どこまでも続く大平原。

大地を覆う緑の中に、一際その存在を主張する巨大な木がある。

吹く風が枝葉を揺らすその大木の下で、多数の怪物に囲まれている男女の姿があった。

男は刃幅の広い大剣を手にして、疲労からか息を切らせていた。女は自分の背丈ほどもある片刃の長剣を構えている。

男と女は互いに背を預け、これだけの数の怪物を前にしても一歩も退くことなく、それぞれの武器を手に怪物どもと相対していた。

「時間がかかりそうだな……」

「ああ。だが魔法器の封印に成功すれば、俺たちの勝ちだ」

ふたりはそれぞれの正面にいる敵を睨みつけたままで呟くように言うと、男は大剣を両手で握り直し、女は長剣を持つ手に力を込める。

「猫の手でも借りたいっていう状況のようですね」

緊迫した空気が流れる中、声がした。

怪物どもに包囲された大木の下。剣を構えたふたりの隣に、先ほどの声の主である少女がまるで風のように現れる。

突如戦場に乱入してきた少女の姿に、怪物どもはおろか剣士の男女さえも驚きを隠せなかった。

「風子……参上」

月風妖魔伝

薄茶色のローブを纏った小柄な少女は、周囲の者たちが驚いている間に懐から星の形をした木製の武具を取り出して天に掲げた。

「必殺……ヒトデヒート!」

少女が呪文を唱えると、星形の武具が熱を帯びたように赤く染まっていく。それはまるで、異世界の海に棲むと言われる星形の生物の姿を思わせた。

「実は風子、この辺の至るところに可愛いヒトデの彫刻を隠しておきました」

掲げた手を下ろし、少女が怪物どものほうに向けて一歩を踏み出す。怪物どもは威嚇か怯えか、獣のような低い唸り声をあげている。

「まぁまぁ、落ち着いてください。慌てなくてもちゃんとみなさんの分、ご用意してありますよ」

赤く染まった星形の武具を手に、少女は一歩、また一歩と前に進んでいく。

「でもまあ、たくさん欲しい人はがんばって探したほうがいいでしょう。中にはサイン入りの『当たり』も存在しますので……」

少女が前進するごとに、その方向にいた怪物がじりじりと後退し、剣士の男と女、そして少女を包囲していた怪物どもの輪が少しずつ崩れ始めていた。

「では、ヒトデヒート……スターーーート!」

少女が号令をかけると同時に、怪物どもは狂ったような雄叫びをあげて周囲に散らばり、やがて少女の言った『当たり』を巡ってか、同士討ちが始まっていた。

「今のうちに……こっちです」

少女が剣士の男女のほうを振り返って言う。仲間割れを続ける怪物どもを尻目に、ふたりは少女の導きに従って素早くその場から離脱した。

大木が小さく見えるほど遠くまで離れたところで、少女は後方を振り返って星形の武具を再び天に掲げる。

「ヒトデヒート……エンドッ!」

少女の声と同時に轟音が響き渡り、遠くに見える大木の周囲に複数の火柱が上がった。大地を揺らすほどの衝撃が、遠く離れたこの場所にまで伝わってくる。それに煽られて、風もその強さを増して吹き抜けていった。

