「もしよろしければっ……風子のお友達になってくださいっ」

勇気を出してヒトデを渡したあの日から……風子の世界は広がっていきました。

それもみんな、最初にヒトデをプレゼントした岡崎さんと渚さん、そして……

……春原さんのおかげでした。

季節は春。

風子がこの学校に帰ってきて、最初の春です。

そして来月から風子も2年生……上級生になります。実を言うと出席日数がかなりやばかったのですが、補習を受けることで留年はかろうじて免れました。

これまで「後輩は先輩の言うことを黙って聞く」という春原さんの先輩風ぴゅーぴゅーに耐えてきた風子ですが、これからは風子が先輩風をぴゅーぴゅー吹かす番のようです。

そして今日は卒業式。風子が後輩として先輩たちを見送る日です。

今日という最後の日を、特別な一日を……風子はずっと笑顔でいたいと思います。

春風の旅立ち

……と思っていたんですけど、風子は今、学校に向けて全力で走っていました。やばいくらいに遅刻ですっ。

なぜ風子がこんな目に遭っているかというと、これにはとても深い事情があります。

実は今日、おねぇちゃんは早朝から出かける用事があって留守でした。昨日の夜、おねぇちゃんに「大丈夫? ひとりで起きられる?」などと心配されてしまったのですが、さすがにこれには風子も「異議あり!」と指を差して異議を唱えました。風子、もう子供じゃないです。半分くらい大人なんだよ……って、エッチですっ。

話が逸れましたが、風子は心配性のおねぇちゃんを安心させるために目覚まし時計をセットして寝ることにしました。このヒトデ型の時計は風子もお気に入りなんですが、結構高かったです。安心もただでは買えない、ということでしょうか。ともかく、これでおねぇちゃんも一安心です。

ですが、なんということでしょう。朝になって風子が目を覚ますと、セットしたはずの目覚まし時計のアラームが止まっていたのです。しかも時間がとてもやばいことになっていました。これは大事な日に風子を遅刻させる何者かの陰謀に違いありませんっ。

そんな込み入った事情もあって、風子は食パンをくわえながらの遅刻少女スタイルで登校するはめになりました。いつもおねぇちゃんに「口に物を入れたまま歩き回ったら行儀悪いよ」と言われている風子ですが、今回ばかりは非常事態なので仕方ありません。

誰もいない通学路を走り抜けて長い坂道を登り、校門を抜けたところで、教室ではなく直接体育館に行っていまおうと思いつきました。妙案です。風子は卒業式が行われている体育館のほうへと足を向けて走り出しました。

体育館へ向かう途中、前庭で見慣れた姿を見かけました。春原さんです。

以前はもっと遠くからでも一目でわかるくらいにヘンな色の頭をしていた春原さんでしたが、なぜか今年の冬頃から髪の色が普通になりました。冬眠のために脱皮したのでしょうか。ともあれヘンな頭じゃなくなったので、春原さんへの呼称は「ヘン原さん」から「春原さん」に戻しています。

