♪CLANNATSU
土日の休みを挟んで週明けの月曜日。今日からいよいよ本格的に高校生活が始まる。
と言っても、まだ授業はない。朝からクラブの説明会があるらしく、私たち1年生は体育館に集まっていた。
「伊吹さんは部活入るの?」
例によって最前列の特等席に座った私は、同じく私の隣に座っている伊吹さんに話しかける。
「……クリケット」
「え?」
「いえ、野球でした」
「マネージャー?」
「プロ野球選手を目指します」
「女子野球部なんてこの学校にあるのかなぁ。というか伊吹さん、野球したことあるの?」
「失礼です。風子、野球したことありまくり……のような気がします」
「何その曖昧な返事!?」
私自身、女子にしては野球をしているほうだと思う。最初はあいつがやってるのを見てただけだったけど。
あれは確か……ダムの近くにある広いグラウンド。そこに近所の子供たちを集めたアッキーが、チームメイト(?)の人たちと一緒に野球を教えてくれたことがあった。私たちがまだ小学生の頃……そのグラウンドに続く川沿いの道が今みたいにアスファルトに覆われていなかった頃のことだ。
古河野球教室、とか言ってたっけ。懐かしいな。その時、私に野球を教えてくれたのも女の人だった気がする。
「磯野さんは部活に入るんですか」
伊吹さんの声で過去から引き戻される。と同時にツッコむ。
「たまに間違えられるけど、私は磯貝ね」
「すみません。噛みました」
「いや、その噛み方はありえないでしょ……」
部活か……。
私は中学の時はいわゆる帰宅部というやつで、部活に入っていなかった。やりたいことがなかったわけじゃないけど……。
「私は……まだ決めてないかな、部活」
「そうですか」
私の中学には存在しなかったあのクラブが……渚お姉ちゃんがこの学校での一番の思い出だと言っていたあのクラブが……果たして今もこの学校にあるのだろうか?
☆☆☆☆二度目の、もう一度
「やっぱり、もう演劇部はなくなっちゃったんだ……」
一通り説明会が終わったところで、思わず独り言が漏れる。
演劇部は、渚お姉ちゃんが入っていたクラブだ。
この学校の学祭……創立者祭の日。小学生の頃、お母さんに連れられてこの学校に来た私は、お姉ちゃんの劇を見た。
お姉ちゃんは最初ずっと黙っていた。やがて、涙を流して泣き出した。小さかった私には、それが本当に泣いているように見えて、悲しくて……もらい泣きのように自分も泣いてしまった。
そして私が泣きやんだ時、お姉ちゃんは泣いていなかった。まっすぐに前を見据えて、胸に手を当て語り始めていた。
女の子と人形……ふたりの、冬の日の物語を。
それは感動だったのかもしれない。
渚お姉ちゃんの演劇は、幼い私にとって強く印象に残るものだった。
でもその次の年、私はお姉ちゃんの演劇を見ることができなかった。後で聞いた話だと、その年に演劇部はもうなくなってしまっていたらしい。
「演劇部……」
伊吹さんが私の言葉に反応して考え込んでいた。
「どうかした?」
「思い出しました! 風子、演劇部に入りますっ」
「え? さっきはプロ野球選手になるとか言ってなかった?」
「ほんのサプライズジョークです」
「悪いけど意味わかんない。それに、演劇部はこの学校にないんだってば」
「いえ、あったはずです」
間髪入れずに断言する。どうしてこの子が知ってるんだろう。
「昔はあったんだけどね……廃部になっちゃったんだと思う」
「なくなったのなら、また新しく始めればいいです」
「え……」
伊吹さんがあっさりと言った言葉……それは私に、渚お姉ちゃんから聞いた話を思い出させた。
お姉ちゃんがこの学校にいた頃、演劇部は今みたいに廃部になっていたらしい。演劇部の再建を目指したお姉ちゃんを、今の旦那さん……岡崎さん(あいつと同じ字だけど、おかさきじゃなくて『おかざき』と読む)が手伝ってくれた。共に困難を乗り越えるうちに、やがてふたりの間には愛が芽生えた――。
なんて運命的なんだろう。私もそんな素敵な恋がしたい。
