車窓の向こう側。移り変わる景色がゆっくりと止まっていく。
車掌がくぐもった声で停車駅の名を告げ、間もなく列車はホームに停車した。
席を立ち、大きめのバッグを肩に掛けると、私は開いたドアをくぐって大地に降り立った。
『それじゃりえちゃん、名残惜しいけど、そろそろ行くよ』
『うん、がんばってね。それと、体には気をつけてね』
『ありがとう。りえちゃんも元気で……』
『いってらっしゃい、すーちゃん……』
『うん……』
『……』
『あのさ……』
『なぁに?』
『絶対に夢を叶えてみせるから。そうしたら私……』
あの別れの日……。
それから三年の月日が流れて……
私は再び帰ってきた。
大好きな人の住む、この町に。
「帰ってきたぞぉーーーーーーっ!」
♪最終回外伝「ROOMMATE ~光輝く朝に~」
…………。
ようやく解放されて、改札口をくぐる。
思わぬ時間を食ってしまった。待ち合わせの4時もとっくに過ぎてしまっている。
まったく失礼な駅員さんだ。誰が不審者だっての。
「駅のホームで大声を出してたら、誰だって不審者だと思うよ。外まで声が聞こえてたし」
聞き違えることのない、鈴の鳴るような声。私は空気を切る勢いで顔を上げた。
「りえちゃん!」
「おかえりっ、すーちゃん」
夢にまで見たその姿は、三年前と少しも変わらず可愛い……いや、むしろ美しいと言うべきか。
感極まった私は、思わずりえちゃんに抱きついていた。
「わっ、どうしたの?」
「や、久しぶりだからつい……」
「もう、昨日電話で話したばかりじゃない」
「何言ってんのっ。電話じゃあ、りえちゃんの感触も匂いもないじゃない」
「……」
りえちゃんが数歩後ろに下がった。引かれてしまったようだ。
「ま、まぁ、積もる話もあるけど、それは家に着いてからにしましょ」
「そだね」
りえちゃんの後について駅前を歩く。周囲には、私がこの町にいた頃にはなかった高層ビルが建ち並んでいた。
「駅前も変わったね……」
「山側の幹線道路が開通してからはどんどん変わっていってるよ。中学の時にすーちゃんと毎日歩いた砂利道も、今はアスファルトが敷かれちゃってるんだ……。あんまり車なんて通らないのに……」
「そっか……」
以前はどこにいても空を見渡せていた景色が、ビルによって遮られている。昨日まで私が暮らしていた町では当たり前の景色だったが、久しぶりに帰ってきた故郷の風景が大きく変わっていて、なんだか寂しい気持ちになった。
りえちゃんと一緒に歩いた思い出の道が今はもうないということが、その気持ちをさらに大きくする。
少し歩いたところで、見慣れた風景が目の前に広がった。『楽市通り』と書かれたアーチが見える。
この辺はあまり変わってないな……。なんとなくほっとしながら、見覚えのある駐車場に足を踏み入れる。
「りえちゃん、車買ったんだ」
「うん、ローンだけど」
「私なんて免許も持ってないよ……」
「でも三年前に言った通り、夢を叶えたじゃない。私なんてまだまだだよ」
「りえちゃんならすぐだって」
「だといいけど。まぁ乗って」
車の種類とかは私にはさっぱりわからないけど、りえちゃんにぴったりの小さくて真っ白な車だった。
反対側の扉から助手席に乗り込むと、バッグを後部座席に置く。りえちゃんは手慣れた様子で運転席に着いた。
「シートベルトはしっかりしておいてね」
「うん、わかってる」
「じゃっ、とばすよっ!」
「……へっ?」
うわああああああああぁぁぁぁーーーーーーっ……
………………。
…………。
……。
「すーちゃん、着いたよ」
……はっ。耳元に聞こえるりえちゃんの声で、私は目を覚ました。
「長旅で疲れてたみたいだね。ぐっすり眠ってたよ」
笑顔でりえちゃんはそう言うが、ちょっと待て。さっきまで意識飛んでなかったか、私。
発進した瞬間、ものすごい勢いで後ろに引っ張られるような感覚がして……世界が真っ白に染まっていったような……
いや待て、のんびり屋のりえちゃんがそんなにスピードを出すはずがない。
りえちゃんの言う通り、長旅で疲れてたんだな。そうだ、そうに違いない、もう決ーめたっと。
気を取り直して車を降りると、そこは地下駐車場らしき場所だった。
薄暗い照明の中をりえちゃんについていき、突き当たりにあったエレベーターに乗る。
「五階だったっけ?」
「うん。ベランダからこの町を見渡せるんだよ。私のお気に入り」
「へぇ……」
五階のボタンを押して、階数表示を見上げながら話す。現在位置は一階と二階の間の小さい丸に点灯していた。どうでもいいけど、なんでエレベーターに乗ると階数表示画面を見上げちゃうんだろうね。
……って、よく考えたらりえちゃんと密室でふたりっきりじゃないかっ!
