授業が始まっても、春原は黒板も見ないでずっとうんうん唸っていた。杏から逃げる手段でも考えているのだろう。
休み時間、部室で演劇の練習をする古河の様子を見に行って、授業が始まる直前に戻ってきても同じ姿勢で唸っている。
「唸るならトイレ行ってこいよ」
「……」
無反応。
こりゃ重症だな。放っておこう。
その後も春原はトイレにも行かずに唸り続けていたが……
土曜最後の一時間。その授業中。
「ああーーっ!」
頬杖をついたまま窓の外をぼんやりと眺めていると、いきなり隣の席で大声があがる。
普段からよく奇声を発する奴だったが、授業中に発するのは久しぶりだ。以前は確か……突然CMソングを歌い出したんだったな。
「こら、そこっ! うるさいぞ」
「あ、すんません」
結局は教師に注意されて黙り込む。
俺は特に気にかけることもなく窓の外に視線を戻すと、長く退屈な一時間をそのままの姿勢で過ごした。
「おい、岡崎っ」
授業が終わると同時に、春原が話しかけてくる。
「珍しいな、授業中に癇癪起こすなんて。どうかしたのか?」
「癇癪じゃねぇよっ。つーか珍しいってなんだよっ! 癇癪なんて一度も起こしたことねぇよ!」
ツッコミを入れながら、徐々に目の前まで身を乗り出してくる。
「思い出したんだよっ!」
「1000年前、封印された頃の記憶をか?」
「そんな記憶ねぇよ!」
すぐ近くまで顔を寄せてくる。俺は椅子ごと後ろに下がった。
「真面目に聞けよっ。きょう来るんだろっ?」
「そりゃ、杏は来るだろ……。逃げるんじゃなかったのか?」
「藤林杏のことじゃねぇよっ。土曜の夕方、こっちに来るって言ってただろ、おまえっ」
「誰が来るんだよ」
「僕の妹だよっ」
「んなこと俺が知るかよ」
「おまえが決めたんだろっ! って、このやり取り、前にもしたぞっ」
「ああ、そうだっけか……」
「くそ~、どうしたらいいんだよっ」
包帯が巻かれた頭を抱えて、その場に座り込む。
春原の妹か……。俺はこれまでも何度か想像した春原の妹の姿を思い浮かべてみる。
……。
「よし、おまえの妹をパーティーに入れよう」
「唐突ですよね」
「おまえたち兄妹が揃えば、ダンジョン探索も楽になるだろうからな」
「ん……まぁね。芽衣の奴も、僕と同じく結構なんでもこなせるからね。確かにいい案かもねっ」
「これでもうダンジョン内でどんな妖怪に遭遇しても安心だな。敵のほうが逃げ出すだろ」
「……」
立ち上がると、再び目の前に身を乗り出してくる。
「てめぇなぁ……妹の顔見て吠え面かくなよ……」
「そんなに怖いのか」
「そういう意味じゃねぇよっ!」
#11「来訪者」
「つーわけだ芽衣、冒険しようぜ!」
「何言ってるの」
一蹴されていた。
「……」
目の前には見慣れない制服姿の女の子が立っている。まさかこの子が、あの封印されし春原の妹だとでも言うのだろうか。
「ケェーーーッ!」
「わっ、何?」
俺の挨拶に驚いた女の子が一歩下がる。
「おまえのほうこそ、癇癪起こすなよ」
「いや、おまえの挨拶を真似しただけだが」
「そんな挨拶したことねぇよっ」
女の子は大きめのバッグを両手で持ち直して、春原のほうを向いた。
「おにいちゃんの友達?」
「ああ……」
「違う」
「否定すんなよっ!」
女の子が今度は俺のほうを向く。
「おにいちゃんの友達じゃないなら、どうして一緒にいるんですか?」
「ああ……俺、こいつの通訳なんだ」
「通訳?」
「こいつ、まだ人間語は片言しか話せないからな」
「あのな……」
「そうなんですか」
「おまえも乗るなよっ!」
結構ノリがいい子のようだ。
「冗談だってば。でも、なまりは出るでしょ?」
「出ねぇよ……」
「わけのわからんことをよく口走るじゃないか。それがおまえの村のなまりじゃないのか?」
「村じゃないし。それ、なまりとぜんぜん関係ないだろっ」
女の子が周囲を見渡す。
「でも、ここは都会ですよね。いいなぁ」
「いや、ここも田舎だぞ」
「いえ。わたしの学校、山に囲まれてるし……村って言われても仕方ないですよ。こっちのほうが断然都会です」
「そんなもんかねぇ……」
「あっ、自己紹介がまだでしたね。はじめまして、春原芽衣です。兄がいつもお世話になっております」
女の子は礼儀正しく挨拶すると、ぺこりと頭を下げた。
「あ、ああ……俺は岡崎朋也」
いきなりだったので面食らってしまう。
「どうだ、岡崎。おまえの想像が間違ってるってわかっただろ?」
「ああ……」
空を見上げて目を細める。
「遅いな……おまえの妹」
「てめぇはさっきまで誰と話してたんだよっ! つーか空からなんて来ねぇよ!」
「そうなのか……」
アスファルトで覆われた地面を見下ろす。
「地面からも来ねぇよ!」
「じゃあどうやって来るんだよ」
「もう来てるんですけど……。つーか春原芽衣、って自己紹介してましたよねぇ……」
