「せーんろはつづくーよー、ど~こまーで~も~♪」
音楽教室の発表会で歌った唄を歌いながら、あたしは両手を水平に広げて線路の上を歩いていた。
じりじりと焼けるような熱さを足元から草履越しに感じるけど、時折吹いてくる涼しい風が素足に当たって気持ちいい。
深くかぶった麦わら帽子をちょこっと持ちあげて、空を見上げる。
どこまでも晴れ渡った青空。
遠くには一筋の飛行機雲が見える。
その飛行機雲を追いかけるように、あたしは線路の上を歩きつづけた。
♪汐のぶらり旅日記 ~夏~
夏休みは一人旅の季節。
今年もあたしは、はるか遠くの知らない町をめぐる旅に出ていた。
「はーるかな町まーでー、ぼ~くたーちーの~♪」
歌いつづけながら、視線を空から地面へと戻す。
こげ茶色に灼けた線路のまわりには、いろんな大きさの石がいっぱい散らばっていた。
この線路を電車が走ることは、たぶん二度とない。『廃線』って言葉を図鑑で見たことがある。
そんな時間が止まってしまった場所を通って、見知らぬ町から見知らぬ町へ。
やがて区切り良く歌い終えたところで、前方に駅が見えてきた。
「うんしょっ、と」
旅の荷物がいっぱい詰めこまれた大きなリュックサックを背負いなおす。
あたしの町の駅と比べるとかなり小さいその駅に、人の姿はまったくない。
こんな駅を見るのはもちろん初めてだし、そもそも線路の上を歩いたのも初めてだ。
石の散乱した茶色い線路、無人のホーム……。
そんな風景を見回しただけで、ここが長い間使われていなかったことがわかる。なんだか寂しいな。
開放された無人の改札口をくぐって、あたしはその町に足を踏み入れた。
*
まず最初に違和感があった。
この町は、今まで旅してきた町とどこか違う。
あたしの住んでいる町と同じような懐かしさと同時に、なんだか得体の知れない異質な感覚がした。
「……」
立ちすくむあたしの目の前に、どこからともなく小さなシャボン玉が飛んできた。
「わあ……」
久しぶりに目にした懐かしいものに違和感もぱっと消し飛び、思わず感動の声が口をついて出る。
あたしの目の前にまで漂ってきたシャボン玉に指を伸ばそうとして、反射的に手を引っ込めた。
初めてシャボン玉を飛ばした小さい頃みたいに、顔じゅう水滴まみれにはなりたくない。
「美凪ぃーーっ。次はみちるがやるーっ」
近くの森からシャボン玉を飛ばしている人たちの声が聞こえる。
いきなり森に押し入って邪魔するのも悪いよね。
楽しそうに遊ぶ声を尻目に、あたしは周囲を見回して建物が見える方角へ向かって歩き始めた。
「しゃーぼんだーまーとーんーだ、やーねーま~でーとーんーだ♪」
この唄を歌うたびに、シャボン玉と一緒に屋根がふわふわ飛んでいくシーンが頭に浮かんでしまう。
あたしは空を見上げた。
「やーねーまーでーとーんーで、こ~わーれーてーきーえーた♪」
飛んでいった屋根がパン!と壊れるシーンが頭に浮かんだ。
空にはさんさんと光り輝く太陽が真上にあって、夏の陽射しがすごくまぶしい。
「……?」
あまりにまぶしくて視線を地上に戻すと、何か小さな白いものが道路を横切ったのが見えた。
犬だろうか? あたしは歌うのをやめて(どのみち2番は悲しい気持ちになるから歌いたくないんだけど)、その影を追ってみることにした。
*
「ぴこぴこぴこ」
「こんにちはっ」
駅から見えていた建物の前でその動物を発見し、その場にしゃがみこんで会話を試みる。
白くて毛だらけで丸っこいその動物。
犬にも見えるし、ヒツジにも見えるけど、鳴き声がどっちとも似てない。ていうか、こんな鳴き声初めて聞いた。
「ぴこぴこぴこ」
「……えーっと」
なべやこなべ(幼稚園にいるイノシシ)とは昔から心を通わせてこれたと自分では思ってるけど、さすがに初対面の動物とは意思の疎通が難しい。
「君は犬……なの?」
「ぴこっ」
あ、今うなずいた。
言われてみれば、忍者のアニメに出てくるちくわが大好きな犬にどことなく似てる気がする。
「ちくわよちくわー、どうしておあながあいてるの~♪」
