アクアリウムはいかがでしょう?
どんな時も決して途絶えることのない、美しい無窮のゆらめき。
満載のヒトデがみなさまをお待ちしています。
………………。
…………。
……。
……はっ。
少女は気がつくと廊下に立っていた。
どうやら長い夢を見ていたようだ。
それは、とても素敵な夢だったような気がした。
だが今は夢を見ている場合ではなかった。
少女には、やらなければならないことがあったからだ。
完成したばかりの木彫りを手に、少女は階段を駆け上がった。
☆(←実はヒトデです)めぐりの歌
「知り合いにピアノがすごく上手な人がいるから、弾いてもらおうと思って」
「自分で編曲したの? やっぱ、りえちゃんはすごいなー」
休み時間。
廊下で部活のことを話し合っていたりえと杉坂に、ひとつの影が駆け寄ってくる。
「あのっ」
「はい、なんでしょう」
後ろからの声に振り返ったりえの前には、小さな女生徒が立っていた。
りえも背は低めだが、杉坂が言うには姿勢が良いのでそんなに低くは見えないらしい。
丸まった背中がますます小さく見せているその女生徒は、自分の体より少し大きめの真新しい制服を着ていて、癖のないストレートロングの髪にリボンがよく似合っていた。
りえの肩越しに顔を出した杉坂が、その制服を一瞥して口を開く。
「あれ? あなた1年じゃない。ここは2年の階よ」
杉坂の責めるような言い方に、女生徒はうつむいてしまった。
なおも言葉を続けようとした杉坂を制して、りえは笑顔で話しかける。
「私に何かご用ですか?」
すると女生徒は意を決した様子で、自分の胸に抱いていたものをりえに向かって差し出した。
「これっ、どうぞっ。プレゼントですっ」
「えっ、私に?」
差し出されたものを反射的に受け取ってしまい、呆気にとられるりえ。杉坂が笑いを堪えながらその肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「りえちゃん、モテモテだね」
「坂上さんや藤林先輩じゃないんだから……」
りえは自分のことに関してはかなりニブちん(杉坂評)なので、その言葉は謙遜にも聞こえるが、少なくとも下級生に知られるほどではない。
心当たりもないりえが困惑していると、女生徒はりえに渡したものと同じものを杉坂に向かって差し出した。
「あなたにもどうぞっ」
「へっ?」
予想外の行動に杉坂はハニワになった。
りえは女生徒から受け取ったものに改めて目を向ける。
木彫りの……星、だろうか? どうやら手作りのようだ。芸術センスはそれなりにあるであろうりえの目から見ても、上手にできていた。
「これって……手裏剣? 不確定名ほしがたのもの」
我に返った杉坂が受け取った彫刻を手にわけのわからないことを口走っている。
「私は星だと思うけど……」
「星……Planetarian?」
杉坂がまたわけのわからないことを言っている。だが、意外にもその言葉に女生徒が反応した。
「いえ、どちらかというとAquarianです」
「アクアリアン? もしかしてこれって……ヒトデ?」
「すごいですっ、通じましたっ」
喜びを表した女生徒の目はきらきらと輝いていて、最初の印象とはかなり違った雰囲気だった。
「あのっ、こう……胸に抱いてみてくれますかっ」
女生徒は目を輝かせながらふたりに言った。
「えっと、こう……かな?」
「とても似合いますっ。素敵ですっ」
「あ、ありがとうございます」
「お礼言ってどうするのよ、りえちゃん」
「で、でも……プレゼントをもらったわけだし……」
「そういう問題じゃないと思うけどなあ」
論点がずれているような気がしたが、ヒトデを抱いた姿が素敵と言われても杉坂は嬉しくなかった。
「それで……どうして私たちにプレゼントを?」
「……はっ。ヒトデ仲間に出会えた嬉しさで風子忘れてました」