「マジかよ……」
目の前に立っている女の子をもう一度じっと見つめる。どこからどう見ても普通の女の子だ。羽根もない。
まさか本当にこの子が春原の妹だったとは……。
「さすがおにいちゃんのお友達、ヘンな人ですね」
……。
風子にヘンな人と言われ、智代にもヘンな人の烙印を押され、そして今……
春原の妹にまでヘンな人って言われた……
……ヘンな人って言われた……
…………言われた…………
………………言われた………………
「ありゃ、初対面なのに失礼なこと言っちゃいましたか。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる。
こんな常識的な子が春原の妹……?
いや、待て。ダメ兄貴によくできた妹……考えてみたらよくあるパターンなんじゃないか? しかも実は血が繋がっていなかったり……。
……。
「芽衣ちゃん、俺の義理の妹になってくれ」
「はい?」
「あんたのほうこそ、わけわかんねぇこと口走ってるよっ!」
「それよりもおにいちゃん……」
「なんだ、妹よ」
「おまえが返事するなよ!」
あはは……と曖昧な苦笑いで俺の返事を軽く流すと、芽衣ちゃんは春原の頭を指差す。
「どうしたの? その包帯。まさか、また喧嘩でもしたんじゃあ……」
「ああ、これね……」
春原が頭の包帯に手を当てる。
「これは……名誉の負傷ってやつさ……」
「次は名誉の戦死だな」
「死なねぇよ!」
「杏に見つかったら戦死どころか灰にされるぞ」
「付き合ってるあんたもね。だから急いでるんじゃん。いちいち茶々入れないでくれますかねぇ……」
春原は芽衣ちゃんが持っているバッグをひったくるように奪い取って、自分の肩に掛ける。
「とにかく話はあとだ。いくぞ、芽衣」
「えっ? どこに?」
「学校だよ」
「勝手に学校入っちゃっていいの?」
「大丈夫だって」
「先に荷物を置いておきたかったんだけどなぁ」
***
芽衣ちゃんを連れて、長い坂を登る。
夕方にはまだ少し早い時間帯。ほとんどの生徒は帰ってしまって、部活はまだ終わっていないという中途半端な時間だ。土曜ということもあって、周囲に生徒の姿はなかった。
誰ともすれ違うことなく旧校舎に入ると、一番奥にある資料室の扉を開ける。
「いらっしゃいませー。今日は遅かったですね」
中に入ると、さっそく宮沢が笑顔で迎えてくれる。
同時に、本棚の向こうから数人の女生徒の声が耳に入ってきた。
「……ふぅちゃん、ですか?」
「はい、おねぇちゃんはそう呼びます」
「ふぅちゃん、可愛いです。わたしもふぅちゃん、とお呼びしていいですか」
「はい」
どうやら古河と風子が来ているようだ。
古河は演劇部員募集のビラは書けただろうか。
「わ、私もっ……」
もうひとり、女生徒の声がする。
この声は智代か。そういえば昨日、一度は資料室に顔を出すと言っていたな。
「私も、ふぅちゃんと呼んでいいかっ?」
少しの沈黙。
きょろきょろと物珍しそうに室内を見回している芽衣ちゃんを残して本棚の向こう側に顔を出すと、俺たちに背を向けた古河と智代が風子と向かい合っていた。
「……はい」
「ああ……ダメだ……可愛すぎる……」
智代に抱きつかれて風子は顔を赤くする。
「あの……それよりも、これを受け取ってください」
「あ、ああ……そうだったな」
「クマの人、どうぞ」
「私は坂上智代だ……。でも、うん、ありがとう」
智代は抱擁している手を離すと、風子が差し出す木彫りのヒトデを受け取った。
「俺もふぅちゃんと呼んでいいか?」
「ダメです」
「即答かよ……」
顔を出した俺と春原に気づいて、背を向けていた古河と智代が振り返る。
「こんにちは、岡崎さん、春原さん」
「なんだ、おまえたちも来てたのか。これは女の子同士のコミュニケーションというか、そういうやつだ。男の子のおまえが呼んでも似合わないぞ」
「似合わないどころか気色悪いですっ」
ひどい言われようだった。
風子はぷいと俺から顔を背けると、智代のほうに向き直って話を続ける。
「あの……それで、ですね……」
「ああ、お姉さんの結婚式だったな。喜んで祝福させてもらうぞ」
「ありがとうございますっ」
「うん、姉思いのいい子だな、ふぅちゃんは」
笑顔の智代が風子の頭に軽く手を載せる。風子は緊張して身を硬くしていたが、智代が優しく撫で続けているとやがて緊張も解け、くすぐったそうに目を細めた。
「そういや、僕にもくれるって言ってたよね、それ」
先ほど智代に手渡されたヒトデを指差しながら、春原が口を挟む。
「あ、はい。ちゃんと作ってきてます」
風子は懐に手を突っ込んでごそごそと手探りすると、木彫りのヒトデをもうひとつ取り出した。
「髪の色がヘンな人、どうぞ」
「相変わらず失礼な子だねぇ。ま、いいや」
「ヒトデシールド」を手に入れた!
