わたしは見ていた。
この世界を。
……さようなら……パパっ……
別れを告げたあの日から、ずっと。
●幻想新世界
わたしは見守っていた。
たくさんの光を。
世界を漂う無数の光たち。
迷わぬよう、不幸にならぬよう、ずっと見守り続けていた。
光たちが、この広くて何もない世界のどこにいたとしても、わたしは見守ることができた。
わたしは"この世界"だったから。
自分が何なのか、この世界が何なのか、それはわたしにもわからない。
それでもわたしは、こうしてずっと……永遠に、光たちを見守っていく。
それがわたしの決めたこと……
この世界に生まれる前に決めたことだから。
*
わたしがこの世界となって光たちを見守り始めてから、どれくらいの時が過ぎただろう。
時の流れというものが感じられないこの世界では、そう考えることさえ無意味なことだった。
何も生まれず何も死なない、終わってしまった世界。
だがそんな世界も、いつからか少しずつ変わっていく。
それは仕方がないこと。
ああ、変わっていくんだなって……そう思うしかないこと。
そんなわたしの諦めにも似た感情とは裏腹に、世界の変化はわたしを驚かせた。
荒れ果てた大地に草木が生え、"獣たち"は草原を駆けまわった。
春が訪れ、光たちは踊るように舞い上がり始めた。
そして世界の果て――わたしが"この世界"となったあの場所――に、ひとつの光が現れた。
光は、ばらばらに砕けた"あの子"に宿り……
再びこの世界に生まれた。
……!
"あの子"の姿を見て、わたしの心は揺らいだ。
それはわたしが"人"であった頃の記憶。
遠い、遠い……温かな記憶だった。
世界となった今でも、わたしは人の心を忘れてはいなかった。
"あの子"が空に向けて……わたしに向かって手を伸ばす。
今度こそ、君を助けに来たよ。
"あの子"に宿った光の声が……パパの声が、わたしの心に届く。
遠い日の記憶が、溢れるようにわたしの心に浮かんでくる。
それはわたしが人としてこの世界で暮らしていた頃の記憶。
温かい思い出だった。
望めば、帰れるのだろうか。
あの、穏やかな日々へ。
"あの子"が伸ばした手……四角いものが組み合わさってできた、擦り傷だらけのその手を、わたしはじっと見た。
わたしにとって、この世界でたったひとつの温もり。
いつしか……わたしは、それを、求めた。
*
じゃ、いこう。
パパの声。
繋がれた手と手。
パパの温もり。
たくさんの光たちが集まってくるのが見える。
わたしたちの周りを舞い踊りながら、わたしたちを包み込みながら、何かを形作っていく。
それは空に光る星のかたち。
水面に広がる波紋のように、"星の光"は空へと広がっていく。
まるで空に道を作るように。
……虹?
いつか見た遠い日の記憶。
雨上がりの空に光る七色の道筋。
光に包まれたわたしたちは、空へと舞い上がっていった――。
∽∽∽
わたしたちを包むように広がっていた眩しい光が徐々に収まり、それと共に少しずつ視界が広がっていく。
最初に見えたのは、大きな木だった。
風が吹いているのか、枝葉がゆらゆらと揺れているのが見える。
光の眩しさが完全になくなると、わたしの周りに木漏れ日が差し込んでいるのがわかった。
そしていつの間にか、手を繋いでいたはずの"あの子"の姿が見えなくなっていることに気づいた。
わたしの手には、まだその温もりが残されている。
世界でたったひとつの温もり。
残された温もりを惜しむように手を開くと、そこには"あるはずのないもの"があった。
「……ろぼっと」
それはわたしにとって、何よりも大切なもの。
――初めてパパに買ってもらったもの。
大切……だったもの。
――あの日、なくして……見つからなかったもの。
世界でたったひとつの温もりをくれたもの。
――わたしが"あの子"のために組み上げて作った、人の形をしたもの。
「……ひとりじゃ……なかったんだ……」
わたしは見守っていた。
たくさんの光たちをずっとひとりで見守ってきた――そう、思っていた。
でも、そうじゃなかった。
わたしはひとりじゃなかった。
ずっとずっと、一緒だったんだ。
別れを告げたあの時からも、ずっと。
この温もりと木漏れ日に身を委ね、わたしは目を閉じた。
「楽しいことは……」
「……これから始まりますよ」
誰かに呼ばれたような気がして、目を開く。
大きな木、木漏れ日、吹く風、てのひらの中にあるろぼっと。そして……
目の前に、人が立っていた。
この世界に以前のわたしと同じような存在がいる。その驚きも喜びも表せないまま、頭に浮かんだ言葉を口に出す。
「呼んでいたのは……きみ?」
「はい、風子です」
その子は最初、木の陰から顔だけを出してわたしを見ていた。
