どこまでも続く荒れ果てた大地。

誰もいない、もの悲しい世界。

過ぎる時間さえ存在しない、凍てついた世界。

何も変わらない、停滞した世界。

そんな世界に、『それら』は住んでいた。

ふわふわとした白い体毛に覆われ、くるりと曲がったツノをふたつ、耳の横に持っている。

別の世界の言葉で言うならば、ヒツジかヤギに似た動物。

それらは丘の上で群れを作り、大地に群生した草花を無感情に引きちぎっては咀嚼していた。

もしかしたら、大地が荒れ果てた要因はそれらにあるかもしれない。

だが、それらを止められるものはいなかった。この世界には何もなかったからだ。

……ひとりの少女と、ガラクタ人形を除いて。

未完の幻想曲

…………。

差すような朝日が目に痛い。

むくりと身を起こすと、逆光が差し込む窓に目を細める。

外はいい天気だが、気分は最悪だった。

なんでこんなに早く起きてしまったのか。

時計を見ると、まだ始業時間に余裕で間に合う時間だった。

別に遅刻したくてしてるわけじゃないしな……。

そう結論づけて布団から這い出ると、制服に着替える。

薄っぺらい鞄を手に取り、部屋を出て一階に下りると、いびきをかく親父の体を跨いで居間を抜けた。

山を迂回しての登校。

いつもと変わらない通い慣れた通学路。

その風景も学校が近づくに連れ、変わっていく。

そこにあったのは、俺にとっていつもと異なる世界だった。

他の奴らからすれば、これが普通なんだろうが。

「おはよう」

「おはよーっ」

同校の生徒がわんさと歩いている。

周囲に挨拶が飛び交う中、のろのろと歩く俺に声をかける奴はひとりもいない。ただ、笑顔で俺を追い越していくだけだった。

きっと誰にも俺の姿は見えていないのだ。

だからこのまま踵を返してどこかへ行ってしまおうと、呼び止める奴もいない。

周りの流れに逆らって踵を返す。

今日はこのままふけちまおう……。

「どこにいくんですか?」

踵を返した先に、見知らぬ女生徒が立っていた。

その小柄な少女は、澄んだ瞳でまっすぐに俺を見つめている。

俺のことを見える奴がいたらしい。

すると、この子も俺と同類なのだろうか。

俺と同じ、透明の世界に住む人間なのだろうか。

「学校はあっちですよ」

「そうだな、間違えた」

「はい」

笑顔で頷く少女。

…………。

俺はそのままの方向へ一歩を踏み出した。

「あ、違いますよっ」

ぴん、と服の裾を引っ張って止められる。

「みんな、あっちに向かってます。方向音痴ですか?」

「そういうのを見ると逆らいたくなるんだ」

「あ、そうなんですか……」

…………。

一歩を踏み出す。

「ああっ、そっちじゃありませんよっ」

「だから、逆らいたくなるんだって」

「気持ちはわからなくはないですが、それだと遅刻します」

「実は先天性あまのじゃくという病気なんだ。逆らわないとぶっ倒れる」

あまり関わらないほうがよさそうなので、適当にごまかしておく。

少女は顎に手を当ててうーんと唸り、ウェーブがかった長い髪を揺らして小首を傾げる。

立ち止まっている間にも、他の生徒はどんどん俺たちを追い抜いて学校のほうへ消えていく。

まるで俺たちのことなど目に入っていないかのように。

「じゃあこうしましょう」

少女が名案を思いついたとばかりに、ぴん、と人差し指を立ててみせる。

「そのままの向きでいいので学校に向かってください。そうすると、みんな普通に歩いているのにひとりだけ後ろ向きで歩いてます。これはものすごく逆らってる感じしますよねっ」

「本当にぶっ倒れるわっ!」

あまりにもぶっ飛んだ提案に、思わず素でツッコミを入れてしまう。

だが少女はまったく動じることもなく、手のひらを広げた両手を胸の前に構えて言った。

「倒れそうになったら私が背中を支えますので。こう……ガシッと」

「ぐあ……」

なんでこんな目に……。

そういえば昨日、藤林が占いでなんか言ってたような……。

はぁ、とため息をつく。

「わかったよ……普通に行けばいいんだろ……」

俺は観念して、学校のほうに振り返って普通に歩き出した。

それを見て、少女がにっこりと微笑む。

「ご理解いただけて嬉しいです」

俺の意図はバレバレのようだった。

少女と問答している間に、周りを歩く生徒の数は目に見えて減ってきていた。

ズボンのポケットに突っ込んである腕時計を無造作に取り出す。

このまま歩いても、ぎりぎり間に合うくらいの時間か……。

俺はもう一度ため息をつくと、重い足取りで歩き始めた。

………………。

…………。

……。

「……で」

校門へと続く長い坂道の前。

そこで一度立ち止まって振り返る。

「なんでついてきてんだ」

「方向、同じですから」

「先に行けよ。遅刻するぞ」

「まだ間に合いますよ」

何が嬉しいのか、少女はにこにこと微笑みを浮かべたままだ。

このままついてこられては面倒なことになる。

俺は早足で坂道を登った。

坂の途中……じっと空を見上げている女生徒がいた。

…………。

それが見知った顔だったから、思わず立ち止まってしまう。

「あいたっ」

背中に何かが当たった。それと同時に声があがる。

振り返ると案の定、さっきの少女がついてきていた。

少女から離れるために早足で登ってきたのに、立ち止まっては意味がなかった。

「急に立ち止まらないでください」

鼻を押さえながら、上目遣いで非難めいた声をあげる。

少女はそのままゆっくりと視線を横に移すと、俺たちと同じように坂の途中で立ち止まっている女生徒に目を止めた。

「あれ……? 坂上さん?」

その呼びかけで我に返ったかのように、智代は長い髪を揺らして俺たちのほうに振り向いた。そして、少女の顔を見て笑顔を浮かべる。

「おはよう。確か……仁科だったか」

「はい、仁科りえです。おはようございます」

ふたりが笑顔で挨拶を交わす。俺はその様子を隣でぼーっと眺めていた。

すぐに智代は突っ立っている俺の存在に気づく。やはりこいつも俺と同類なのだろう。

「なんだ、岡崎じゃないか。ふたり、知り合いなのか?」

「違う」

即座に否定する。

少女が不服そうな顔をしたが、事実知り合いではないのだから嘘は言ってない。

智代はそれで納得したのか、少女との会話に戻る。

「それで……あれから部員は見つかったのか」

「いえ、まだひとりです」

少女はしょんぼりと頭を垂れる。

何の話かさっぱりわからないが、智代とこの子は知り合いのようだった。

「あっ、そうだ」

また何かとんでもない案でも思いついたのか、仁科と呼ばれたその少女は、ぴん、と人差し指を立ててみせる。

そうして、くるりと俺のほうに振り返って口を開く。

「もし、よろしければ……」

そこで一度言葉を切って、胸の前で両手を合わせる。

まるで演劇のセリフを言うかのように……。

「合唱部に入りませんか?」

その言葉が、すべてのはじまりだった。

――未完。

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