そんなふうに憧れは持っていても自分から行動しなかった私とは違い、伊吹さんはもっと明確な意志を持って渚お姉ちゃんと同じ道を歩もうとしているように感じられた。
そして今、気づいた。私が伊吹さんに親近感を持ったのは、どこか自分に似ているところがあるからというだけではなく、伊吹さんが渚お姉ちゃんに似ているからなんだ、と。
「演劇、好きなんだ……」
「いえ、まったく知りません。見たこともないです」
ずるーっと椅子から滑り落ちる。
「ちょ、ちょっとぉ~。私の感動はなんだったの?」
「とにかく風子は演劇部に入らないといけません。それが、この学校で風子がやり残したことのひとつだったような気がします」
両手をぐっと握って熱弁している。言ってることの意味はさっぱりわからないが、その熱意だけは私にも伝わってきた。
「新しく演劇部を作るって言っても、どうすればいいか知ってるの?」
「知りません。どうすればいいですか」
「いや、私に聞かれても困るんだけど……」
渚お姉ちゃんと同じ道は……前途多難だった。
***
「よし、これでホームルームは終わりにする。この後は部活見学で自由行動となるが、最後にもう一度ホームルームがあるから勝手に帰るんじゃないぞ。各クラブの詳細などは先週配ったプリントを見るように。では解散」
クラブ説明会、ロングホームルームが終わり、部活見学の時間となった。
この学校は特に部活動に力を入れているらしく、推薦で遠くから入学してくる生徒も少なくない。現にうちのクラスにも、隣の県や東北のほうからスポーツ推薦で来たと自己紹介で言っていた子が何人かいた。
「なっちゃーん!」
不意に私の不快感を煽る声が斜め後ろから聞こえてくる。しかもクラス中に聞こえるほどの大声だ。私をこのあだ名で呼ぶ奴はひとりしかいない。
学校ではそう呼ぶなと口をすっぱくして言ったのに(その後、本当にすっぱかったけど)、やっぱりわかっていなかった。
「……何かご用?」
「なっちゃんは部活どうすんの?」
努めて冷たく接しても、まったく意に介さない様子で言葉を続ける。
「たっちゃんが文化部の見学に行くみたいだからさ、俺も行ってみようと思うんだけど」
「いってらっしゃい」
「いや、なっちゃんも一緒に行かない?」
文化部か……。伊吹さんが本気で演劇部を作るというのなら、見学しておいて損はないはずだ。
椅子を引いて後ろを向く。
「伊吹さんはどうする?」
「風子は演劇部の見学に行こうと思います」
「いや、演劇部はもうないんだってば」
「それでは、演劇部の部室を探したいと思います」
「廃部になったクラブの部室をいつまでも残してるとは思えないけど……」
「では演劇部を作る旅に出ます」
「旅!?」
相変わらずの突拍子っぷりに、話がなかなか進まない。
「ぶっきーも俺たちと一緒にどう?」
隣から、単刀直入なセリフ。
「いえ、風子は演劇部を作らないといけませんので。では……」
伊吹さんは頭の上に手をくいっとやってから、私たちに背を向けて教室を出ていった。
なんだろ、今の変なポーズ。旅とか言ってたし、三度笠でもかぶってるのかな。相変わらず、とらえどころのない子だなあ。
「しょうがない。じゃあふたりでいくか」
「ちょ、ちょっとっ、私はまだオッケーしてないってば」
「いいからいいから」
結局、また押し切られる形で一緒に行くことになってしまった。うぅ……なんで私、こんなに弱々なんだろ。
*
「悪い、たっちゃん。ちょっと遅くなった」
「あなたが遅れるのはいつものことですからね。問題ありませんよ」
メガネのツルをくいっと持ち上げるいつものポーズ。この一見真面目そうに見える男子は、私たちの幼なじみ「たっちゃん」こと、立己(たつみ)くん。
あの古河塾で一緒になって以来の友達で、隣のこいつとは特に仲が良い。性格は正反対のふたりだけど、だからこそウマが合うのだろう。
私とは主に好奇心方面で気が合うようで、「悪戯コンビ」という不名誉なあだ名で呼ばれていたこともある。学校では非常ベルのボタンを押したり、立ち入り禁止の屋上や非常階段に出たり、冬のプールに張った氷をホウキの持ち手側で突いて割ったりもした。