やがて遠くの爆炎が小さくなっていくに連れ、平原は再び静けさを取り戻していく。吹く風も穏やかに草木を揺らし、音を奏でていた。

呪文の効果を発揮し終えたからか、赤く染まっていた星形の武具は少しずつ元の色へと戻っていく。

大木付近にいた多数の怪物は、少女の呪文によってすべて消し飛ばされていた。これでここら一帯に彼女らの敵はいなくなったことになる。

すっかり元の木の色に戻った武具を掲げていた手を下ろし、少女は剣士の男女のほうを向き直る。

「助かった」

「礼には及びません」

男は少女に礼を言い、剣を収める。女も軽く息をつくと、刃についた怪物の血を払うように軽く一振りしてから剣を鞘に収めた。

「だが、なんで来たんだ。おまえには団長を守る役目があるだろ」

「ともちゃんに言われて持ってきました。魔法器の封印に役立つはずです」

少女は懐から何枚か札を取り出すと、男に手渡した。呪符と呼ばれる、術者の魔力が込められた札である。

「そういうことか……。なら、ありがたく使わせてもらおう」

少女から呪符を受け取った男は、半分を自分の懐にしまって残り半分を女に手渡す。それを受け取った女剣士は、目を細めて遠くを見ながら口を開いた。

「陽動に成功したとはいえ、まだ本拠地にはかなりの数の獣人どもが残存しているはずだ」

「確かにな。鷹文たちと合流して俺たちも行くか、智代」

「ああ」

「行くんですか」

再び戦地へ赴こうとする男の背に、少女が呼びかける。

「心配すんな」

「心配なんてしてません」

反射的に返した少女の言葉に男は笑みを浮かべ、その頭に軽く手を載せた。

少女は頭に手を載せられることが好きではなかった。これまで男が載せようとした時も、手で払いのけていたほどだ。背がこれ以上伸びなくなってしまうのではないか、と本気で思っていたからかもしれない。

だが今は……男の顔を上目遣いでじっと見つめて、その手の温もりを感じていた。

どれくらいの間、そうしていたのか。やがて、その温もりが離れていく。

「じゃあ行ってくるな」

「必ず、帰ってきてください。約束です」

「ああ」

男は軽く左手をあげて、女と共に死地へ向けて走り出す。

少女は手に持った星形の武具をぎゅっと握って、男を見送った。

その後ろ姿が見えなくなるまで、ずっと……。

☆☆☆

二年前、この大陸で大規模な戦があった。

ある時、大陸中央部に突如として出現した獣人と呼ばれる種族。その獣人と人類との間に起こった種族間闘争。

のちに獣人戦争と呼ばれるその戦いは、人類に大きな犠牲を出しながらも四人の英雄の助力によって終焉を迎えることになる。

いずこからか現れたその四人は、自らの保有戦力のみの義勇兵団を率いて、各国の軍勢を容易に倒すほどの力を持った獣人軍を次々と打ち破り、滅亡の危機に瀕していた人類に希望の光をもたらした。

四人の英雄を三人まで失うほどの激しい戦いであったが、獣人軍は滅亡し、結果は人類の勝利に終わった。

世界を救った四英雄……。

義勇兵団の団長である魔術師の少女「とも」

兵団を統率する指揮官である少年「鷹文」

鷹文を守護し、分隊を指揮した近衛騎士「智代」と「朋也」

四人のうち、獣人軍との最大の戦いで相次いで戦死した三人の英雄は、その死を悼んだ王国が聖騎士廟と呼ばれる立派な墓を建立し、功績を称え丁重に弔ったという。その名は人類の歴史が続く限り、後世に渡って語り継がれていくことだろう。

ただひとり生き残った魔術師「とも」は、獣人戦争終結後、王国に宮廷魔術師として迎えられるが、己の強大な魔力が人間の欲望に利用されることを避けるため、何も語らず国を出奔、その行方はようとして知れなかった。

そしてもうひとり……近衛騎士「朋也」に影のように付き従い、共に最前線に立ち続けた少女がいた。

少女は主亡き後、再起した王国の軍勢と獣人の残存勢力との激戦地に風のように現れ、手にした星形の武具を使い、未知の呪文を繰り出して獣人どもを打ち倒しては、次の戦地を求めて風のように去っていったという。

戦災の傷跡から復興しつつある、王都の城下町。

町外れの森を抜けた小高い丘の上に、立派な墓が建てられていた。

三つ並ぶように建てられたその墓石には、異国の文字でそれぞれの名が刻まれている。

その丘の頂へと続く長い、長い坂道を登っていくひとつの人影があった。

薄茶色のローブを纏い、頭もフードで覆われているため、種族も性別もわからない。足音も立てずに歩くその姿から、ローブの下に異国のものらしき衣服を着ているのがかろうじて見える程度だ。

