「ダメだあっ! もう無理! 歩けないっ」
松葉杖を放り出し、その場に座り込む男の子。
素直ながらも必死さが足りないその態度に、思わず笑みがこぼれる。
「もう根をあげたの? 思ったより根性ないね、キミ」
「な、なにぃ! オレはまだまだこんなもんじゃないぞ! 見てろよっ」
歯を食いしばり自分が放り投げた松葉杖のところまで這っていくと、再び立ち上がる。
微笑ましい姿だった。
トレーニングルームの窓際に設置された席に腰かけ、窓の外に広がる青い空を見上げる。
ボクがこの町に来て十年余り。
その長い、長い月日の間に、いろいろなことがあった。
生きる支えを失い、死への道を歩き続けていたボクは……
この町で生きる支えを得て、この町を生きる場所と決めて……今も精一杯に生きている。
♪CLANNAD 10years after ~勝平~
「ねぇ、お兄さん」
目を細めて空を眺めていると、不意に男の子から声をかけられる。
「ボクのことはリハビリマスターって呼んでよ」
「やだよ、そんな格好悪い呼び方」
ふてくされたようにその場に座り込んで、ぷいとそっぽを向く。相変わらず素直な態度でボクはうれしくなる。
まだ中学生で顔立ちに幼さが残っているこの子は本人曰くサッカー部のキャプテンを務めていて、この足の怪我も部活中に負ったらしい。
スカイラブハリケーンの着地に失敗したとかなんとか……サッカーのことは詳しくないけど、高所から落下した時の衝撃による足首の骨折のようだった。
「あーあ、早くサッカーやりてぇなぁ……」
「もう足は治ってるんだから、あとはキミのやる気次第だよ」
「そのやる気を起こすのが、お兄さんの仕事だろっ」
「違うよ。ボクの仕事はリハビリの手助けをすること。リハビリする気がない人の手助けはしないから」
「そ、そんな~っ」
席を立ってみせると、追いすがるように這ってくる。
「キミはそもそも漢らしさが足りないんだよ。骨折くらい根性で治すのが漢なんだから」
「むちゃくちゃ言ってるな、この人……」
「男に生まれたからには漢を目指すべきだよね」
「その顔で言われても説得力ない」
うっ、人が気にしてることを……。
どうせボクは童顔だ。昔は女の子に間違われたことまである。
女性だったら若く見られてうれしいんだろうけど、男がこの年で童顔なのっていいことないよね。年取ってるだけで偉いみたいな年功序列思考の人に若く見られたりしたらロクなことにならないし。
「漢は見た目じゃないんだよ。内面からにじみ出るものだから」
「にじみ出てたら外見にも表れてると思うけど」
「そんなことより、自分の足で地に立てる喜びを噛みしめよう。男ならあと三往復、あの自動販売機まで歩いてきてよ」
「わかりましたよ、やればいいんでしょっ」
「あ、ついでにジュース買ってきて。炭酸じゃないやつね」
「パシリかよっ!」
***
仕事を終え、我が家に帰ってくる。
ここがボクの帰る場所……夢のマイホームだ。ここに帰ってきた時、ボクは生きている喜びをひしひしと感じることができる。
「ただいま~」
「おかえりなさい」
ドアを開けると、まず最初にボクを出迎えてくれたのは椋さん。ボクの最愛の人で、運命の人。
もしこの町で椋さんに出会わなかったら、ボクはこの町どころかこの世界にすらいなかっただろう。
「お父さん、おかえり~」
ドタドタと元気良く走ってきたのは、長男の俊平。
ボクの小さい頃によく似ていて、足も速い。運動会でも大活躍だった。
将来はマラソン選手になりたいとまで言ってくれている。それがボクには涙が出るほどうれしかった。
もうあの頃のようには走れなくなったボクだけど、その夢は俊平が継いでくれている。自分が叶えられなかった夢を子に託すことができるなんて、あの頃のボクには思いもしなかったことだ。
「おかえりなさーい」
次に姿を見せたのは、次女の若葉。
おしとやかなお姉ちゃんとは正反対のおてんばさん。子供は親の背中を見て育つと言うし、ボクのせいかも……。
「おかえりなさい……」
最後に、控えめに姿を現したのは長女の梢。
こちらは椋さんの小さい頃によく似ていて、おしとやかだけど芯は強い。すごくお母さんっ子で、ずっと椋さんの後ろについてまわっている。
この四人こそが、この町でこれまでボクが生きてきた証、そしてこれからボクが生きていく希望……ボクの自慢の家族だった。
*
「桃太郎の元に戻ってきた鬼は、先ほどの闘いで失った片腕に目を向けて言いました」
「大したことはない、かすり傷だ……!」
「桃太郎は思いました」
「敵に回すと恐ろしいが、味方になるとこれほど頼もしい奴はいないぜ……!」
すーすーと穏やかな寝息を立てて寝入った若葉を見て、本を閉じる。
「おやすみ、若葉」
最後に布団をかけ直すと、電気を切って部屋を出た。
「子供たちはもう寝ちゃいましたか?」
「うん、みんなぐっすり。昔話を聞かせてあげたからね」
「……え?」
椋さんが固まる。
「勝平さんの昔話って……以前梢を泣かせたアレですよね。大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫、気をつけてるから」