「ぴこ?」
「あれっ? 違った?」
「ぴこっ」
違うらしい。
とりあえず「はい」と「いいえ」くらいは理解できるようになってきたので、あたしは満足して立ちあがった。
「じゃあね、ぴこ丸」
「ぴこぴこぴこ~っ」
ぴこ丸(あたし命名)に手を振り、背を向けて歩き出す。
「表で声がするから誰かと思えば……ポテトじゃないか」
あたしが立ち去った後ろから、女の人の声がした。
「ぴこぴこぴこ」
「佳乃なら学校だ。飼育委員さん1号だからな」
「ぴこー」
「そう残念そうな顔をするな。茶でも飲んでいけ。その代わり、君にお使いを頼みたい」
「ぴこっ!」
あの犬の飼い主さんだろうか。
どうやらあの犬は「ぴこ丸」じゃなくて「ポテト」という名前らしい。
「……」
思わずほくほくのじゃがバターを想像してしまい、お腹がくぅ~と鳴る。
知らない町にうきうきしてて忘れてたけど、もうお昼はとっくに過ぎていた。
どこかでお昼ごはんを食べていこう。
さっきの建物の向こう側は商店街になっているようで、いろいろなお店が軒を並べていた。
左、右とお店を見ていきながら、商店街の中を歩いていく。シャッターが閉まっているお店も結構あった。
ふと店先に置かれた『お箸が宙に浮いてるラーメンのディスプレイ』が目に留まり、またお腹がくぅ~と鳴った。
これも何かの縁だし、ここで昼食を食べていくことにする。
あたしは『西来軒』と書かれた暖簾をくぐって店に入った。
*
「ごちそうさまでしたっ」
思ったより量が多くてびっくりなラーメンセットを食べ終えて、店を出た。
おなかいっぱいになると眠くなっちゃうので、食後の冒険に商店街から出て細い脇道に入ってみる。
曲がり道を何度か曲がって歩きつづけていると、やがて店や家もまばらになってきた。
アスファルトの地面が砂利に変わり、道の両側には畑や田んぼが広がっている。
野道を少し歩くと、行く手に石の橋が見えた。
橋の上まで来たところで欄干に身体をあずけ、川面を眺めてみる。
おだやかな川の流れ。さらさらとせせらぎの音が聞こえる。
小川は深くもなさそうで、川底が見えるくらいに水が透き通っていた。
「よーし」
あたしは思いつきで川辺に向かう。
いっぱい草が生えたなだらかな土手を下り、草履を脱いで川に足をつけてみた。
「んーーっ」
水が冷たくって気持ちいい。
自然の音だけが聞こえてくる静かなこの場所に、バシャバシャとあたしの立てる跳ね水の音が響いていった。
*
橋を渡った先は登り坂。
少し登ると、それはやがて山道になった。
道の左右にいっぱい生い茂った木から、様々な種類のセミがまるで合唱するように声を響かせていた。
その高い木々が夏の陽射しを遮っていて、涼しく感じる。
枝葉の細かい隙間を縫うようにして、木漏れ日がまだら模様に地面を照らしていた。
「……ふう」
山道の途中で、ふと足を止める。
見上げれば、遠くの空に大きな入道雲……見下ろせば、木々の間から見える町並み……絶景だ。
ここから町を一望できるようで、色とりどりの家の屋根、学校とグラウンド、さっき水遊びした川やラーメンを食べた商店街、この町のスタート地点である駅舎も見えた。
「すずしぃ~~」
風を感じて、麦わら帽子を脱ぐ。
幹の隙間を抜けるように吹く風は、潮の匂いがした。
「あ……」
思わず声がこぼれる。
町の向こう側に……太陽の光を受けて輝く海が見えた。
キラキラと光る水面がまぶしい。
波の動きに合わせて、反射された光も動く。
あたしは目を細めながら、じっとそれを見つめていた。
*
「とうちゃーく」
山の頂上に辿り着く。
石段を登り、鳥居をくぐった先には神社があった。
セミの合唱が響き渡るその場所に、人の気配はない。
「……」
もう何度目だろう。あたしはまた空を見上げる。
この町で一番高いであろう場所。
こんなにも空が近く見えるなんて知らなかった。
なんだか空を飛べるような気さえしてくる。
「!」
空に光る何かが見えて、反射的に右手で視界を遮る。
(光?)
