夢……。
夢を見ていました。
繰り返される夢の中で……
風子はヘンな人と出会いました。
☆風と月の輪舞曲
なんてことでしょう。
このままでは可愛いヒトデを彫ることができません。
可愛いヒトデ……。
ヒトデ……。
……。
…………。
………………。
……はっ。
そうですっ。ナイフがないと可愛いヒトデを彫ることができませんっ。
可愛いヒトデ……。
ヒトデ……。
……。
…………。
………………。
以下、しばらく繰り返し。
……はっ。
そうですっ、ナイフです。
突然現れたヘンな人にナイフを奪われてしまったのです。
風子は誰もいない教室でうなだれていました。
残された時間もそう多くはないはずです。急がなくてはっ。
自分を鼓舞して風子は立ち上がりました。
☆☆☆
次の日。
廊下を歩く見覚えのある後ろ姿。間違いありません。
いよいよ作戦を実行する時がやってきたようです。
それでは、ナイフ奪還作戦……スタート!
ぽん。
ぽん……ぽん。
気づかれないよう、手探りでターゲットの背中を探索します。
ですが手応えはありません。
ぽん、ぽん。
腰のあたりを探索していた時でした。
「なんだよっ」
ターゲットがいきなり振り返りました。
このままでは見つかってしまいますっ。
風子は素早く物陰に隠れました。
…………。
……ふう。どうやら気づかれなかったようです。
ぽん。
ぽん……ぽん。
作戦を再開して探索を続けていると、ターゲットが突然立ち止まりました。
調査に集中していた風子はターゲットの背中で鼻を打ってしまいました。
あまりの痛さに思わず座り込んでしまいましたが、これはチャンスですっ。
ぽん、ぽん、ぽん。
風子は絶好の機会を逃さず、迅速かつ慎重に探索を続けます。
ぽん。
む? 手応えありですっ。
ぽん。
やはりここには何かがあります。間違いありません。
今こそナイフ奪還の時ですっ!
ふにっ。
「掴むなっ!」
ターゲットが急に大声を出しました。
ナイフ奪還を目前にして風子は少し焦っていたようです。
さらに不運なことに、リノリウムの廊下というものは上履きととても相性が悪いのです。
結論を言うと風子は滑って転んでしまいました。
このままでは確実に見つかってしまいますっ。絶体絶命のピンチですっ。
風子は急いで立ち上がり、埃を払って戦略的撤退を図りました。
廊下の角まで退却すると、慎重にターゲットを偵察します。
…………。
どうやら気づかれてはいないようです。これは不幸中の幸いでした。
さらに幸運なことに、ターゲットが無造作に作戦目標のナイフを取り出したのです。
今度こそナイフ奪還の時ですっ!
風子はその名の通り風の如き速さでターゲットに接近しました。
ですが敵もさる者、風と化した風子を肉眼で捉えたのです。
風子は再びピンチに陥りました。加速状態ですぐに止まることもできません。
「トンビ」
風子はとっさに擬態の術を使いました。
自然に溶け込んで敵の目を欺く、とても高度な忍法です。伊達に忍者っぽい名前をしているわけではありません。
「ひゅーひょろろー」
窓に張りつきトンビに擬態した風子。しかしこれで安心することはできません。
ターゲットはなかなかの使い手。この風子からナイフを奪い取っただけのことはあります。
「…………」
風子がじっとしていると、ターゲットは何を思ったのか、突然風子の鼻を押し始めました。
もしや、風子の鼻を非常ベルのボタンと間違えているのでしょうか。
確かに非常ベルのボタンを押したくなる気持ちはよくわかりますが、風子の鼻はボタンではありません。
それにこのまま押され続けると風子のクレオパトラ寄りの鼻が上を向きすぎてしまいますっ。
「はぁっ……もう、やめてくださいっ」
こうなっては仕方ありません。風子は擬態の術を解いてターゲットと相対しました。
「風子の鼻、上を向いてしまいます」
「おまえが話しかけても、無視するからだよ」
どうやら風子の術をもってしてもターゲットの目を欺くことはできなかったようです。
風子の術を見破るとは……この男、ヘンな人ですがかなりのものです。
とりあえず風子は一般人を装ってとぼけることにしました。
「違います、今、気づいたところです」
「嘘つけ。ナイフ取り戻しにきたくせに」
風子の緻密な作戦が見破られました!