もちろんそれらはすべて先生に見つかって怒られた。立己くんは「悪戯ではなく知的探究心である」と主張してはばからなかったが、私にはそこまで開き直れる度胸はなく、結果として職員室に呼び出されるはめに。そして呼び出した私たちを叱る先生に「なっちゃんがぴんち」とか言って横から蹴りを入れるのが、隣のこいつ。結局は三人揃って叱られるのが常だった。
早苗先生同様、立己くんも私たちふたりをセットで認識しているので、私がいることについては特に言及せずに話を始める。
「僕はまず天文部に行ってみようと思っているのですが」
「天文部かぁ……そういや昔、すげぇ望遠鏡欲しくなった時があってさ、親にねだったんだけど却下されたんだよね」
「あ、それ……私も覚えてる」
あの、不思議な光景を目にした日のことだ。雪のようにいっぱい空から降ってきた光る星みたいな何かを。
そもそもこいつが望遠鏡を欲しがったのって、私があの星をもう一度見たいって言ったから……だったんだよね……。
「人は生まれた時から空へ……宇宙へ向けて無意識に手を伸ばすものですから。未知の世界に対する憧憬というものは、誰もが本能的に持っているのかもしれませんね」
「まーたたっちゃんは難しい言い方をする。なんでもいいじゃん、男のロマンってことでさ」
私は女だけど、その気持ちはなんとなくわかる。プラネタリウムに入った時の高揚感といったものに近いかもしれない。
「ところで、夏海さんはどの部に興味があるんですか?」
「私? うーん、どの部って言ってもねぇ……こいつがしつこいから着いてきただけだし」
「ははっ、なんだかんだ文句言いながらも着いてきてくれるなっちゃんが好きさっ」
まったくもってその通りなので、なんか悔しい。
「夏海さんはともかく、中学の時は野球部だったあなたが文化部に興味を持つとは意外でしたよ」
「いや、だってさ……運動部だとなっちゃん入らないじゃん」
「そりゃまあね。運動は嫌いじゃないけど、クラブに入ってまで運動したいとは思わないし」
というか朝が苦手なので朝練のある運動部は嫌、というのが本音だ。
「練習試合の時なっちゃんに応援してもらえたし、運動部も悪くなかったけどね」
「あっ、あれは……ちょうど学校に用があったから……ついでよ、ついで。うん、ついで!」
「また重ねてきたなあ。なっちゃんってさ……やっぱりツンデレ?」
「ツンデレ言うなっ」
「そういえば夏海さん、わざわざ隣町の学校まで試合を見に来ていたこともありましたね。一体なんの用があったのやら」
「うっ……」
「相変わらず夏海さんは言い訳が下手ですねぇ」
「わーっ! わーっ!」
立己くんが痛いところをチクチクとつっついてくるので、大声を出してごまかしておく。
「まあ、野球はやっぱり遊びでやってるのが一番楽しいからさ。それになんと言っても、高校ではなっちゃんと同じクラブに入りたいんだ!」
途中まではいい話だったのに、唐突にどうでもいい本音が出てきた。そこまでして零距離でいられても、私は嬉しくないんだけどなぁ。
なので、ちょっと意地悪言ってみる。
「それで私がクラブに入らなかったらどうする?」
「じゃあ俺も入らない。帰宅部の奥義を極めるぜ! 帰宅部奥義……『不意打ち最高』ーッ!」
やだなあ、それ。ていうか、不意打ちならいつもやってるでしょ。
「ところで夏海さん、そちらの方は?」
「えっ?」
立己くんに言われて後ろを向くと、目の前に伊吹さんが立っていた。
「わあっ! 伊吹さん、なんでここに?」
伊吹さんが頭の上に手をやる。あ、三度笠を脱いだのか。
「ぶっちゃけますと、道に迷いました」
「えぇー」
ぶっちゃけすぎだ。
「演劇部の部室はどこですか」
「演劇部を作る旅に出たんじゃなかったの!? なんで部室探してんのっ」
「そうでした! 風子、演劇部を作るんでしたっ」
なんか頭痛がしてきた。
「夏海さんのご友人ですか」