そのローブも汚れがひどく、一見、物乞いのようにも見える。その者が向かっていると思われる立派な墓と比べて、あまりにも不釣り合いな格好だった。

その者は墓前に辿り着くと、頭部を覆っているフードを固定していた布を取り外す。同時に、丘に吹く強い風がフードを取り払った。

ぱさりと音を立て、流れるように長く美しい髪が露わになる。後ろ髪をリボンで結んだその姿は、まだ少女と呼んでも差し支えないほど無垢だった。

少女は墓前に座り込んで手を合わせると、墓石に刻まれた名をじっと見つめる。

「約束は守ってくれませんでしたね……」

少女は哀しみとも悔しさとも取れる表情を浮かべ、ぽつりと呟いた。

「あなたには一番最初にあげたのですが……」

そう言って、懐から星形のものを取り出す。

木製のその武具は、少女がこの墓の主と共に戦った証でもあった。

「特別にもうひとつ差し上げます」

少女は墓前にその武具を捧げて立ち上がり、もう一度主の墓を見つめて笑顔を浮かべた。

「ありがとうございました……」

笑顔を浮かべていた少女の顔が、まるで泣き出すように一瞬震える。

だがそれは気のせいだったのか、少女は最後まで笑顔のままでいた。

やがて少女は墓に背を向け、空を仰ぎ見る。ここに辿り着いた時と風向きが変わり、雲行きも怪しくなってきていた。

向かい風が吹く中を、振り返ることなく少女は歩き出す。

一段と強い風が吹き、墓前に捧げられた星形の武具にひとしずくの水滴が染み入った。それは降り始めの雨だったのか、それとも……

☆☆☆

大陸最東端を分かつように縦断する前人未踏の山脈。

その猛々しく連なる山々のひとつ、名も無き山の奥地に古びた小屋があった。

四英雄最後の生き残りである魔術師「とも」の住まいである。

魔術師は人の手の入らぬこの場所で、細々と魔術の研究を続けていた。

延齢の秘術をかけすぎたために見た目はロリな魔術師だったが、獣人戦争において義勇兵団団長を務めたその腕は確かで、後世では禁呪と呼ばれる数々の魔法を使いこなし、伝承によると『時を越える魔法』をも修得していたと言われる。

魔術師が小屋での暮らしを始めて一年……。前人未踏の地であるはずのこの小屋に、初めての来訪者があった。

全身を薄茶色のローブで覆ったその姿。この者こそが、獣人戦争で戦死した四英雄のひとりである近衛騎士「朋也」に遣えていた少女であった。

「久しぶりじゃの。もう一年になるか……」

姿に似合わぬ威厳ある口調で、魔術師が杖を突いて立ち上がる。

「んーっ、可愛いですっ」

「こ、こらっ、抱きつくでない! こんなことをするためにわざわざ会いに来たのではなかろう」

いきなり抱きついてきた訪問者を魔術師が引っぺがす。

少女ははっと我に返った。

「はっ。そうでしたっ」

「わたしに会いに来た目的は、言わずとも大方の見当がつくが……」

「そうですか」

「覚悟はできておるようじゃな」

魔術師に問われ、少女は無言でこくんと頷く。

「わかっておると思うが、おそらく記憶まで持っていくことは叶わぬじゃろう。我らがこの時代に来たときとは状況が違うのじゃ。"世界"が異なるのじゃからな。それに……おまえが戻ったところで、またすべては同じ結果になってしまうやもしれん。それでも行くのか?」

「はい」

即答だった。

魔術師は不思議に思う。近衛騎士の男と、目の前にいるこの少女との間にどれほどの絆があるのか。

ふたりの関係を周囲の者は誰も知らなかった。男と最も親しい仲であった同じ近衛騎士の女ですら、少女の素性は知らないようだった。

それでも……この少女は共に戦場を駆け、最後まで生き抜いた唯一の仲間であり、その能力ゆえに畏怖の目で見られることの多かった魔術師にとって数少ない――今となっては唯一と言っていい――普通に接してくれる友人であった。