やはりこの男、ヘンな人ですが只者ではありません。
ですが風子もこうなった以上、シラを切り続けるしかありません。
「ナイフ? ……あ、ナイフです。それ、風子のです」
風子はそう言われて初めてナイフに気づいたふりをしました。
風子の演技力には定評があります。おねぇちゃんも痺れていました。
「返してください」
風子は手を差し出してナイフの返却を求めます。
手の怪我は治ったのかと訊いてきたので、「もう痛くないです。治りました」と答えました。
本当はほんのちょっぴり痛いですけど、もう大丈夫のはずです。
こう見えても風子、怪我が治るのは早いほうです。
「包帯巻いたままじゃないかよ」
ばれてしまいました! なかなかの観察眼ですっ。
確かに怪我が完治していれば、もう包帯を巻く必要はないでしょう。
しかしまだまだ甘いですね。ミイラ男は別に全身大怪我しているから包帯を巻いているわけではありません。
言うなれば転ばぬ先の杖……そう! 念のためなのです。風子はヘンな人にそう答えました。
ヘンな人は風子に論破されてとても悔しそうです。
見てやってください。あの歯ぎしりする様を。
よほど悔しかったのか、ヘンな人はすぐに次の提案をしてきました。
「じゃ、握手」
握手はダメです。昨日しました。握手はたくさんするもんじゃないです。
風子がそう答えるよりも先に手を握られてしまいました。
口ではかなわないと見て、敵は実力行使に出ました!
普通の女の子である風子が腕力で男の人に勝てるはずないですっ!
ぎゅっと手を握られると、じんわりと痛みが伝わってきました。
ですが、ここで声をあげたら敵の思うツボです。
我慢しなければっ。
「じゃ、ハイタッチ」
風子が反撃しないのをいいことに、敵はさらに攻撃をしかけてきました。
風子の左手を持ち上げると、ぱんっ!と小気味良い音を立てて風子の手のひらを叩きました。
叩かれた左手から、これまたじんわりと痛みが伝わってきます。
……がまん、です。
「じゃ、ボクサーとトレーナー」
風子にとどめをさすつもりでしょうか。敵は昨日使用しなかった技を使ってきました。
「おまえ、トレーナーね。こう構えて」
そう言って風子の手を取ると、手のひらを胸の前に構えさせます。
一体どんな恐ろしい技を使ってくるのでしょうか。そして、このポーズに何か意味はあるのでしょうか。
「ジャブ、ジャブ、ストレートって叩くから、おまえはワンツーワンツー!って言うんだぞ」
わけがわかりませんっ!
人生はワンツーパンチですかっ! 一歩進んで二歩下がるのでしょうかっ。風子、混乱してきましたっ。
敵はこの攻撃で風子の息の根を止めるつもりです。
このまま構えていては真っ白に燃え尽きてしまいますっ!
風子は目を閉じて、精神を集中させました。
ぎりぎりまで引きつけて敵の攻撃を回避するためです。
「トレーナーが目を閉じたらダメだろ。目開いて、胸張って」
敵は卑劣にも風子の精神統一を阻害してきました!