まぶしさに目を細めて指の隙間からのぞいてみると、そこにはやっぱり何かが光っていた。
それは、あたしの町でよく見た光とはどこか違う。
あたしは背伸びして、その光に向かって手を伸ばした。
だが手は届かず、光はふわふわと空に昇っていく。
(……羽根?)
それは真っ白な、鳥の羽根に見えた。
「あっ、かみさま、いたっ」
不意に、背後から女の子の声がした。
あたしは慌てて、足の先から指先までピンと伸ばして天を仰ぐ、という傍から見たらヘンなポーズを即座にやめる。
「こ、こんにちはっ」
笑顔で挨拶、これ基本。
目の前の小さな女の子は、あたしをじっと見上げている。
「かみさま?」
「へっ? えーっと……あたしは神様じゃないよ」
「でもでも、かみさまのおうちから出てきたよ」
女の子があたしの背後を指差す。
後ろには神社……というか拝殿だっけ?本殿だっけ?がある。
「ここは、かみさまのおうちなんだって。おかあさんがいってた」
「そうなんだ。でもここはあたしのお家じゃないから、やっぱりあたしは神様じゃないよ」
「かみさま、ちがうの?」
あたしがうなずくと、女の子はしゅんとした顔でうつむいてしまった。
これは、なんとか元気にしてあげないと。
あたしは女の子の前にしゃがみこんで目線を合わせた。
「神様にお参り――お願いしに来たの?」
「うん……」
どうやら正解だったようで、女の子が話し出す。
「まいかね、おねえちゃんが元気になりますよーに、っておねがいするの」
「じゃ、あたしもいっしょにお願いしてあげる。いこっ」
女の子の手を引いて立ちあがり、神社の階段をのぼる。
賽銭箱にふたりぶんの二十円を投げ入れて、ガラガラと鈴を鳴らした。
「さ、お願いしよっ」
「うんっ」
女の子の顔がほころんだ。
あたしも自然と笑顔になる。
空に一番近い場所で、あたしたちは神様にお願いをした。
*
お願いを終えた少し後、女の子のお母さんが神社に登ってきた。
あたしはお母さんに挨拶すると、女の子にバイバイと手を振ってひとりで山を下りた。
橋を渡って少し歩いたところで、遠くからチャイムの音が聞こえてくる。
山の上から見えた学校だろうか。
チャイムが聞こえた方向へ歩いていると、進行方向から子供たちの声が聞こえてきた。
幼稚園かと思ったけど、近くまで行ってよく見たら保育所みたいだ。
「ちょっとあのあほな子ら、連れ戻してくるわな」
保育所の校門(?)を開けて、バイクに乗った女の人が出てきた。
大きな赤いバイクは、杏先生が乗ってたのにちょっと似てる。
「ほな、あと頼むで」
女の人は保育所の中に向けてそう言うと、ヘルメットをかぶってバイクを発進させる。
その後ろ姿は、杏先生ばりの超スピードですぐに見えなくなってしまった。
***
あれだけ青かった空も、今はオレンジ色。
吹きぬけていく風が涼しい。
夕焼け空を見上げると、一羽の鳥が大空高く飛び立っていく。
その鳥を追いかけて、あたしは"この場所"に辿り着いた。
*
そこは懐かしい匂いがした。
堤防を飛び降りると、砂浜がさくっと音を立てる。
広い浜辺を見渡すと、波打ち際に男の子と女の子が立っていた。
誰かいるのか、あたしが来たのとは逆方向の堤防に向かって男の子が手を振る。
そしてふたりは……手を繋いで海岸線を歩いていった。
「……」
しばらくの間、ふぅちゃんみたいにぼーっとしてしまっていた。
はっと我に返ると、男の子と女の子の後ろ姿はもう見えなくなっていた。
なんだか気になって、ふたりがいたところまで行ってみることにする。