「……わかった。決意は固いようじゃな。同じ結果が繰り返されたとしても、いつか終わる時が来る。そう信じて進むがよい。奴の力になってやれ」

「はい」

「おまえの主は幸せ者じゃの……」

そう言って軽く微笑んだのを最後に魔術師は表情を引き締め、自分の背丈よりも長い杖を両手で頭上にかざした。

魔術師が呪文を唱え始めると、掲げた杖の先に飾られたまるで炎のような宝玉がまばゆい光を発し、魔術師の前に立つ少女の足元に魔法陣が浮かび上がる。少女を中心に五芒星が描かれ、その周囲を円が囲んでいった。

「超ド級高位魔法……デロリアン!」

魔術師が掲げた杖を勢いよく振り下ろすと、円で囲まれた五芒星が輝き出し、その中心にいた少女がぼんやりと光り始めた。呪文が発動を始めたのだ。

ぱさり。

音を立てて、薄汚れたローブが床に落ちる。

その下に着ていた異国の衣装と共に、少女の身体がうっすらと消えていく。

呪文の詠唱を終え、額の汗を拭う魔術師に向けて、消えゆく少女は笑顔で言った。

「ありがとうございました……」

その言葉を最後に、少女は"この世界"から姿を消した。

☆☆☆

眩しい光が窓から差し込んでいる。

何かを教える場所だろうか。その部屋には、たくさんの机と椅子が整然と並べられていた。

静まり返ったその部屋の中、窓際の机に顔を伏せ、眠っているひとりの少女がいた。

やがて少女は、まるで長い眠りから覚めるように……ゆっくりと目を開く。

「なんだか、長い夢を見ていた気がします……」

顔を上げ、そう呟いた少女は懐から古びたナイフを取り出すと、傍らにあった木片を手に取って彫り始めた。

それは彼女が"ここ"に来てからずっと、ひとりで続けてきた行為だった。

しばらくすると、窓の外から声が聞こえてくる。この建物の外で、何やら騒ぎが起きているようだった。

「てめぇらの仇はこっちだ、ばーかっ!」

男の大声が建物内に響き渡る。その声は、懸命に木片を彫っていた少女の耳にも届いた。

「!」

その瞬間、少女はガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がり、部屋を飛び出して建物の外に向かって走り出した。

建物の外に広がる中庭。

緑多きその場所に、一際その存在を主張する大きな木が立っている。

吹く風が枝葉を揺らすその木の下で、多数の荒くれに囲まれている男女の姿があった。

男は荒くれどもをおびき出すためにかなり走ってきたため、息を切らせていた。女は多数の荒くれを前にしても一歩も退くことなく、身構えている。

「時間がかかりそうだな……」

女はそう呟くと、右足を軸にして間合いを測るように拳を構えた。男のほうもなんとか息を整えて、身構えてみせる。

「猫の手でも借りたいっていう状況のようですね」

緊迫した空気が流れる中、声がした。

荒くれどもに包囲された木の下。ふたりの隣に、先ほどの声の主である少女がまるで風のように現れる。

突如戦場に乱入してきた少女の姿に、その男……『朋也』と、女……『智代』は驚きの表情を見せた。

「風子……参上」

少女は自分の主と、何度目とも知れぬ再会を果たした。

To be continued to FuukoSanjyou in TomoyoStory......

-----

感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

---

後書き

そんなわけで、今回も風子のお話です。にしなどなのにね。

どうやら風子が一番書きやすいキャラのようです。Clannadryでも風子とのやり取りが一番楽に書ける。

三人称のシリアスっぽいものに挑戦してみましたが、とても難しかったです。アニメの智代編を見て、久しぶりに智代アフターをプレイした後、書き出したんだから……半年以上かかってるね。時間かかりすぎ。

シリアスといっても設定は無茶ギャグなので、D&Tはゲーム内ゲームなんだから現実と繋がるわけねーだろ、というツッコミは出そうになっても呑み込んでくれぃっ。