ですが、トレーナーが目を閉じたらダメ、と言われると納得してしまったので仕方ありません。
風子はやむなく目を開きました。
こうなれば防御に徹するしかありません。
とても痛そうな技ですが、我慢です。
「ジャブ、ジャブ、ストレート!」
とどめの一撃が風子に襲いかかりました。
「ワンツーワンツー!」
そう言いながら、風子は観念して目を閉じました。
トレーナーが目を閉じたらダメなのですが、閉じてしまいました。
とにかく我慢です。
「ワンツーワンツー!」
今のところ痛みはありません。なんとか耐えられそうです。
「ほら、ナイフ、返したぞ」
我慢を続けていると、不意に声が聞こえてきました。
目を開けると、風子の手にナイフが返ってきていました。ヘンな人が握らせてくれたようです。
とどめをさすつもりではなかったのでしょうか。
「怪我したらまた奪ってやるからな。こんな苦労したくなかったら、もう怪我するなよ」
それは、怪我をしなければナイフを奪ったりしない、ということなのでしょうか。
「じゃあな」
ヘンな人は軽く左手を上げると、旧校舎のほうに去っていきました。
その後ろ姿を風子は呆然と見送りました。
もしかしてヘンな人は風子のことを心配してくれていたのでしょうか。
ヘンな人でしたけど……そんなに悪い人でもないのかもしれません。
☆☆☆
ともかくナイフ奪還作戦は成功しました。
風子はさっそく空き教室に戻って彫刻を再開します。
ですが、怪我をしたらまたナイフを奪われてしまいます。それはとても困りますっ。
ですので、普段から慎重な風子ですが、これからは今まで以上に慎重に可愛いヒトデ作りを進めたいと思います。
慎重に可愛いヒトデ……。
可愛いヒトデ……。
ヒトデ……。
……。
…………。
………………。
ぶす。
……はっ。
………………。
って、いつの間にか指から血が出てますーーっ!
やばいですっ。このままではまたヘンな人にナイフを奪われてしまいますっ!
風子はとっさに止血の術を使いました。唾液には治癒効果があります。
そうして周囲の気配を素早く探ります。
その時! 風子は見てしまいましたっ! ドア越しの怪視線をっ!
ヘンな人に怪我をしたところを見られてしまいましたっ。
尾行されていたのでしょうかっ。それとも風子の怪我を探知して現れたのでしょうかっ。
まさか風子がここまで追いつめられるとはっ!
完全に目が合ってしまったので擬態の術も通用しません。
こうなればっ、風子流隠れ身の術!
風子は教室の隅に素早く身を隠しました。
敵の姿が視界から消えました。これでひとまずは安心でしょう。
「おまえ、丸見えだっての」
後方から声がしました。
失敗ですっ。風子としたことが敵に背後を取られるとはっ!
風子は覚悟を決めて振り向きました。そして、隙を窺いながら自分を指差します。
「ああ、そ。おまえ」
隠れ身の術までもが破られましたっ!
ですが敵は油断していたようです。風子はその一瞬の隙を見逃しませんでした。
常人レベルを遙かに超えた速さで風子は教室から飛び出しました。
これで撒くことができればいいのですが……念のため、風子は人隠れの術を使うことにしました。
人通りの多い場所で有効な術です。人ごみに紛れることで、敵の追撃を振り切ることができるのです。
……って、人が誰もいませんーーーーっ!
失敗ですーーっ!
と思ったら、奥から男の先生が歩いてきました。
これはグッドタイミング。風子は人隠れの術を使用しました。
「おまえ、丸見えだからさ」
先生の背後に潜伏していると、急に腕を掴まれました。
アンケートか何かでしょうか。
風子は今、強敵と戦っているのです。アンケートに答えている暇はありません。
それに、声を出していては人ごみに紛れた効果が薄れてしまいます。
風子は人差し指を口に当て、アンケートの人に少し静かにしているよう促しました。
「……」
どうやら風子の意図を理解してくれたようです。
アンケートの人は黙って風子の言うことに従いました。
…………。
緊迫した空気が周囲に漂います。
しばらくすると、先生は廊下の角を折れて行ってしまいました。
「ふぅ……」
長い間気を張っていたせいでしょうか。緊張が解けると風子は自然に安堵の息を吐いていました。
これでもう安心です。ヘンな人を完全に撒くことができました。
風子の大勝利ですっ!
「よし、じゃあ保健室行こうな」
なかなかしつこいアンケートの人です。
そんなに風子からアンケートを取りたいのでしょうか。
……はっ。
もしかしたら悪い人なのかもしれません。
風子を騙してどこかに連れていき、おばさんたちと一緒に高級な羽毛布団でも買わせるつもりではないでしょうかっ。
風子は「No」と言える日本人なので、そんな勧誘には乗りません。
ですが風子はどちらかというと人情を重んじるタイプです。
忙しい身ですが、話だけなら聞いてもいいでしょう。
もし勧誘ならば、丁重にお断りすることにします。
風子は毅然とした態度でアンケートの人と向かい合いました。
…………。
「うわぁああああー!」
この時の風子の驚愕は例えようがありません。
風子は今、奴の能力をほんのちょっぴりですが体験しました。
い、いや……体験したというよりはまったく理解を超えていたのですが……。
あ、ありのまま今起こったことを話しますっ!