「本があるんだから普通に読んでください」
ぴしゃりと言われる。まったくもってその通りだった。
「そうなんだけどさ、椋さんがいつも普通に読んであげてるでしょ? ボクが同じことしても仕方ないかな~、なんて思って」
「もう……また泣かせたりしないでくださいね」
「う、うん。気をつける」
今の椋さんには良妻賢母という言葉がぴったり当てはまる。
後先考えないで行動するボクを時には止め、時には後押ししてくれる。
ボクはそんな椋さんの尻に敷かれていた。
男ならこの状況を喜ぶべきだろう。もちろんボクもうれしい。
この家を買った時もそうだった。
男ならもちろん潔く一括払いだ!……とボクは思ってたんだけど、椋さんに反対されてしまった。ボクはその時、子育てにかかるお金のことをまるで考えてなかったんだ。
この家はローンがまだ十年単位で残っているけど、それもこれから働いていく意欲に繋がる。
もちろん、親として働くだけではなく、今のような家族の時間も大切だ。
お義父さんやお義母さん、お義姉さんの助力もあって、ボクたち家族はそれらをうまく両立できていると思う。
「お茶が入りましたよ」
「あ、うん。ありがとう」
一週間に一度くらいしかない夫婦の時間。
椋さんは看護師として責任ある立場で、その職業柄、働く時間帯も不安定だ。
ボクはリハビリアシスタントとしてがんばっているつもりだ。患者さんのスケジュールに合わせての仕事なので、ボクのほうも時間は安定していない。
自分の足で地に立てる喜びを知っているボクは、その前に立ちはだかる大きな壁を乗り越えなければならないことも知っている。
自分の足を逃げ道にしてすべてを諦めていたボクを救ってくれた椋さんのように……ボクも誰かの救いになりたいと思っている。
「どうかしました?」
いつの間にか、椋さんがじっとこちらを見ていた。
「え? ううん、なんでもないよ」
「…………」
椋さんは黙ったまま、笑顔でボクを見つめている。
三児の母とは思えないほど可愛いその顔に見惚れながら、独り言のように答える。
「ただ、幸せだな~って」
「幸せ……ですか?」
「うん。自分の家があって、子供がいて、愛する妻がいる。こんな幸せでいいのかな、って」
「はい、一枚引いてください」
唐突に椋さんが笑顔のままで扇状に広げたカードを差し出した。
椋さんは占いに関してとても真剣だから、ボクも黙ってカードを引く。
「XIX『TheSun』……太陽ですね。キーワードは幸福、満足、愛情、生きがい……。幸せかどうかは当人がその状況に満足しているかどうかです。小さな幸せも大きな幸せも、その人の感じ方次第です。自分の感じたことを大切にしてください」
心を見透かされているみたいだった。
やっぱり椋さんにはかなわないな……。
ボクは大きな幸せの中にある一抹の不安を口にする。
「ボク、ちゃんと父親できてるのかな?って思うことがあるんだ。ボクは親の温もりを知らない孤児だから……」
「孤児なんて関係ありません。勝平さんは勝平さんです」
きっぱりと言われる。
「冬木さんにも言われたでしょう? 勝平さんは、きっと誰よりも優しくなれるって」
大切な過去と再会したあの日に立てた誓い。
優しくありたい。この町で出会った優しい人たちのように。
ボクは今でも、その誓いを守れているだろうか。
「孤児だったとか陸上選手だったとか……その頃のことはぜんぜん知らなくて悔しく思うこともあるけれど、この町に来てからの勝平さんのことなら私は誰よりも知っています。だから……自信を持ってください」
「ありがとう……」
その言葉に、ボクのすべてをこめた。
最愛の妻へ……
ボクと出会ってくれて、ありがとう。
ボクと一緒に生きてくれて、ありがとう。
ボクをずっと支えてくれて、ありがとう。
最愛の子供たちへ……
こんなボクの子供として生まれてきてくれて、ありがとう。
ボクが未来へ向かって生きていく希望を与えてくれて、ありがとう。
そして……
顔も名も知らないボクの両親に、今なら感謝できた。
ボクを生んでくれてありがとう。
大切な人たちと出会わせてくれて、ありがとう。
――終わり。
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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!
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♪後書き
CLANNAD10周年記念SS第25弾、勝平アフターでした。
勝平は正直言うと苦手な部類のキャラですが、CLANNADという物語の立ち位置としては良いキャラなので、その立ち位置をメインに書いてみました。もちろんこれまで一度も書いたことのなかったキャラなので(Clannadryで登場フラグが立ってるけど)難しかった。
朋也や春原などは悪い点も含めて一キャラクターとして認識できるんだけど、勝平はキャラ造詣に違和感があるせいかそれができなかった。なので自分が苦手な勝平の個性描写を一切せず、なおかつ勝平らしさを出す、という矛盾した状況に苦労しました。