女生徒はふわふわした顔を引き締めた。
「それで、ですね……えっと……」
少し躊躇してから、言葉を続ける。
「風子のおねぇちゃんが今度結婚するんです」
「それはおめでとうございます」
「今じゃなくて、その時に祝ってほしいです」
「それって結婚式に来てほしいってこと?」
こくん。
女生徒は無言で頷いた。
「喜んで行かせていただきます」
「ちょ、ちょっとりえちゃんっ! そんな安請け合いしちゃっていいの?」
「あっ、そうですね。あの、私なんかが行ってお邪魔じゃないでしょうか?」
「いや、それもちょっと違う……」
いろんな意味で察しが悪いりえに杉坂がツッコんでみせる。
「私たちとは初対面じゃない。それでいきなり結婚式に来てほしいって言われてもねぇ……。あなたのお姉さん、私たちが知ってる人なの?」
「おねぇちゃんはこの学校の美術の先生でした」
「あ、それなら知ってる人かも」
「二年前に辞めましたけど」
ずるっ。
杉坂が大げさに転けてみせる。
「やっぱり知らない人だ。二年前は私たち中学生だよ」
杉坂は受け取った木彫りのヒトデに目をやって、もう一度女生徒のほうを向く。
「そもそも、なんで私たちに来てほしいわけ?」
「…………」
答えが見つからないからか、女生徒は黙り込んでしまった。
そのうつむいた姿に助け船を出すように、りえが話しかける。
「私は仁科りえといいます。あなたの名前を教えてくれますか?」
「……風子。……伊吹風子です」
「伊吹さんですね。よろしくお願いします」
うつむいたままで呟くようにその名を告げた風子に、りえはぺこりと頭を下げた。
「ちょっとちょっとっ、なんでいきなり自己紹介なのよっ」
「友達のお姉さんの結婚式だから、私は祝ってあげたいと思うの」
いつものお人好し……というよりぽやっとしたりえの意見に、杉坂は密かに嬉しく思いつつ、はぁ……と長いため息をついた。
「わかったわよ……。私も行くわ」
いつものつっけんどんを装った杉坂の態度に、りえはくすくすと笑いながらも嬉しく思った。
「で、いつなの? 結婚式」
「まだ決まってませんけど……近いうちに」
まだ何か言いたそうにしている杉坂よりも先にりえが言う。
「それじゃあ、決まったら教えてくださいね」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらのほうですよ。ヒトデ、ありがとうございます。大切にしますね」
最後にもう一度頭を下げて、風子はふたりに背を向けた。
近くにいた男子生徒に木彫りのヒトデを渡している風子の後ろ姿を見ながら、杉坂が呟く。
「よっぽど式に人が集まらないんだねぇ」
「それはちょっと違うんじゃないかな」
「なんでそう思うの?」
「うーん、なぜかはわからないけど……でも……」
りえは先ほど女生徒と話していて感じたことをそのまま言葉にしてみる。
「すーちゃんは古河さんが演劇にするお話、覚えてる?」
「えっ? ……ああ、なんかひとりで寂しいって話……だっけ?」
「世界にたったひとり残された女の子の話だよ」
「それとさっきの子と何か関係があるの?」
「私にもよくわからないんだ……。でもね、その話の女の子とさっきの子が重なって見えたの」
杉坂の頭上に大量の疑問符が浮かぶ。
「……? たまにりえちゃんの感性にはついていけない時があるよ」
「そう……だよね。自分でもよくわからないことを言ってると思う」
「DIOのスタンド能力を体験したポルナレフの心境みたいな感じ?」
「…………。私はすーちゃんの話についていけない時がよくある」
「会話が止まるよりはいいじゃない」
「ふふっ、そうだね」
杉坂は両手を首の後ろに回して組むと、開かれた窓から外の景色に目を向ける。
「そういえばさぁ、あのふたりって付き合ってるのかなぁ」
