古河パンを出ると、まずは目の前の公園に入って周辺を見渡す。
子供が数人遊んでいるだけで、他に人は見当たらない。
とりあえずそのまま公園を抜けて、男子寮までの道を引き返してみることにした。
「いねぇなぁ」
昨日春原と別れた三叉路を直進し、見慣れた通学路まで戻ってきたが、春原の姿は見当たらなかった。
今のあいつはいつも以上に目立つ頭をしているので、遠くからでも簡単に判別できるはずだが……休日の午前中だからか、そもそも人通りが少ない。周辺には車すらまったく通っていなかった。
「ん……?」
道路を挟んだ向こう側の歩道を、ものすごい速度で駆け抜けていく人影が目に映った。すぐに脇道に入ってその姿は見えなくなってしまったが、その頭は黄色っぽかったような気がする。
今の春原は螺旋包帯のターバン頭なのでおそらく人違いだろうが、念のため道路を横断してその後ろ姿を追ってみることにした。
「おかしいな……」
しばらく追ってはみたものの、春原どころかさっきの黄色い頭の奴の姿も見えなかった。
走っていればすぐに追いつけると思っていたんだが。何度かあった分岐路で道を違えたのか、それとも思ったより足の速い奴だったのか。
「きゃっ」
「おっと」
十字路に差しかかったところで人とぶつかりかけたが、すんでのところで身をかわす。
「悪ぃ、前を見てなかった」
「い、いえ、私も見てなかったので……あっ」
急に飛び出してきた俺の姿に驚いて固まっているのは、制服姿の委員長だった。
#18「迷える道標」
「おう、藤林か」
「お、おはようございます」
藤林が緊張した様子で律儀に頭を下げる。そうして、遠慮がちに口を開いた。
「あ、あの……昨日はすみませんでした」
「ん? 何のことだ?」
「放課後のことです」
「ああ、用事があったんだろ。気にするな」
「ありがとうございます。あ、あの、それと……」
歯切れ悪く、言葉を続ける。
「お姉ちゃんから聞きました。部活を作られるそうで。とても良いことだと思います」
「いや、俺じゃないんだが」
「そうなんですか……」
なぜか残念そうな顔をされる。
「厳密には部活を作るんじゃなくて復活させる、だな。演劇部なんだが」
「えっ? あ、あの……うちの学校にありませんでしたか? 演劇部」
「今年、廃部になったんだろうな。俺も人から聞いただけだから詳しくは知らない」
「そうだったんですか……」
またしても残念そうな顔だ。
「もしかして、演劇に興味あるのか?」
「い、いえっ……えっと……は、はい。あります」
「おおっ、そうか。だったら今度そいつの話を聞いてやってくれよ」
古河も藤林となら気が合いそうだ。
「はい、わかりました。あの、それで……」
「ん?」
「えっと、部活動として認めてもらうためには、まず入部希望者が三名以上、それと顧問の先生が必要です」
「入部希望者と顧問か……」
入部希望者はともかく、顧問に関しては問題なさそうだ。去年まで演劇部の顧問をしていた教師がまだこの学校にいるだろう。
「ありがとな。伝えとくよ」
「は、はい」
同じクラスになって一月ほど経つが、藤林とこうしてちゃんと話をするのは初めてかもしれない。学校ではクラス委員長としての用件で話しかけられてただけだったからな。
これまでいつも話半分で冷たく接してきたからか、普通に話していても藤林が怯えてしまっているような気がする。
「藤林は日曜なのに学校か?」
「あ、はい。進路のことでちょっと」
そういえば昨日は杏の乱入もあって結局うやむやになってしまったが、俺は進路希望のプリントをまだ出していない。
「岡崎くんは急いでいたみたいですけど……」
「ああ、春原を捜してるんだ。今は頭全体が包帯に覆われてるからめちゃくちゃ目立つと思うんだが……見かけなかったか?」
「いえ……」
「そうか」
芳野祐介の居場所がわからない以上、春原の行きそうな場所を考えるしかないが……それもまったく見当がつかない。