わたしの声に答えると、木陰から出てその姿を見せた。
「あなたのお名前はなんていうんですか」
「……名前……」
「はい、教えてください」
……わたしの名前。
久しく呼ばれていなかった言葉に、遠い記憶が呼び起こされた。
「……うしお」
「うしおちゃん、ですか」
「……うん」
「ではうしおちゃん。風子とお友達になって、一緒に遊びましょう」
そう言って、その子は笑顔でわたしに手を差し伸べてくる。
吹く風に後押しされるようにして、わたしはその子の手を取った。
初めて手にしたはずの"人"の手なのに……
その手の温もりをわたしは知っている気がした。
*
この世界で初めて出会ったわたし以外の"人"、風子という女の子。
その後に現れた――風子という子が言うには姉という存在――公子という女の人。
そして新たに白い服を着た女の人が姿を現したことで、わたしは不安に駆られた。
ここはきっと、わたしのいた世界ではない。
わたしはパパの手を求めてしまった。もうひとつの世界に来てしまったんだ……。
このままでは、たくさんの光たちが不幸になる。
世界であるわたしがいなくなってしまったら、"あの世界"はなくなってしまう。
「……うん、わかった。病院の隅にある小さい林のところで待ってるから、お姉ちゃんは他の人たちにも連絡しておいて」
どうしたらいいのかわからず混乱しているわたしをよそに次々と人がやってきて、わたしの名前を呼んだ。
「汐ちゃんっ!」
「汐!」
「よかった……」
たくさんの人がわたしを見ている。
どれも泣いているような笑っているような……なんとも言えない顔をしていた。
「パパとママがおうちで待ってるから、汐ちゃんはおじいちゃんたちと帰りましょうね」
「くあっ……じいさんじゃねぇ! アッキーと呼んでくれ」
「はいはい、わかりましたからおふたりは早く帰ってあげてください。朋也も渚もめちゃくちゃ心配してたんで」
「本当にありがとうございます、先生」
「いや……まぁ、あたしもじっとしてられなかったので……」
手の中にあるろぼっとをぎゅっと握りしめる。
まだそこには温もりが残されていた。
「風子もいきますっ」
「ふぅちゃんはこれから検査でしょ?」
「忘れてましたっ。残念ですが仕方ないです。では汐ちゃん、今度また遊びましょう」
「……うん」
はじめての"友達"にそう答えると、わたしは手を引かれて歩き出した。
人の手の温もりが感じられる。
それでも、わたしの不安な気持ちは治まらなかった。
*
「ついたぞ、汐」
そう言われて入った建物の中。
目に涙を浮かべたふたりが、わたしの前にいた。
さっきの人たちと同じように、泣いているような笑っているような顔をしていた。
「汐っ!」
「しおちゃんっ!」
ふたりを見ていると、わたしの中から何かが湧きあがってくるようだった。
この感情を、わたしは知らなかった。
いや、知っていたけど長らく忘れていた。
「おかえりなさい……」
「おかえり……汐」
ああ……ここが、わたしの居場所なんだ。
心から溢れ出す感情を抑えることができず、わたしの目から大粒の涙がこぼれた。
堪えきれずに目を閉じると、光たちが舞い上がっているのが見えた。
信じられない光景に両手で目をこすり、改めて目を開くと、窓の外に光たちが舞い降りているのが見える。
このふたつの光景を見て、ようやくわたしは自分に起こっていることをすべて理解した。
わたしも、ふたつの世界に存在するようになったこと。
そして、それこそがパパの……もうひとつの世界を共に旅した"あの子"が望んだ奇跡だということを。
「……ただいま……」
わたしは"世界"として、これからもずっと光たちを見守っていく。
そして同時にわたしは……
「……パパっ、ママっ」
"岡崎汐"として、今、この世界に生まれた。
――終わり。
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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!
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●後書き
CLANNAD13周年記念、幻想世界の少女エピローグ補完SSでした。
光を13個集めたことによって新しい未来への道が開け、世界となった幻想世界の少女は汐と意識が同化することでひとりぼっちではなくなりました、めでたしめでたし……という、トゥルーエンドの個人的解釈です。
今回SSで書いた幻想世界関連の部分は人によって解釈が異なるところもあると思いますが、少しでも共感できるところがありましたら嬉しいです。