「……おまえ、何やってんの?」
「掲げてるんだよ」
「だから、なんでだよ……」
「アイテムを入手したら、両手で頭上に掲げるのがお約束なのさっ」
「何のお約束だ……」
「そのお約束……風子もありだと思います」
「でしょ?」
なぜか意気投合する春原と風子。頭痛がしてきた。
「風子も掲げますっ」
一体いくつ持ち歩いているのか、風子は懐から木彫りのヒトデをさらにもうひとつ取り出すと、春原の真似をして勢いよく両手で頭上に掲げる。
「…………」
間もなく風子は、またしても別世界へと旅立ってしまった。
「ふぅちゃん、すごく和んでます」
「ああ、可愛いな。私も和んでしまいそうだ……」
何があったのか知らないが、俺たちがいない間に智代の風子に対する好感度が跳ね上がっている気がする。
さて……どこかに置いてくるのもやり尽くしたし、鼻からジュースを飲ませるのはもう飽きたな……。
何かないかと部屋を見回していると、窓際の棚にもたれかかるように置かれているクマの着ぐるみがあった。昨日、智代がここに持ち込んだものだ。それにしても、こんな目につくところに置いていたら死体みたいで不気味だな。
俺はクマの頭部を引っこ抜くと、風子が掲げているヒトデの彫り物とすり替えた。
「……よし」
「何やってるんだ、おまえは」
「ぼーっとする癖を直してやろうと思ってな」
「岡崎さん、昨日もしてましたけど……本当にこれがふぅちゃんのためになるんでしょうか」
「……ん……んん……」
訝しげに俺の行動を見ていた智代たちと話していると、風子が呻き声をあげる。
木彫りより重いクマの頭をずっと持ち上げていたため、腕が疲れてきたのだろう。上体が揺れ始めた。
「はっ」
そして、いつもよりかなり早く別世界から帰還した。
「風子、ヒトデを手に入れました」
「そりゃよかったな。重要アイテムだから大事にしまっとけよ」
「言われなくても大事にしまくりです」
両手を下ろして、クマの頭をぎゅっと胸に抱く。
「って、クマですーーっ!」
ようやく気づいた風子がクマの頭を投げ出す。
放り出されたクマの頭は空中をくるくると回転しながら落下して……
かぽっ、といい音を立てて、前後ろ逆さまで風子の頭に被さってしまった。
「んーっ! 何も見えないですっ!」
短い手足をばたばたさせて暴れる。
「わーっ!」
風子はそのまま直進すると、どんっ!と頭から壁に激突して倒れ込んだ。
やべ……やりすぎた。
「あーあ。ひでぇ奴だな」
「ふぅちゃん、大丈夫ですかっ」
古河と智代が駆け寄る。
智代が風子を抱え上げて、逆さまに風子の頭部を覆っていたクマの頭を引っこ抜いた。
目を開けた風子が、智代の顔を見て安堵の息を吐く。それを見た智代と古河も、ほっと息をついた。
風子は顔を出した俺のほうを向いて、いつも通り報告するように口を開く。
「風子、ヒトデを手に入れたら、クマに食べられてしまいました」
「そりゃ難儀だな」
「可愛いヒトデが欲しくなる気持ちはわかりますが、それを持つ風子まで丸飲みしてしまうのはいかがなものでしょうか」
おまえのヒトデは食用なのか。
「そのまま消化されてしまうかと思いましたが、風子は無事、狩人の人に助けられました」
「意味、かぶってるからな」
「クマの人は、本当は狩人の人だったんですね……ありがとうございます」
「だから……私は坂上智代だ。クマでも狩人でもない」
「どうでもいいけど、坂上って発音しにくい名前だよな」
「本当にどうでもいいことだな……」
アホな騒ぎがおさまったところで……って俺のせいか。
「あのぉ……そろそろわたしも話に参加していいですか?」