その春原さんは大きな木にもたれかかって何をするでもなく、ぼーっとしていました。風子には気づいていない様子です。

「春原さん」

「ひぃっ!」

寄っていって声をかけると、春原さんは驚いて飛び上がりました。まるで風子が幽霊か何かみたいな反応でとても失礼です。

「……なんだ、風子ちゃんか。びっくりさせんなよっ」

「びっくりしたのはこっちです。いきなりヘンな声あげないでください」

「こんな時間にこんなところで何してんだ」

「それは風子のセリフです。卒業式はどうしましたか」

「抜け出してきた」

風子は目を見開きました。

信じられないことをする人です。やっぱり髪の色がヘンなだけじゃなかったようです。ヘンな人でしたっ。

「岡崎も一緒に抜け出してきたんだけどさ、追っかけてきた渚ちゃんに引っ張られていったよ」

春原さんへの呼称をまた「ヘン原さん」に戻そうかと考えていると、春原さんはまだ話し続けていました。

「あいつ、もう尻に敷かれてやんの。ははっ」

「春原……」

「ひぃぃっ!」

いつの間にか風子たちの正面に幸村先生が立っていました。さすがはあのおねぇちゃんが尊敬している先生、この風子ですら気配を察知できませんでした。達人です。

「なんだよ、ヨボジィかよっ、びっくりさせんなよっ!」

「春原さんはいちいちヘンな声あげてびっくりしすぎです」

「んなことねぇよ。おまえらが気配なさすぎなんだって。誰だって驚くさ」

どうやら風子も達人の域に近づいてきたようです。常日頃から幸村先生相手に気を張っていた甲斐があったというものです。

「最後くらい、出んかい……」

「最後、って卒業式? ……ったく、ヨボジィもかよ。わざわざ抜け出してきたのに今さら戻れるかっての。格好悪ぃ」

「春原さんが格好悪いのはいつものことですから、気にしないでいいです」

「気にするよっ! ていうか、さらっとひどいこと言わないでくれますかっ!」

「ほんとに、おまえは……情けないやつだの……」

「しみじみ言われてます。本当に情けないです」

「追い討ちかけないでくれますかねぇ……」

「これからは社会人だというのにの……」

春原さんは、実家がある東北で就職するのだそうです。この町から遠く離れた――電車を何度も乗り換えないと行けない場所です。

なので、こうやって話をするのも今日で最後、来年からは学校だけでなくこの町で会うこともできなくなってしまいます。

「……一緒にいきましょう。風子もこれからいくところですから、ちょうどいいです」

「ちょっ、引っ張んなって! 恥ずかしいだろっ」

「卒業式に出ないほうがよっぽど恥ずかしいです。それに、卒業証書はどうするつもりですか」

「へっ?」

「卒業証書がないと卒業できないです。なので、社会人になれません」

「……マジで? それ、やべぇよ……」

手を引く風子に抵抗していた春原さんでしたが、この一言が効いたようです。風子と一緒に走り出しました。そんな風子たちを、幸村先生が目を細めて見送ってくれました。

こうして……最後までドタバタしていた風子たちでしたが、卒業式をなんとか無事に終えることができました。

校門の前には先生や生徒、たくさんの人たちが集まっていました。

在校生と卒業生――送る人と送られる人が、それぞれに最後の別れを惜しんでいます。

大きな声で幸村先生に別れを告げていた岡崎さんたちが、風子たちのほうにやってきました。

「卒業、おめでとうございます」

風子たち後輩を代表して、合唱部の仁科さんが先輩たちに声をかけました。送辞です。

「ありがとうございます」

先輩を代表して、渚さんがそれに応えました。答辞です。

こうして風子たちの小さな卒業式もつつがなく終わり、和やかなムードで最後の別れを迎えました。

「ふぅちゃん、演劇部をよろしくお願いします」

「頼んだぞ、二代目演劇部部長」

渚さんと岡崎さんの言葉で思い出しましたが、演劇っぽい杏仁豆腐部――略して豆腐部は今日を最後に風子ひとりになってしまいます。ですので、自動的に風子が豆腐部の部長となるわけです。

「小舟に乗ったつもりでどーんと任せてください。風子がんばります」

「微妙な発言だな、おい」

「そんなことありません。絶妙です。風子が部長になったからには、三年で豆腐部を甲子園の狙えるチームにしてみせます!」

胸を張って答えた風子に対して、岡崎さんは深いため息をつきました。なんだかとても失礼なリアクションです。

「仁科……こいつのこと、マジで頼むな」

「あ……はい、わかりました。任せておいて下さい」

ぷち失礼なことをしみじみと言いながら、岡崎さんは風子の頭に手を載せてきました。

「んーっ! もうっ、やめてくださいっ」

すぐに手で振り払います。なぜか岡崎さんは風子の頭にやたらと手を載せたがります。ベストプレイスなのでしょうか。風子はあまり背が高くないので、そんなに何度も頭に手を載せられたら背が伸びなくなってしまうかもしれません。

「そんなことより、春原さんはどうしましたかっ」

いつの間にか春原さんの姿が見えなくなっていたので、とりあえず聞いてみました。このパターンだと何度も頭に手を載せてきそうだったから話を逸らした、というわけでは決してありません。

