ふたりはずっと2

学校帰りの坂道だった。長い長い坂道を6人の少女とひとりの男子生徒が歩いていた。

桜の木々は枝を広げ、中途半端にではあっても坂道に影を作ってくれいていた。

朋也はその影の部分に少女達が歩くようにして、自らはまったく桜の木々の恩恵を受けられない炎天下を歩いている。ことみと過ごす時間が長くなるにつれ、そういった気遣いも少しずつだったけれど自然にできるようになっていた。

「水着だったら、商店街に売ってますよね」

そう言って、杉坂はりえの体を上から下まで眺めやった。

「りえちゃんには、やっぱりスクール水着かなっ! 学校の授業でも何度も見たけど、すごく似合ってるんだよ。だからさ、こうすればいいんじゃないかな。水着の前にひらがなで"にしなりえ"って書いてる布を付けてさっ!」

「ちょっと、すーちゃんっ! なんだか変態さんみたいだよっ?」

「変態なんて失敬なっ」

「失敬って……」

「わたしはりえちゃんにしか興味が無いんだからっ! そのへんのそういった趣味の人たちと一緒にはされたくない、特にりえちゃんにはっ」

「そんな力説しなくても」

椋がふたりのやり取りを聞きながら苦笑を浮かべた。内容もそうだったけれど、その声の大きさに周囲の視線が突き刺さる。

「杉坂もその辺にしとけ。お前の趣味は良く分かったから」

あきれがちに朋也が声を漏らす。

「よく分かるって、もしかして先輩も、りえちゃんの魅力に気づいたんですかっ!?」

けれど、りえちゃんのスクール水着を堪能できるのはわたしだけですからねっ! そう力説してくれる後輩を半眼で眺めつつ、ことみの漏らした声が朋也に盛大なため息をつかさせる。

「……朋也くん、変態さん?」

長い坂道の途中。

下校していく学生たちの半分は朋也たちの会話を聞き流していたけれど、残りの半分は歩きながらじっと朋也たちを――正確を期するなら、岡崎朋也という3年生だけを――見つめていた。彼らがしているひそひそ話が風に乗ってわずかに伝わってくるが、それを少しだけ拾い上げただけでも、どうやら"変態さん"の烙印を押されそうなのは目の前の濃いルビー色の瞳を持った後輩ではなく、彼らしい。

冗談じゃない。そんな変態は春原ひとりで十分だ。あるいは目の前の後輩だけでもいいくらいだ。

「杉坂、あのなぁ。いくらなんでも仁科に俺が……」

「俺が、なんですか? 岡崎先輩は、りえちゃんが可愛いって思わないんですか?」

「いや、それは……」

言いかけた言葉を杉坂に遮られ、逆にそう質問されてしまい、朋也はじっとりえを見つめてしまう。その視線に耐えかねるようにわずかに顔を逸らし、頬を赤くするりえの姿に、朋也は見とれてしまった。

透き通るような白い肌、本当にきれいなストレートの黒い髪、そしてその髪よりもわずかに薄い、潤んでいるように見える、髪に負けないほどの美しさを見せる瞳。背は確かに低く、体つきもことみが言うように"幼児体系"なのだろうけれど、それさえもどこか日本人形のような彼女の可愛らしさを強調している。

「岡崎くん、りえちゃんみたいなタイプが……そっか」

「岡崎さんっ、わたしもその……りえちゃんほどじゃないですけど、あまり大きくないですっ」

「朋也、あたしも椋やことみほど大きくないけど……だめかな」

「えっと、だな」

突然そんなことを言ってきた友人たちを朋也は見回し、助けを請うようにことみを見つめた。

「……朋也くん、りえちゃんのこと気になるの?」

けれどそんなことを言って涙目になってしまうことみを見て、そしてそれを見た周囲の学生たちが、もしかして修羅場? とか、六股? とか囁きながら歩いていく。

「あの、岡崎先輩……」

りえがためらいがちに声をかけると、朋也へと向けられる生徒達の視線はよりいっそう厳しいものになる。

針のむしろという言葉の意味を身を持って味わいつつ、朋也はりえを見つめた。

創立者祭での彼女の歌声は、技術的に巧いといえるものではなくても、十分に人々を魅了することに成功していた。

つまるところ、彼女は有名人だった。知らない人はいない、というわけではないが、僅差ではあっても知らない生徒が少数派に属することだけは確かだった。

そしてそんなりえと、最近は悪い噂を聞くことも減ってきたとはいえ落ちこぼれである朋也。目立つなというほうが難しい。

「仁科、買い物行こう、な」

「朋也くん、やっぱりりえちゃんの水着姿を見たいの?」

「いや、そうじゃなくて、だな」

とにかくこの場を立ち去ろうとした朋也を、杏が面白そうな、椋と渚は困ったような、りえはどこか恥ずかしげに、ことみは悲しそうに、杉坂ははっきりとした敵意――というよりは明らかな殺意――を視線に宿して、見つめていた。

とどめはやはりことみの今にも泣き出しそうな声だった。

「朋也くん、大きなのが好きだって、一緒に寝たときに言ってくれたの」

「ことみ……何を言い出し……」

「だからね、わたし挟んであげたの。朋也くんの、お……」

言いかけたことみの口を朋也は慌ててふさぐ。

「ことみ、いったい何を挟んだのかしら」

杏は朋也へ向けていたどこか艶っぽい表情を簡単に打ち消して、朋也をことみから押しのけると、ことみの背後から抱きつくように彼女の耳にこっそりと――それにしては声が明らかに大きかったけれど――尋ねた。