波打ち際に、砂でできたお城があった。
さっきの男の子と女の子が作ったんだろうか。
あたしがひとりで作ると、だんご大家族ですら「キャッチャーミット」とか言われちゃうので少しうらやましい。
男の子が手を振っていた堤防のほうに目を向けると、そこには黒ずくめの男の人が顔を伏せて座りこんでいた。
「おっとと」
背後からの強い潮風に、バランスを崩して砂浜を片足跳びする。
すぐに全身の力を抜いてバランスを整え、体操してるみたいにくるりと回った。
そして、夕日でオレンジ色に染まった海と向かい合う。
波の音……。
潮の匂い……。
海を見ていると、なんだか懐かしい気持ちになる。
あたしの住む町の近くには海なんてないのに、なぜかそう感じる。
『汐』というあたしの名前が海からつけられたものだということはママから聞いた。だからだろうか。
(行ってみたいな……)
夕日色に光る海がまぶしくて目を細める。
この海の向こうには、どんな町があるんだろう。
潮風を受けながら海を眺めている間にも、夕日は少しずつ沈んでいく。
もうすぐ日が暮れる。
この町で一泊するか、それとも次の町へ旅立つか。
ひとつの決断。
これも気ままな一人旅の醍醐味だ。
「……んっ」
あたしは海に背を向けて、ぐっと背伸びした。
そして、砂浜の砂を蹴り上げるくらいの勢いで大きく足を振りぬく。
「あーした天気になぁーれっ!」
足からすっぽ抜けた草履が宙を飛んだ。
(表が出たらこの町で泊まる、裏が出たら次の町)
そう決めた。
……。
浜辺に落ちた草履は……裏返っていた。
片足跳びでそばに行き、素足で草履をひっくり返して履きなおす。
「じゃ、いこう」
ついでに麦わら帽子を深くかぶりなおして、リュックもしっかりと背負いなおす。
最後に、堤防のほう……今日旅した町に目を向ける。
堤防には、さっきの男の人が変わらずに顔を伏せて座りこんでいた。
「さようなら」
あたしは"この町"に別れを告げて、男の子と女の子が歩いていったのとは逆方向に歩き出した。
この海岸線の先に、なにがあるのか。
それはあたしにもわからない。
でもきっと……そこには知らない町がある。新しい出会いがある。
「……」
歩きながら海の向こう、水平線に目を向ける。
さっきあたしが行ってみたいって思ったのは……沈む夕日が見える、広い海の向こう側。
そこにはテレビで見た町、授業で習った町、本で調べた世界の町……あたしがこれまで見てきた町とはまた違った町がいっぱいある。
今度は、そんな世界の町も旅してみたい。
波の音を聞きながら、潮の匂いをかぎながら……あたしはまだ見ぬ世界を夢見て歩きつづけた。
――終わり。
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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!
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♪後書き
汐の日本列島ぶらり旅……夏はAIRの季節です。
てなわけで、AIR20周年のタイミングに合わせて公開! ていうか普通に前作書いた時から話の流れは決まってたんだけど……気づいたら二年も経ってましたね。やっぱり締め切りがないと、ずるずる引き延ばしちゃう。
今回は特に曲名と歌詞に関連するワードを意識して使ってみました。超久しぶりのSS更新、楽しんでもらえたら嬉しい!