「春原か……あいつは卒業できなかったんだ」

「そんなはずないです。ちゃんと卒業証書もらってました」

風子の的確な指摘に、岡崎さんは神妙な面持ちで答えました。

「実はな……あれはハズレなんだ。証書には『スカ』と書いてある」

「春原さん、ハズレを引いたんですかっ。卒業に運が必要だなんて恐ろしい学校ですっ」

「ああ……おまえも気をつけろよ」

「気をつけてもどうにもならないですっ!」

衝撃の新事実に風子がショックを受けていると、慌てた様子で渚さんが割って入りました。

「朋也くんっ、ふぅちゃんに嘘教えちゃダメですっ」

「嘘だったんですかっ、グランドクロス最悪ですっ!」

やっぱり岡崎さんは最後までヘンな人でした。ヘン崎さんです。

「春原さんならグラウンドのほうに行きました。きっと最後の思い出作りをしているんだと思います」

「んな似合わねぇこと、あいつがするかよ。どうせあの拍手の中を歩くのが嫌だったんだろ」

ヘン崎さんが顎で示した校門前にはたくさんの在校生が集まっていて、そこを通る卒業生に溢れるほどの祝福の拍手を送っていました。かつてどこかで見たその風景に、風子の心も温かくなってきます。

そんな風景の中に春原さんを入れるため、風子はグラウンドのほうへと向かいました。

町の景色が見渡せるグラウンドの隅っこに、春原さんは立っていました。

「春原さん」

「んあ?」

振り返った春原さんの横に並びます。

「卒業おめでとうございます」

「あ、ああ……サンキュー」

それきり、ふたり黙って眼下に広がる町の景色を眺めていました。今見ているこの景色も、春原さんにとっては今日で見納めです。思い出作りになるでしょうか。

「三年なんて、あっという間だったな」

「風子はまだ一年も過ごしてませんけど、確かにあっという間だった気がします」

人間、楽しい時間は早く過ぎるように感じるそうです。そういう意味では、あっという間に過ぎたのは良いことだと思います。

「くそつまんねぇ学校だったけどさ……」

独り言のように切り出した春原さんを見上げると、春原さんは町の景色に目を向けたまま言葉を続けました。

「……最後の一年は、そんなに悪くなかったよ」

「それはよかったです。終わりよければすべてよしです」

いつになく真面目な雰囲気でした。なんだか似合わない感じですが、最後くらいはこれでいいのかもしれません。風子も同じようにして町の景色にもう一度目を向けました。

「後輩の女の子に卒業を見送られるってのも案外悪くないね。どうせなら涙で見送ってほしいけど」

「風子、そんなに安い女じゃないです。でも……」

顔を上げて、春原さんのほうに目を向けました。

「春原さんがいないと、そこはかとなく寂しいです」

「ははっ。そこはかとなく、ってなんだよ」

春原さんは笑いながら、ぷいとそっぽを向いてしまいました。

「自分で言わせておいて照れないでください」

「照れてねぇっての」

風子に背中を向けたまま言ってます。説得力がないです。

しばらくの間、風子はその大きな背中をじっと見つめていました。

「ほらよ」

風子に背中を向けたまま何やらごそごそしていた春原さんが、唐突に振り返って風子の手に何か小さなものを握らせました。

「なんですか」

「制服の第二ボタン。おまえにやる」

「いらないです」

「言うと思ったけど、残念ながら君に拒否権はないね。後輩は先輩の言うことを黙って聞くもんだからな」

「……わかりました。そこまで言うのでしたら、もらっておきます」

春原さんのボタンを改めて受け取りました。何もないのにプレゼントをもらうのは風子の流儀じゃありませんが、最初に風子が春原さんに渡したヒトデのお返しだと考えておきましょう。

