秋生さんはトレイの上のパンを次々と食べながら喜んでくれました。

渚も控えめながらも喜んで食べてくれています。

「いやっほーーぅ! 早苗のパン最高ーーーっ!」

「お母さんのパン、最高ですっ」

「ありがとうございますっ!」

この十年間、諦めないで頑張り続けて良かった。

パン屋さんになって、本当に良かった……。

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「……」

目を開くと、そこは見慣れた天井。

いつの間にか眠ってしまっていたようです。

昨日、楽市通りの行きつけのお店で十周年記念パンの材料を入手してからずっと厨房に籠もって準備をしていたため、少し疲れが出たのかもしれません。

さあ、今日も頑張ってパンを作りましょう!

わたしは気持ちを切り替え、顔を洗って着替えを済ませると張り切って厨房に向かいました。

今日は古河パン十周年記念の特製パン……渚パンがいよいよ完成します。

秋生さんや渚の喜ぶ顔が目に浮かぶようでした。

「わたしのパンはっ……やっぱり古河パンのお荷物だったんですねーっ……!」

「俺は大好きだーーーーっ!」

――終わり。

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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

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後書き

CLANNAD10周年記念SS第14弾、早苗アフターでした。秋生と同じく時系列はビフォアーだけど。

不思議なことに早苗さんは自分のパンの味について自覚がないようなので、その早苗さんの一人称はとても難しかったです。早苗さんらしさが少しでも出てたらいいな。

結果、なっちゃんの時と同じ無自覚の夢オチになっちゃいましたが、渚は夢と同じような反応するんじゃないかと思ってる。おいしいとか最高!とかはさすがに言わないけど。