「えっ、誰のこと?」
「古河先輩と岡崎先輩」
「?」
「あぁ、ごめんごめん。りえちゃんに恋愛の話題を振った私が悪い」
「その言い方は少し傷つくな。でも本当のことだね。小さい頃からずっとヴァイオリン一筋だったから。恋愛のことはよくわかってないかも」
「ヴァイオリンに恋してる、ってやつかな。ちなみに私はりえちゃんに恋してる、ってやつ」
「……え」
さらりと衝撃の告白をした親友に、りえは固まった。そしてだいぶ間を置いて……
「ええええええぇぇーーーーっ!?」
……と、よく通る声で驚愕の叫びをあげた。
「……恋?」
「うん」
「……私に?」
「うん」
少しの間。
「……あっ」
そして見る見るうちにりえの顔が赤くなっていった。
「あっ、あっ、あのっ、あのあのっ、あのあのあのあのっ」
慌てた様子でわたわたと両手を振る。目に見えて動揺していた。
「き、きき、ききき気持ちは嬉しいけどっ、それは、えと……友情というもので、ですねっ」
「いやあ、取り乱すりえちゃんも可愛いなぁ」
「……あっ」
いつもの冗談だとようやく気づいたりえが頬を膨らませる。
「もうっ、からかわないでよっ」
杉坂はそんなりえに本気で見惚れながら、やっぱりニブちんだな、と思っていた。
☆
合唱部と演劇部は、その後も協力し合って創立者祭の準備を進める。
そしていよいよ当日を迎え、創立者祭は両部とも大成功で幕を閉じた。
喜びを分かち合ったその日を境に、廊下を駆ける小さな姿を見ることは少なくなった。
それどころか、りえも杉坂も風子のことを忘れてしまっていた。
なぜかはわからない。
声も、顔も、名前さえ思い出せなくなっていった……。
……それでも。
すべて忘れてしまっても。
木彫りのヒトデは、りえと杉坂の手元に残っていた。
風子の思い、願いは形として残った。
木彫りを受け取ったたくさんの生徒たちは、風子の思いを受け入れた人たちは……
きっと、このヒトデを大切にしてくれるに違いない。
もちろん、りえと杉坂もそのひとりだった。
☆☆☆
時は流れ……
りえは高校を卒業し、一年浪人して音楽大学に入学した。
大学卒業後、音楽講師の資格を取得したりえは、さらに数年の後……自宅に音楽教室を開く。
一度は立ち止まり、曲がり角にぶつかったりえの人生だったが、曲がった先にあったのはやはり音楽の道だったようだ。
「~♪」
有名なクラシックの一節を口ずさみながら、りえは自宅でヴァイオリンの手入れをしていた。
ピンポーン。
そこへチャイムの音が聞こえてくる。
そういえば今日は早めに来ると言っていたっけ。
訪問者に思い当たったりえはヴァイオリンを丁寧にケースの中に収めると、玄関に向かった。
「はーい」
返事をしてドアを開けると同時に、小さな女の子がりえの足にしがみついてくる。
「せんせい、こんにちは」
「はい、こんにちは、汐さん」
元気に歯を見せて笑う汐にりえも笑顔で応え、その頭をそっと撫でる。
汐が気持ちよさそうに目を細める様子を優しい眼差しで見つめているのは、汐の母であり、りえの友人でもある渚だった。
「渚さん、こんにちは」
「仁科さん、こんにちは、です」
「どうぞ、上がっていってください」
「あ、はい、お邪魔します」
「おじゃましまーす」
ふたりを連れてリビングに上がったりえは、ほかの子供たちが来るまでの間、紅茶を楽しみながら渚と学生時代の思い出話に花を咲かせていた。
汐は紅茶を早々と飲み終えて退屈してきたのか、持ってきたロボットのおもちゃで遊んでいる。
しばらくすると、外から騒がしい声が聞こえてきた。
「子供たち、いらっしゃったんでしょうか」
渚が遠慮がちに訊く。
「いえ、まだ早いですよ。実は今日からこの教室に通っていただく方がいまして、たぶんご家族の方と一緒に来られたのかと」
「えっ、それじゃわたしはもう帰ったほうが……」