…………。
沈黙がやけに長く感じる。
横目でりえちゃんを窺うと、じーっと階数表示を見上げていた。
…………。
ふぅ……なんか無駄に汗をかいてしまった。
突然エレベーターが止まって密室に閉じ込められるというハプニングも特になく、無事エレベーターから降りて廊下に出ると、階下に広がる景色に目が行く。
車で移動している間にすっかり夕方になってしまったようだ。夕焼けの朱に染まったその景色の中に、一際目を引く白い建物があった。
「あれは……病院かな?」
「え? ああ、そうだよ。渚さんに聞いた話だと、椋さん、今はあの病院で働いてるんだって」
「看護師か……仕事キツそうだなー」
りえちゃんがひとつの扉の前で立ち止まり、手に持った鞄から鍵を取り出す。
507号室。どうやらここがりえちゃんの……そして、今日から私がお世話になる部屋のようだ。
「それじゃ、どうぞ上がって」
「お邪魔します……」
「なんだか他人行儀だね。いつもみたいに頭から突っ込んできてよ」
「いや、そんな真似したことないから」
「でも、今日から一緒に住むんだよ」
そう言われて、はっとする。
そうだ……ルームシェアと言えば聞こえはいいけど、端的に言ってしまえば同棲なんだよね。
…………。
むむっ、いかんいかん。新しい生活のはじまりだってのに、私ってば何不謹慎なことを考えてるんだっ!
「そ、それじゃあ……ただいま」
「うんっ。おかえり、すーちゃん」
りえちゃんの笑顔に迎えられて、私は部屋に上がった。
私物が詰め込まれた重たいバッグを置いて、一通り部屋を案内してもらう。
昨日まで住んでいた寮と比べてしまうからか、思っていた以上に部屋は広かった。以前りえちゃんが電話で言っていたけど、確かにひとりで住むには広すぎるかもしれない。
ふと目を向けた棚の上に、ヴァイオリンケースが置いてあった。長い年月を経て色褪せてはいるが、綺麗にされている。
このヴァイオリンは、りえちゃんにとってすべてだった。私なんかが割って入る隙間などないくらい、大切なものだった。
りえちゃんはそのすべてを、失った。
それからいろんなことがあった。苦しいこと、悲しいこと、つらいこと……。
でも今はこうして、失ったものと向かい合っている。自分のことのように嬉しい。
りえちゃんにとってのヴァイオリンがそうであったように、私にとってはりえちゃんがすべてだと言っても過言ではないから。
口が緩んでいくのを感じながら、ヴァイオリンを眺める。ケースの隣には、木でできた彫刻が立てかけてあった。
「何これ?」
「可愛いでしょ? 高校の時、もらったんだよ」
「りえちゃんってば、隅に置けないな~」
「そんなんじゃないよ。確か女の子にもらったんだと思うし……あれ? でも、すーちゃんも持ってなかった? これ」
「え?」
木彫りの彫刻をまじまじと見つめる。手裏剣の形をしたその彫刻は、いかにも手作りといった感じだ。私の知らないところでりえちゃんに手作りのプレゼントなんて……ん?