「まっ、元気でな」

春原さんは再び風子に背を向けると、軽く手を上げて去って――

「おーい、春原っ!」

――いけませんでした。

「なんだよ岡崎……人がせっかく格好良く去っていくところなのによ……」

「お客さんだ」

ヘン崎さんがニヤニヤ笑ってます。これはまた何か企んでる顔です。間違いありません。

「春原……」

「げぇっ! ラグビー部!」

ヘン崎さんが連れてきたのはヘンな人軍団のひとり、巨人の人でした。大激怒と言った感じで憤怒の表情を浮かべてます。とても恐ろしいです。

「あぁん? 誰が逃げるって? 今日で最後だ。相手になってやろうじゃねぇか」

「誰もそんなこと言ってないッス!」

「おまえ今日、『おめおめと逃げやがって』とか言ってたじゃん。俺が代わりに呼んでやろうと思ってな」

「くあ……岡崎てめぇ!」

「おらっ! いつまでも喋ってねえで、さっさとかかってこいや!」

「ひぃっ! 誤解ッス!」

すぐにいつものドタバタ騒ぎが始まりました。春原さんは脱兎のごとく逃げ出し、巨人の人は獲物を狙う獣のように追いかけます。風子もそれを追って走り出しました。

こうして……

風子は先輩たちの卒業を最後まで笑顔で見送りました。

寂しくないと言ったら嘘になりますけど、風子にはこの学校でやるべきことがまだまだ残っているはずです。

てのひらの中に残された小さなボタンをぎゅっと握ると、なんだか勇気が湧いてくるような気がしました。

☆☆☆

それから一年の月日が過ぎました。

風子は豆腐部の部長として、忙しくも楽しい毎日を送っています。

豆腐部の部員が足りない問題については、ヘンな人軍団――岡崎軍団であり闇の岡崎結社でもある現『死んだ岡崎戦線』(岡崎さんには「人を勝手に殺すな」と言われました)――通称SOSのヘンな人たちが入部してくれたことであっさり解決しました。これも風子の人望が為せる技でしょう。

その風子部長が坂高(ざかこう)の歴史に豆腐部の名を残す功績のひとつに、去年の"そうりつしゃしゃい"が挙げられます。

豆腐部とは姉妹関係にある合唱部の仁科さんが提案してくれた"そうりちゅさしゃい"への参加。これによって『演劇っぽい杏仁豆腐部』だった風子たちが正式に『演劇部』へとクラブチェンジすることになりました。向かうところ敵なしです。

こうして、"しょうりちゅさしゃしゃい"に向けて張り切る風子たちでしたが、実は演劇についてはまったくの素人である風子です。風子はヒトデ芝居を推したのですが、部員のヘンな人たちとも相談して決まった演目は……風子主演『眠れる森の美少女』でした。

結果は……そこはかとなく好評だったみたいですが、肝心の演劇内容について風子は正直言ってあまり思い出したくないです。風子の心情を一言で表すなら「ぷち最悪でしたっ」といったところでしょうか。やっぱり部長権限を振りかざしてでもヒトデ芝居にすべきだったと後悔しました。

そして今、再び春がやってきました。

風子がこの学校に帰ってきて、二度目の春です。風子も、もう最上級生。先輩風もぴゅーぴゅー吹かしまくりです。

今年も新入生勧誘のために用意したヒトデを鞄に詰め込んで、風子は校門前に向かいます。

「これ、どうぞっ」

「えっ? あ、はい、どうも」

通りかかった新入生にヒトデを差し出すと、その女の子はちょっと驚きながらも受け取ってくれました。

なかなか幸先の良いスタートです。ここぞとばかりに風子は押しの一手を繰り出しました。

「豆腐部に入りませんかっ」

「豆腐部ぅ?」

「……間違えました」

こほんと咳払いをひとつ、仕切り直しです。

「演劇部に入りませんか」

「演劇部?」

「今、部員になると、もれなく高級な羽毛布団を格安でプレゼントします」

「いや、プレゼントなのに格安って……というか、これがプレゼントなんじゃないの?」

女の子は風子が渡したヒトデを改めて見つめました。

「これ、わたし知ってる。あれだよね?」

「"あれ"じゃありません」

「ヒトデ」

風子が答えるよりも早く、女の子は笑顔で答えました。

「その通りです。そんなわけで正解した人は演劇部に入部してもらいます」

「なんでですか!?」

「先輩の言うことには黙って頷くものです。きっと楽しいですから」

「うわー、先輩風吹かしてるー。これはきっと悪い影響だね」

よくわからないことを言いながら、冗談めいた様子で舌を出す女の子。新入生らしくて初々しいです。

「……なーんて、元から行ってみようとは思ってたんだけどね、演劇部。おもしろそうだから入ってみようかな」

呟くようにそう言って、女の子は手を差し出してきました。

「わたし、春原芽衣っていいます。よろしくね、先輩っ」

袖振り合うも他生の縁、という言葉があります。

風子が最初に春原さんたちにヒトデをプレゼントしたのも何かの縁だとしたら、この出会いも何かの縁なのでしょう。

楽しいことは……

……まだまだこれからですっ!

――おしまい。

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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

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後書き

春風のステップから始まった「朋也と渚が恋仲だった場合の風子エピローグ後」の風子と春原の話、その着地点となるのが今回のSSです。この世界ではトゥルーエンド後の世界とは違い、芽衣の助力もあって演劇部が継続していく……と想像しています。