「いいえ。渚さんもよく知っている方ですので、ぜひ会っていってください」
そう笑顔で言い残して、りえは玄関に向かった。
「そんなにヘソ曲げないの」
「曲がりまくりです」
りえがドアを開けると、そこには落ち着いた雰囲気の女性と小さな女の子がいた。
ストレートの長い髪にリボンをつけたその女の子は、拗ねたようにそっぽを向いている。
「ハンバーグで風子を釣るなんて、おねぇちゃんは策士ですっ」
「あのね……ふぅちゃん。そんなこと言ってたら、もう一度学校に通うことなんてできないよ」
「高校とは桁が違いますっ。ダブルスコア以下の子供たちに混じって歌うなんて、いい大人の風子にはできません」
「ふぅちゃん、子供好きでしょ?」
「生意気な子供は結構好きですけど、ぶしつけな子供は嫌いです」
親子にしか見えない姉妹のやり取りに頬を緩めながら、りえはふたりに声をかけた。
「こんにちは。公子さん、風子さん」
「こんにちは。ご迷惑をおかけしますけど、今日からよろしくお願いしますね」
「おねぇちゃん失礼です。その言い方だとまるで風子の存在自体が迷惑みたいですっ。それにまだ風子はこの話に了承してませんっ」
「まぁまぁ。ほかの子供たちが来るまでまだ時間もありますので、一緒にお茶でもいかがですか?」
「風子、甘いものに興味ありません」
「ケーキもありますよ」
「そこまで言うなら仕方ありません。ご馳走になりましょう」
家を連れ出す時のハンバーグに続いてまたしてもあっさり食べ物に釣られた風子に姉ながら呆れつつ、公子も一緒に家へと上がった。
「あっ、伊吹先生っ。ふぅちゃんもこんにちは」
「渚ちゃんもいらっしゃってたんですね。こんにちは」
「こんにちは、渚さんもこの音楽教室に通ってるんですかっ」
「い、いえ、わたしは違います」
リビングに入った公子と風子が渚と挨拶を交わす。遊んでいた汐も訪問者に気づいて振り返った。
「汐ちゃんもこんにちは」
「こんにちは」
「汐ちゃんですかっ!」
汐の声に反応した風子は小走りに駆けると、ずさーーっと滑り込むようにして汐を抱きかかえた。
「汐ちゃんも、この音楽教室に通ってるんですかっ!」
「うん」
「風子、この音楽教室でお世話になります」
くるりと振り返ると、風子は今まで駄々をこねていたのが信じられないくらい素直に頭を下げる。
公子もそれを知っていてここに通うよう誘ったわけだが、ここまで簡単に事が運ぶとは思わなかった。
しばらくの間、談笑しながらお茶を楽しみ、風子はケーキも平らげ、そろそろほかの子供たちが通ってくる時間が近づいてきた。
時計を見たりえが席を立つ。
「それじゃ、そろそろ教室のほうへ案内しますね」
「そうですね。では汐ちゃん、行きましょう」
「もう……ふぅちゃんったら現金なんだから」
汐と手を繋いでりえを追い抜くほどの勢いで張り切って歩く風子に、公子はため息をついた。
りえが教室の扉を開く。
教室の隅の小さな棚にはヴァイオリンケースが飾られている。
このヴァイオリンはりえにとって、最も大切な宝物だ。
そして……その隣には、星の形をした木彫りの彫刻が輝いていた。
――終わり。
-----
感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!
---
♪後書き
この話が最終回外伝「ROOMMATE ~光輝く朝に~」での木彫りのヒトデ描写の原点だったりします。いろいろ考えてても完成する順序がバラバラだから意味ないな~。
りえの立ち位置が特別っぽく感じるかもしれないけど、それはりえちゃんの感受性が最大の999だからです……と、説得力のない解釈。
三人称の練習も兼ねて、もともと一人称りえ視点だったのを変えてみました。冒頭部は昔投稿した小ネタをぷちアレンジ。最初にネタ振りした人にこの場を借りて感謝!