つーか以前担任に言われて春原を捜した時も、結局面倒くさくなって捜すのをやめたんだよな……。けど今回は芽衣ちゃんのことがあるから、そうもいかなかった。
「春原くん、昨日も頭に包帯してましたけど、怪我でもしたんですか?」
「ああ、また頭が炎上してな」
「え、炎上……? 大丈夫なんですか?」
「おまえの姉が指差して大笑いするくらい大丈夫だ」
「お、お姉ちゃん……」
その様子が想像できたようで、藤林は苦笑いを浮かべる。
「あ、あの……よかったら、占ってみましょうか?」
「占い?」
「はい」
俺は普段、占いを信じるような人間ではないが……。そういや、こいつの占いは教室に人だかりができるほどの盛況っぷりだったな。
「じゃあひとつ頼もうか」
「はいっ」
よほど占いが好きなのか、藤林は目を輝かせて制服のポケットからトランプを取り出す。
「いつもトランプを持ち歩いてるのか」
「は、はい。ヘン、でしょうか……」
「いや、人の趣味にとやかく言うつもりはない」
「よかったです……」
ほっと息をついて笑顔を見せる。だがそれもトランプを手に持つと、すぐに真剣な表情に変わった。
ぎこちない手つきでカードをシャッフルする。緊張しているのか、手に力が入りすぎているみたいだ。見ていて危なっかしい。
「あ……」
危惧した通り、カードが地面にばらまかれる。トランプの扱いに慣れている人間とはとても思えない。
「あう……ごめんなさい。すぐ拾いますので」
「俺も手伝うよ」
「待ってください!」
足元に落ちているカードを拾おうとした瞬間、藤林らしからぬ鋭い声で止められる。
「うおっ、ど、どうした?」
「あ、えっと……岡崎くんがカードに触ってしまうと今の占いが無効になってしまうので」
「そ、そうなのか?」
「はい」
今までにないはっきりとした口調で言い切られ、仕方なく手を引っ込める。
カードをぜんぶ拾い終えた藤林はさっきより慎重にシャッフルすると、それを扇状に広げる。そして、俺に見えないように裏を向けて差し出してきた。
「この中から四枚選んでください」
「よ、よし……」
やたらと大仰な前振りのせいか、俺のほうまで緊張する。
「これとこれと、これと……これ」
意を決して扇状の束の中から四枚抜き取った。
「こ、これは……!」
俺が引いた四枚のカードを真剣な顔で凝視していた藤林の顔がみるみる青ざめていく。
「どうした?」
「は、早く春原くんを見つけましょう! このままでは春原くんの身に危険が……っ!」
「……へっ?」
慌てた様子の藤林が、手に持った四枚のカードをこちらに向ける。俺の引いたカードは……スペードの6と、ダイヤの6と、ジョーカーと、クラブの6。
「おぉ、すげぇじゃん」
見事にフォアカードだった。
「た、確かにポーカーの役だったらすごいですけど……う、占いですからっ」
「まあジョーカーは不吉っぽいよな」
「あとはぜんぶ6です。666は獣の数字、悪魔の数字とも言われ、好ましくない組み合わせです。ハートの6だけがない、というのも良くありません。ハートは心臓、命を表しますから。そしてジョーカーは……すべてを終わりにします」
焦っている割には、やけに淡々とした口調で占いの結果を詳しく話してくれる。
やばい。意味はよくわからんが、とにかく悪い結果だということだけはよくわかる。
「で、その予言が当たったら具体的に春原はどうなるんだ? 二階級特進か」
「よ、予言じゃありません! 占いです!」
全力で否定される。
「いいですか? 占いはあくまで占いです。これから進んでいく未来への道標のひとつでしかありません。占いの結果をどう受け取ったとしても、結局最後に未来を決めるのは自分なんですから」
なんで俺、こんなところで藤林に説教されてるんだろう。
「私も春原くんを捜すの、手伝います。今回、初めてこんな結果が出てしまって、万が一当たったりでもしたら……」