『風子はアンケートの人と話していたと思ったらいつの間にかヘンな人と話していた』
な、何を言ってるのかわからないと思いますが、風子も何をされたのかわかりませんでした……。
頭がどうにかなりそうでした……。
催眠術だとか超スピードだとか……そんなチャチなもんじゃあ、断じてない……
もっと恐ろしいものの片鱗を味わいました……。
……と、いった感じでした。
わけわかりませんか、そうですか。
「誰から隠れてたんだよ、おまえは……」
突然目の前に現れた敵は呆れ顔でそう言いました。
なんと恐ろしい敵でしょうかっ。これはもう天敵といっても過言ではないかもしれません。いえ、ずばり過言ではないでしょう。
「ほら、手、痛いだろ。保健室行こうぜ」
「怪我してませんから」
痛くないと言えば嘘になりますが、ここで弱みを見せるわけにはいきません。
風子は精一杯強がってみせました。
ところが天敵は風子の強がりを見抜いたのか、手を見せろと言ってきました。
止血の術を使用したので、もう血は止まっているはずです。
風子は勢いよく人差し指を天敵の目の前に突き出しました。
指からツー、と血が流れ落ちています。
力を入れすぎました!
風子はすかさず止血の術を使いました。
そして今度は慎重に指を突き出します。
「えいっ、て気合い入れてみてくれない?」
気合いですかっ。風子、気合いには自信があります。
「えいっ」
ぴゅーっ!
指から血が噴き出し始めました。
「おー、見事だな」
天敵の口車に乗ってしまいましたっ!
冷静な風子をここまで手玉に取るとは……天敵どころか最強最悪の敵かもしれません。
「それ、結構深いんじゃないのか?」
風子がもう一度止血の術を使っていると、最強最悪の敵がそう訊いてきました。
……。
どうしてこの人は、風子のことをそこまで気にかけるのでしょうか。
風子にはよくわかりませんでした。
「深かったとしても……あなたには関係ないと思います」
「……まぁな」
ヘンな人は複雑な表情をして、ズボンのポケットに右手を突っ込みました。
この人は、あの日からずっとひとりでいた風子が初めて話をした人でした。
突然空き教室に入ってきて風子からナイフを奪ったヘンな人でしたが、風子の怪我を心配してのことだったのかもしれません。
「風子がそうしたいんです。放っておいてください」
風子は突き放すようにそう言ってしまいました。
少し言い過ぎたかもしれません。言ってしまってからそう思いました。
それでも、風子にはやらなければならないことがあります。たとえ怪我をしても手を止めている暇はありません。
包帯を巻いた手をじっと見ながら、風子はそんなことを考えていました。
ヘンな人は風子の言葉を気にしていないようでしたが、風子は居たたまれなくなって返事もそこそこにその場を立ち去りました。
「保健室いけよっ」
空き教室へ戻ろうとする風子の背に向けて、ヘンな人は最後にそう言いました。
…………。
風子は階段を下りて、保健室へ向かいました。
血が滲んでしまった包帯を取り替えるために……。
☆☆☆
夢……。
夢には終わりがあります。
狭い部屋にひとりでいた風子は、ヘンな人に手を引かれてたくさんの楽しい場所を冒険しました。
ヘンな人……岡崎さんと出会ってから、風子の世界は広がっていきました。
ヒトデ祭りの、はじまりでした。
――終わり。
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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!
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☆後書き
姉の公子さんでさえ「とらえどころがない」と言わしめた風子の思考を自分なりに想像してみました。風子シナリオの4月18日を風子視点で書いただけなので、4月18日「逃がす」を選んだプレイをしていないとわかりにくいところがあるかも。
朋也に対する反論などから拡大解釈して、風子は頭の回転が早い……というか早すぎて人に合わせられないような性格を想像しています。
今回はセリフをなるべく減らして(原作セリフそのままだけど)、地の文を練習してみたんですが……結局すべてが風子の独白だからあまり意味がなかったかも。少しでも風子っぽいと思ってもらえたら嬉しい。