……。
「そういえば……なんか見覚えがあるような気もするけど……」
「でしょ? すーちゃんもその場にいた時と思うんだ」
もしかしたら、実家に置いてあるかもしれない。りえちゃんと違って物持ちのいいほうじゃないから、どうなってるかわからないけど。
夕日が差し込んでいるベランダの外に何気なく目を向ける。りえちゃんのお気に入りであるその景色は、なぜか懐かしい感覚がした。
私物の整理を済ませると、りえちゃんにささやかな歓迎会をしてもらった。
思い出話に花を咲かせながら、目の前に並べられたおいしそうな料理を平らげていく。りえちゃんとの久しぶりの食事をたっぷりと堪能した。
「ごちそうさまっ。いやぁ、おいしかった」
「よかった……張り切って作った甲斐があったよ」
空になった食器を下げていくりえちゃんを手伝おうとすると「今日は疲れたでしょ?」とやんわり断られてしまった。
退屈だ。仕方なくテレビをつける。見たい番組も特にないので、チャンネルはそのままでぼんやりと眺める。
最近のバラエティ番組はつまらないな。いちいちセリフに合わせてテロップ出しすぎ。それがないと何喋ってるかわからないようなら、発声練習からやり直したほうがいい。適当にボタンを押してチャンネルを変える。
『正解はCMの後っ!』
チャンネルを変える。
『この後もまだまだ続くよ!』
時計を見る。現在8時45分。嘘つけ。チャンネルを変える。
『なんでやねん!』
なんでやねん。チャンネルを変える。
テレビに向かっていちゃもんをつけながらチャンネルをころころと変えていると、後片づけを終えたりえちゃんが台所から戻ってきた。
「そろそろお風呂沸くよ~」
「お風呂まで先に入るのはさすがに気が引けるよ」(りえちゃんの残り湯がいい)
「それじゃあ……一緒に入る?」
「!」
な、なな、ななな、なななな、ななななな、なななななな、ななななななな……なんて嬉しい提案!
りえちゃんと一緒にお風呂……
…………。
……はっ、想像してしまった! たまらんっ!(この間、わずか0.247秒)
私は痙攣するかのように首を縦に振りまくった。
「冗談だよ。ふたり一緒に入れるほど広くないんだ」
「あ……そう……」
ずーん、と一気に奈落の底へと突き落とされた。
無理してでもふたり一緒に入りたいっ!……と、私の本能が告げているが、りえちゃんと離れていた三年間で培った理性が本能を抑え込む。
結局りえちゃんに押し切られる形で、私が先に入ることに。
確かにふたりで入るには狭すぎる湯船に浸かって、これからのことを考える。
しばらくは稽古通いの日々だろう。明日からは新しい場所で精進に励むことになる。
不安はない。自信が持てたからこそ、ここに帰ってきたのだから。
りえちゃんとの再会を思い描いて頑張り続けた、三年という日々。私にとって長い、長い年月だった。
これからはすぐそばにりえちゃんの笑顔がある。今まで以上に頑張れるだろう。
「よしっ」
気合いを入れて、風呂から出る。
「お先に~。あぁ……いいお湯だった」
「相変わらず早いね。もっとゆっくり浸かってないと疲れが取れないよ」
入れ代わり、りえちゃんが立ち上がる。
「それじゃ、私も入ってくるね」
「うん」
持ってきたバッグの中からドライヤーを取り出そうとしていると、カチャ、と戸が開く音が聞こえた。
……。
思わず聞き耳を立ててしまう。
こ、この状況は……やばい。昔、りえちゃんの家にお泊まりした時とは違う、ふたりきりという状況……。
…………。
じりじりと膝を擦らせて風呂に近づく。
バタン、と戸が閉まる音にびっくりして元の位置に戻る。
……はぁ、何やってんだろ、私。初日からこんなに舞い上がってたら身がもたないよ……。
「あぁ……いいお湯だった」
カラスの行水だった私とは対照的に、相変わらずかなりの長風呂なりえちゃんがようやく風呂から出てきた。
長い髪を持ち上げてタオルで結んでいる風呂上がりのりえちゃんは、そこはかとなく艶やかさを醸し出している。普段は髪に隠れて見えないうなじが色っぽい。
髪を乾かしたり、軽く飲み物を飲んだりしている間に夜も更けてきた。
歯磨きを済ませると、ふたりそれぞれのベッドに寝転がって就寝前のおしゃべり。
この部屋には、もともとベッドがふたつ備えつけられていたらしい。向こうでは万年床だったから、私は別に地べたで寝ても構わないんだけど。
「りえちゃん、まだその枕使ってるんだ」
「この枕じゃないと眠れないから……」
こういう少女趣味というか、子供っぽいところは変わってないなぁ。見た目は少し大人っぽくなったのに。
だがそれがいい。ギャップ萌え!