「春原はいつでもどこでも身の危険に晒されてるぞ。安全なほうが珍しいくらいだ。そう気にするな」
「でも危険な未来の可能性を知ってしまった以上、その未来を変えるために最大限努力したいです」
「そうしたらおまえの占い、外れたことになるじゃん」
「岡崎くん」
急に穏やかな声で名前を呼ばれ、何も反応できなくなる。
「占いは外れたほうがいいんですよ」
無反応で固まっている俺に向けて、はっきりとそう言い切った藤林の笑顔が印象的だった。
「……わかったよ。じゃあ藤林は学校のほうを見てきてくれ。俺は男子寮のほうを捜してみるから」
「はいっ」
学校方面は藤林に任せて、俺は元々向かおうとしていた寮までの道を引き返してみることにした。
*
ひとりも人とすれ違うことなく、寮まで戻ってきてしまう。
とりあえず春原の部屋を覗いてみようと入り口の前まで来たところで、ホウキを持った美佐枝さんがちょうど中から出てきた。
「美佐枝さーん」
「あら、岡崎。こんな朝早くからここに来るなんて珍しいじゃない」
「それよりもさ、春原見なかった?」
「春原? ああ、あの包帯頭ね……」
いきなりひどい言われようだ。また何か美佐枝さんを怒らせるようなことでもやらかしたのか、あのアホは。
「さっき外から帰ってきたかと思ったら、すぐに大きな荷物抱えて出ていったんだけど。ドアも開けっ放しで、ね」
どうやら入れ違いになったらしい。そしてドアを開けっ放しにしたことが、今回美佐枝さんが不機嫌な理由のようだ。
「サンキュー」
「ドアはちゃんと閉めないと今度はあんたの首を絞めるわよ、って春原に言っといて」
ネックハンギングツリーを見事に決める美佐枝さんの姿が簡単に想像できた。首を吊り上げられてひぃひぃ言っている春原の姿も。
「わかった。代わりに俺がやっとくよ」
美佐枝さんに礼を言って寮を出たところで、誰かと話している藤林の姿が見えた。ちょうど学校方面から戻ってきたようだ。
「おーい、藤林ーっ」
声をかけながら、駆け寄る。
藤林と話していた制服姿の男子生徒は、俺に気づくと舌打ちして学校のほうに去っていった。
「なんだあいつ?」
「あ、岡崎くん。春原くんは……」
「ああ、今さっき自分の部屋を出ていったらしい。近くにいるはずだ」
「私のほうでは見かけませんでしたから、山側の方角かもしれません」
藤林は山々が連なって見える方角……俺の家がある地域に目を向ける。
「ところで、さっき話してた奴は?」
「え? えっと、その……昨日話したサッカー部の人です」
「げっ、あいつが杏をストーキングしてるっていう命知らずか!」
「え、ええ……まあ。それで、春原くんを見かけなかったか聞いてみたんですけど……」
「ちょっと待て。まさか、さっきの奴に春原のことを聞いたのか?」
「は、はい。いけなかったでしょうか」
藤林は知らないだろうが、春原はサッカー部の連中にかなり恨まれている。下の学年はともかく、春原が1年だった頃からサッカー部にいた同学年の奴らはいまだに根に持っているようだった。
「あいつ、3年だよな」
「はい……たぶん。お姉ちゃんがサッカー部のキャプテンって言ってましたから」
「やばいな……。それで、あいつはどう答えたんだ?」
「えっと、それがすごく驚かれまして……。あいつとはどういうご関係なのでしょうか、って」
俺の想像と大きく異なる反応だった。しかも似合わない丁寧口調。
「ちょうどその時に岡崎くんが来て、あの人は行ってしまいました」
「そうか」
ともかく藤林には何もなかったようで安心した。
「お姉ちゃんに付きまとわないでください、って、一言注意しておきたかったんですけど」
「おまえ、意外と度胸あるな」
先ほどの春原捜しを手伝うと言い出した時もそうだが、藤林の意外な一面を目の当たりにして、やっぱりあの藤林杏の妹なんだと改めて実感する。案外怒らせたら杏より怖いかもしれない。