完全に蚊帳の外にいた芽衣ちゃんが、遠慮がちに本棚の陰から顔を出した。
「あ、わりぃ。すっかり忘れてた」
「ひどいなぁ。おにいちゃんが無理矢理連れてきたのに……」
「みなさん、立ち話もなんですから、どうぞ座ってくださいね~」
この騒ぎの中で人数分のコーヒーを淹れて机の上に並べていた宮沢が、いつもの笑顔でそう締めくくった。
*
「はじめまして。わたし、春原芽衣っていいます。兄がいつもお世話になっております」
全員が席について一息つくと、芽衣ちゃんが自己紹介を始める。
「はじめまして、古河渚です」
「坂上智代だ。よろしく。兄と違って礼儀正しい子だな」
「ひぃふひぃふうふぉふぇふ」
ひとり、何を言っているのかわからない。
「ふぅちゃん、食べながら話したら行儀悪いです」
「ふぉふ」
古河に注意された風子はこくんと頷くと、今度は黙々と茶菓子を食べ始めた。
そっちかよっ。
「わたしは宮沢有紀寧です。よろしくお願いしますね」
「綺麗な女の人ばかりですね。岡崎さんのお友達ですか?」
「僕ともお友達だよっ」
「……」
「嫌そうな顔すんなよっ!」
春原にツッコまれて智代は引きつった笑顔を浮かべた。芽衣ちゃんの手前、本音を口にするわけにはいかないのだろう。
「あんたもだよっ」
俺もか。ちなみに風子は黙って茶菓子を食べ続けている。
「みんな、苦楽を共にした冒険仲間さっ」
「ふぅん……。よくわかんないけど、元気にやってるみたいだね」
芽衣ちゃんは春原の顔をじっと見ながら、表情を緩めた。
「よし。芽衣を加えて、これで六人パーティーだ。いざ、ダンジョンへっ!」
「ああ、昨日も言ったが、私は無理だ」
「ええぇーーっ!」
「ここは居心地が良くて困るな……。時間が経つのも忘れて長居してしまった。ではまたな」
智代は長い髪を揺らして立ち上がると、風子にもらったヒトデを手に資料室を出ていってしまった。
すがるように手を伸ばしていた春原だったが、やがてがっくりと頭を垂れる。
「おにいちゃん、用が済んだんなら寮に案内してほしいんだけど」
「どうすんだよ。今日はやめとくか?」
「いや……こうなりゃ昨日の怖い人に最後の望みを賭けよう。体育倉庫で待ってるかもしれないし、行ってみようぜ」
あのオッサンか……確かに古河がパーティーにいるのだから来る可能性は高いが……。
「いってらっしゃいませー。がんばってくださいね」
宮沢に見送られて、芽衣ちゃんを加えた五人で体育倉庫に向かう。こんな状況になっても宮沢をパーティーに入れようとしないのは、春原の冒険者としてのポリシーらしい。よくわからん。
例によって新メンバーの芽衣ちゃんには何も説明していないため、ずっと頭に疑問符を浮かべたままだった。
旧校舎を出ると、すでに周囲は夕日の赤に染まっていた。
グラウンドには、ラグビー部と陸上部の姿が見える。幸いどちらも体育倉庫から離れた場所で練習していた。
「よし、急ごうぜ」
急かす春原を先頭に体育倉庫へと向かう。
体育倉庫の目の前まで来たところで、急に春原が立ち止まった。
「おい、突然止まるな。早く行けよ」
「……」
返事がない。
とてつもなく恐ろしい者の気配がする……ここにとどまっていては危険だ。
本能がそう警告していたが……怖いもの見たさか、それとも選択肢を間違えたのか……恐る恐る春原の肩越しに覗き込んでしまう。
そこには……昨日の怖い人ではなく、今日の怖い人が待ち構えていた。
「遅かったわね……あんたたち……。待ってたわよ……」
- 現在のパーティーメンバー
-
- 岡崎朋也
- 春原陽平
- 古河渚
- 伊吹風子
- 春原芽衣