「そ、そんなこと、朋也くんを誘惑する杏ちゃんには言えないの」

「大丈夫よ、朋也にはあんたがいるから、ことみ。だから、言いなさい?」

ことみは困ったような表情で朋也を見つめた。言ってもいいか、と尋ねているのだろう。

だめだ、朋也は首を左右に振った。言えばどうなるか分かったものではない。きっとずっといたぶられるだろう。

あの夜のことは今でもはっきりと覚えている。そのときの感触を思い出し、朋也は少しだけ顔を赤くしてことみの瞳に向けていた視線を下へ――夏服を押し上げているそのふくらみへ向けてしまう。

「朋也ぁ、あんた思い出してるんでしょう?」

にやり、と獲物を見つけた捕食者の瞳で杏は見やる。

「でも、あの時一度だけなの。少し残念なの」

「残念、なんですか?」

少し顔を赤らめて聞いていたりえが尋ねると、杏が代わりに答えた。

「だって朋也はもうことみのものだからね」

「ううん、ちょっと違うの」

ことみは当然のように言った。

「わたしが朋也くんのものなの。だから、朋也くんが手を出してくれないのは残念なの」

「……はいはい、ごちそうさま」

ため息を漏らして杏はことみから体を離す。

「それじゃあ、買い物行こうか」

それから杏は飽きたかのように突然口調を変えた。その突然の豹変にりえと杉坂はやや戸惑ったけれど、椋は慣れているのか慣らされてしまったのか、ほとんど動ぜずに尋ね返した。

「お姉ちゃん、商店街に?」

「商店街じゃ、たいしたものは買えないからさ」

電車に乗って、ショッピングモールに行かない? 杏はそう言って笑った。

「朋也」

最寄の駅にたどり着いてすぐに、杏は彼の名前を呼んで手を差し出した。

「なんだよ、その手は」

「決まってるでしょ、電車代よ電車代」

「何で俺が出さないといけないんだ?」

朋也はもう慣れたためかため息もつかなくなった杏の言葉を聞きながら、周囲にいる少女たちを見回した。

「決まってるでしょう!? あんたの甲斐性を見せるためよ」

「俺は甲斐性を見せる相手はことみだけでいいと思うんだけどな」

朋也はそう言ってことみを見つめた。

「そんなこと無いわよね、ことみ。ことみも朋也のそういうところ見たいでしょう?」

ことみは困ったように朋也と杏を交互に見やり、それから朋也に向かって静かに言った。

「朋也くん、犬に噛まれたと思って諦めるの」

「どちらかというと、犬と言うより猛獣だな」

「朋也ぁ、彼女の罪はあんたの罪よねぇ? そしてあんたの罪もあんたが償うべきだと、あたしは思うんだけどっ」

怒りを隠そうともしない杏が片手に辞書を構える。その大きさで彼女の怒りが判別されるというのなら、今はまだ控えめなのだろう。その手の国語辞典でそう思う。

「朋也くん、頑張って避けるの」

「杏の標的になるのは確定かよ」

「大丈夫なの。お前の投げる辞書の軌道は見切ったっ! って言うと当たらないの。テレビではそうなの」

ことみは楽しそうにそう言って笑った。そんな楽しげな彼女の姿が、朋也の心を温かくする。

それから朋也は諦めたように財布を取り出した。たまにはこういうことがあってもいいと思う。ことみの嬉しそうな表情が見られるならば、ということだが。

「7人分か……」

どちらにせよ――朋也には選択肢は用意されていなかった。諦めムードのまま朋也が料金表を眺めようとすると、背後から杉坂の声が聞こえてきた。

「先輩っ! 5人分だけですっ! りえちゃんにはわたしが甲斐性を見せますからっ!」

「すーちゃん、気持ちだけでいいよ。わたしは岡崎先輩のほうがいいかな」

「どうして、りえちゃん!? わたしの気持ちは受け取れないけど、岡崎先輩の思いは受け止められるんだねっ」

「朋也くん、不潔なの」

「なんでだよ、ことみっ! っていうか、なんで棒読み……」

「そう言うと、朋也くんが泣いて喜ぶからって、杏ちゃんが」

「喜ぶかっ! それに杏、余計なことをことみに吹き込むな」

「岡崎先輩、でも本当にいいですよ、自分の分は自分で出しますし」

「そんな、りえちゃんっ! わたしの思いは、どこに向ければいいの!?」

「って言われても……ね、岡崎さん」

りえはどこか楽しげに笑って、朋也のすぐそばに歩み寄る。

「わたしの思いはどうなるんでしょうね」

「だめなの、朋也くんは渡さないの」

すっとことみがりえと朋也の間に割り込んで、りえをじっと見つめた。

りえはことみを見つめて、視線を朋也へと移し、じゃあ電車代を出していただくだけで納得します、と笑顔を向けた。

それからりえはもう一度ことみを見つめて、柔らかい笑顔を浮かべた。

「……本当に、岡崎先輩のこと好きなんですね、ことみ先輩は」

「うん」

ことみはうなずいて、朋也くん、わたしのこと絶対に離さないでね、と彼の瞳を見上げた。

「お前が俺を拒否しない限り、ずっとそばにいるよ」

「それじゃあ、わたしたちふたりはずっと一緒なの。わたしが朋也くんを嫌がることなんて、絶対にないから」

ことみはふわりと笑った。朋也は、やはりその笑顔には誰も勝てないな、とそう思う。

「だったら、わたし達もずっと一緒ですよ。ねっ、りえちゃんっ!」

「う……うん、そう、だよね?」

「どうして疑問形っ!?」

ひどいよ、りえちゃんっ! 杉坂の抗議をなだめながら、りえは本当にずっと一緒でいいのかな? とふと思ったのだった。

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あとがき

熊野日置です。ふたりはずっと、の続編(?)です。

杉坂が暴走気味ですが、どんなものでしょうか。

とらふりおんさんの杉坂に近づけたかな?

感想などいただけますと、幸いです。