「春原の居場所を占ってみたらどうだ?」
ふたりで山側の道をしばらく捜索した後、そう提案してみる。
「占いの結果を変えるために占いをするのはどうかと思いますけど」
「そもそも俺は最初から春原の居場所を占ってほしかったんだぞ。あいつの未来なんかどうでもいいから」
「す、すみません……その人の状況を占えば、おのずと居場所もはっきりすると思ったんですけど……」
占いをしている時の生き生きした表情とは打って変わって、しゅんと元気なくうつむいてしまう。
「そんなに落ち込むなよ。だったら改めて、ものは試し、ってことで占ってみようぜ」
「岡崎くんがそこまで言うなら……」
藤林はあまり乗り気じゃないようだったが、俺の言葉に後押しされてポケットからトランプを取り出した。
そして、表情を引き締めてカードをシャッフルする。今度はカードを地面にばらまくこともなかった。
「えいっ」
可愛らしいかけ声と共に、勢いよくカードを一枚引く。
今度は俺がカードを引かなくていいのか。ほっとしたような、拍子抜けのような……。
「えっと……こちらです。急ぎましょう」
「お、おうっ」
引いたカードにどんな意味があるのか俺にはさっぱりだが、藤林に先導されるという違和感のある現状に戸惑いつつも、速足でさっさと先に行く藤林の後ろ姿を追う。とろそうに見えて意外と足が速いんだな。
*
「どこだよ、ここ……」
「すみません、私にもわかりません……」
占いの導きに従って道を進んだ結果……俺たちは見事に道に迷っていた。
周囲には屋敷と呼べるほど大きな家が立ち並んでいる。どうやらここは町の北側にある高級住宅街のようだ。
「こういうのも二次遭難って言うのか」
「ご、ごごごめんなさいっ。私のせいで春原くんの命がっ!」
いつの間にか生死に関わるレベルまで身の危険が跳ね上がっていた!
「わかったから落ち着け。飛躍しすぎだ」
「すみません、取り乱して……」
「とにかく大通りに出よう。こんな高級な場所に春原がいるわけないし」
とは言っても、あいつは芳野さんを追っていったのだから絶対にいないとは言い切れないが。
俺にとっても場違いな住宅街を歩き続けていると、どこか見覚えのある場所に出た。
「ここはどことなく見覚えがあるな」
「そうなんですか?」
「小さい頃は結構いろんなところで遊んでたからな」
藤林と同じ制服を着た女生徒が大きな家から出てくる姿が遠くに見えた。その小さな人影を指差して藤林に訊いてみる。
「最近は休日に制服着て学校行くのが流行ってるのか?」
「い、いえ……私と同じなら、たぶん進路相談だと思います」
「進路か……」
芳野さんの仕事を手伝った時にも感じたこと。目を逸らしていた現実を改めて直視させられる。
「岡崎くんは……その、進路はどうするんですか?」
「ああ、悪い。進路希望のプリント、結局昨日も提出してなかったな」
「あ、いえっ、そのことはいいんです。自分の将来なんですから、時間に追われて決めてしまうのは良くないと思います」
「そうかもな」
「は、はい」
曖昧に答えて歩き出す。その後は会話が続くこともなく、ふたり無言で歩き続けた。
高級住宅街らしき場所を抜けると、何度か春原に連れられて来たことがある町外れの街道に出た。
この街道の先にある大きな歩道橋の向こう側はもう隣町だ。隣町には電車かバスで普通は行くのだが、この周辺まで来れば歩いても行ける距離だった。
「さすがに隣町までは行かないだろ。一度、パン屋のほうまで戻ってみるか」
「お、岡崎くん……」
少し離れて俺の横を歩いていた藤林が、震える声で脇道を指差す。その細い指もぷるぷると小刻みに震えていた。
反射的に二階級特進という言葉が脳裏をよぎり、恐る恐る藤林の指差す方向に目を向ける。
俺の目に映ったのは……身体を道路に横たえ、白目を剥いている春原の変わり果てた……もとい、見慣れた姿だった。