「うん、同じクラスの友達」
「オレオレ、俺とも友達」
「敵です」
「なんで!?」
うーん、やっぱり伊吹さんのこいつに対する印象はまだまだ悪いみたいだ。
「紹介するね。こっちが――」
「あのっ」
伊吹さんに立己くんを紹介しようとしたところで、懐をごそごそと手探りしていた伊吹さんが前に出て立己くんに声をかける。
「はい、なんでしょう」
「これを受け取ってくださいっ」
入学式の日に私たちがもらった木彫りの星を、今度は立己くんに差し出していた。
「これを僕に?」
「はい」
「ふむ……」
木彫りを受け取った立己くんはさっそく知的探究心を発揮し、様々な角度から木彫りの星を観察していた。
やがて分析が終わったのか、顔を上げる。
「これはあなたの手作りですか」
「はい、風子が作りました」
「へぇ……やっぱりそうだったんだ」
伊吹さんには悪いけど意外だった。伊吹さんが彫刻刀を持って木彫りを作ってるのを想像すると、いつ怪我するかわからないような……そんな危なっかしい感じがする。
「なるほど……これは興味深い」
伊吹さんお手製の星は立己くんの琴線に触れたらしい。しきりにうんうんと頷いている。
「ありがたくいただいておきましょう。あいにくと今の僕には返せるものがありませんがね」
「何もいらないです。それより……風子のお友達になってくださいっ」
ぐっと気合いを入れて、私にも言ったセリフを今度は立己くんに。
立己くんの返事は……聞かなくてもだいたい想像がつく。
「これは異なことを。夏海さんの友達なら、僕とも友達ですよ」
表情ひとつ変えずにさらっと言ってみせる。
昔からやたらと大人びた――というか尊大な言葉遣いをするので誤解されがちだけど、人一倍情に厚いことを小学生の頃から一緒にいる私たちはよく知っていた。
「三井立己です。どうぞよろしく」
紳士っぽく手を差し出す。
一瞬驚いたみたいに目を見開いた伊吹さんだったが、すぐに笑顔で立己くんの手をぎゅっと握った。
「伊吹風子です。よろしくお願いします……三井さん」
ふたり、握手を交わす。
終始眉が吊り上がってるような子だけど、やっぱり笑うと可愛かった。
「ぶっきー、俺の時と態度がぜんぜん違うじゃん」
「そこのヘンな人! その呼び方はやめてくださいっ、最悪です」
だがその笑顔も長持ちしなかった。
「確かに態度が違いますね」
「俺の時はその木彫りをいきなり背中にねじ込まれたんだぜ。たっちゃんはいいよなぁ」
「理由もなくここまで極端に態度は変わらないでしょう。原因はあなたにあるのでは?」
「立己くんビンゴ。いつもの調子で伊吹さんに不意打ちをしかけて、横から蹴飛ばしちゃったからね」
「おやおや……レディーを足蹴にするなんて、男の風上にも置けないですねぇ」
「何このアウェーな感じ!? くそぉーーグレてやるーーーーっ!」
無駄に大声で叫びながら廊下を一直線に走り去っていった。
その様子を見て、立己くんがやれやれと首を横に振ってみせる。
「彼は僕が連れていきますから、おふたりは先に行っていてください。まずは天文部に行くつもりですが、なんなら他の部を見に行かれても構いませんので」
「うん、わかった」
軽く片手を上げると、立己くんも後を追って廊下を歩いていった。
「それじゃあ、伊吹さんも一緒に行く?」
「はい。また迷ったら困るので、後ろをついていかせてもらいます」
「いや、別に後ろじゃなくてもいいんだけれども」
こうして私と伊吹さんは、主に文化部の部室があるという旧校舎へと向かった。
*
渡り廊下を抜けて旧校舎に辿り着く。
旧校舎なんていうからもっとボロいのかと思ってたけど、それほどでもなかった。それでも私たちの教室がある新校舎よりは古い感じがする。
「……あのさ、伊吹さん」
一階に下りて少し歩いたところで、足を止めて振り返る。
「はい」
「そうやって後ろにぴったり張りつかれてると、なんか落ち着かないんだけど」
「では歩行スピードを上げてください」
「なんで!?」
「後ろがつまっています」