「明日も早いし、もう寝よっか」
「そだね」
「目覚ましは6時でいいよね」
「いや、早いよ……9時からだし。りえちゃんもでしょ?」
「そだよ」
ああ、思い出したっ。『りえちゃん時間』だ。相変わらず寝癖を直すのに一時間以上かかってるのか……。
納得したところで消灯。なんだかんだ言っても疲れていたのか、私はすぐに深い眠りへと落ちていった。
*
翌朝。
私が目を覚ました時には、りえちゃんはすっかり寝癖を整え、朝食も作ってくれていた。
これまでは目覚まし時計がなくても自然に起きることができてたはずなのに……。環境が急に変わったからか、それとも思った以上に疲労が溜まってたのか……ともかく、寝起きの悪いりえちゃんを優しく起こす、という私の計画は失敗した。
「いただきまーす」
「はい、召し上がれ。私もいただきます」
食卓につくと、ふたり手を合わせて食べ始める。朝はいつも時間がなくてパンで済ませてたので、白いご飯とお味噌汁といった日本の朝ご飯は久しぶりだった。
「やっぱり枕が変わるとあんまり眠れなかった?」
「そんなことはないと思うんだけどな……」
食事を終えると、今度は後片づけをちゃんと手伝ってから出かける準備を始める。
今日のりえちゃんは、昨日迎えに来た時の少女趣味な服と違ってシックな服装だ。
着替えを終え、ふたり一緒に玄関を出る。
扉を開けた途端、まぶしい光が差し込んできた。
朝日のまぶしさに、思わず手をかざして空を見上げた。ここからだと遮蔽物もなく、昔と同じように空を見渡せる。
「わぁ……今日もいい天気だよ、りえちゃん」
「本当、いいお天気……」
りえちゃんも空を見上げる。
雲ひとつない青空。ふたりのはじまりの日にふさわしい天気だった。
「ねぇ、すーちゃん……」
空を見上げたまま、りえちゃんが呟くように言う。
「覚えてるかな……高校の時、渚さんから聞いた演劇の話。世界にたったひとり残された女の子の……」
「もちろん覚えてるよ。確か幻想物語だったかな……。でもどうして? 突然」
渚さんと出会っていなければ、今の私はなかっただろう。そういえば汐ちゃんも今年から幼稚園だ。年月というものは本当にあっという間に過ぎていく。
「ううん、ちょっと思い出しただけ」
りえちゃんの視線が"何か"を追っているように見えたが、それは気のせいだったのか、私と目が合ったところでいつもの笑顔を浮かべた。
「じゃ、いこっか」
「うんっ」
心地よい朝の風が吹く中を、私たちは出かける。私は稽古場へ、りえちゃんは今年卒業した音楽大学へ、それぞれが自分で見つけた居場所へと。
久しぶりに帰ってきた故郷は、私の知っている町とは大きく変わっていた。
この町は変わっていく。それがいいことなのか悪いことなのか、私にはわからない。
時の流れは、町だけでなく人も変えていく。りえちゃんだけじゃない……私だって、昔と同じままではいられない。
それでも、たまには思い出したりするのだ。あの楽しかった頃を……。
私はこの町で楽しかった時間を過ごし、その時間と共にいろんな人と出会った。りえちゃん、原田、渚さんと岡崎さん、それに春原……。
これからもたくさんの出会いと別れを繰り返していくだろう。
こうして、人は暮らしていく。
光見守るこの町で。
「よかったら稽古場まで車で送ろうか?」
「……遠慮しとく」
――終わり。
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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!
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♪後書き
アニメ最終回の仁科・杉坂コンビを見て、あの思わせぶりなシーンは何か意味があるに違いない!と脳内妄想を膨らませてみました。と言っても、アニメ感想記に書いた妄想文を広げただけですが。当初はセリフのみの小ネタにするつもりだったんだけど、うまくいかなかったので。
以前雑記でも書いたけど、りえちゃんと杉坂はどうやっても半オリキャラになってしまうので、小ネタでギャグやるならともかくSSっぽく考える場合は難しい。なるべくそういったところが前面に出ないようにしたつもり……いや、出まくってるかも。合わなかったらすまぬ。
話のイメージとしては『町,時の流れ,人』かなぁ。結構長くなっちゃったけど、楽しんでもらえれば幸せだあっ!