「つまってないつまってないっ」
なぜかやたらと急かしてくる伊吹さんに抗議していると、すぐそばのドアが急に開いて中から人が出てきた。
「わあっ」
「っとっとと、ごめんごめん」
あわや激突となりそうだったが、すんでのところでふたり別々の方向に飛び退く。
「びっくりしたぁ」
「ふたりとも前方不注意です。注意一秒怪我一生、常日頃から注意を怠ってはいけません。事故が起きてからでは遅いです」
「いや、伊吹さんが急かすからでしょ。それに、入学式前にずっとぼーっとしてた伊吹さんには言われたくないなあ」
「風子、ぼーっとしてないです。どちらかというとしゃきっとしてます」
「まぁまぁ」
さっき私とぶつかりかけた男子生徒が、口論(?)する私たちを両手で制しながら間に割って入ってきた。
「ふたりとも、俺のために喧嘩すんなよ」
「あなたのためじゃありません!」
「失礼です」
ふたり全力で反発するも、気にした様子もなく男子は言葉を続ける。
「なぁ、君たち新入生だろ? 天文部に入らないか?」
「えっ、天文部?」
ちょうど行こうとしていたクラブの名前を耳にして、先輩らしき男子生徒に改めて目を向ける。この学校は制服の胸元についている校章の色が学年によって違うので、そこを見れば2年生だとすぐにわかった。なんだか軽そうな印象の男子だ。
……って、あれ? よく見たらこの人、なんか見覚えが……
「ああーっ! 入学式の朝、坂上先生に引きずられてた人!」
思わず大声で指差してしまった。
「げっ! 見られてたのかよ……格好悪ぃ」
軽そうな印象の先輩は、ばつが悪そうに頭を掻く。
「あれはまぁ、いろいろあってさ……ははっ、智代姐さんにはかなわないなっ」
姐さん、って……。本人が聞いたら怒りそう。
「まっ、俺のことはどうでもいいからさ。今は天文部だよ天文部。寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
なんかこの先輩も押しが強そうな感じだなあ。私、こういうタイプ苦手なんだよね。身近にいる誰かさんみたいで。
相手の押しの強さに流されてしまわないように一歩引いて警戒していると、伊吹さんが私とは逆に一歩前に出てきた。
「お言葉に甘えて少し寄っていきましょう、磯野さん」
「だから磯貝だってば。それに、伊吹さんは演劇部作るんじゃなかったの?」
「風子、演劇のことは何も知らないので、この人に演劇部の作り方を教わろうと思います!」
「いや、そんなの俺だって知らねぇよ……」
いきなり伊吹さんにビシッと指差された先輩は、ため息交じりにそう返す。
「では、お茶菓子は出ますか」
「出るわけねぇだろ!」
「風子、帰ります」
ものすごい手のひら返しで、踵を返して立ち去ろうとする。
「わああっ、待った待った。見るだけならタダなんだからさ、見てってよ」
「ですが時間は有限です。貴重な時間を費やすためには何かしらの対価が必要です」
「くっそ……言い返せねぇ……」
先輩にも容赦ない伊吹さんの弁舌。うーん、うらやましい。私もこんなふうに言えたらなぁ。
伊吹さんに言葉で押し負けた先輩は、仕方ないと言わんばかりに肩をすくめた。
「わーったわーった。俺秘蔵のコーヒーを入れてやっから」
「甘いですか」
「見た目通りお子さまかよ……。砂糖とミルクいっぱい入れりゃいいだろ」
「わかりました。交渉成立です」
「交渉なんて高尚なもんかよ。ただ飲み物に釣られただけじゃねーか」
「交渉は高尚……なかなかやりますっ」
「シャレじゃねぇよ!」
こうして当初の予定通り天文部へ。
さっき出てきたばかりのドアへと向かう先輩の後をふたりでついていく。
「おーい、西野ーっ! 見学希望者2名様、ご案内してきたぜーっ」
連れられて入った部屋の中。そこにはもうひとり、見覚えのある男子生徒がいた。
「あっ! きみは……」
私と伊吹さんの存在に気づいたその男子の目が驚きに見開かれる。
伊吹さんと『先輩』……ふたりにとって、それは運命の"再会"だった。