昼からの授業は、ずっと窓の外をぼんやりと眺めて過ごした。
つまらない時間ほど長く感じるものだ。俺にとっては、一日の大半がそんな時間だった。
もう4月も終わりが近いからか、ここから見渡せる風景を彩っていた桜も今は散っている。
桜がまだ満開だった頃に出会ったひとりの少女の言葉が、ふと脳裏をよぎった。
『この学校は、好きですか?』
『わたしはとってもとっても好きです』
『でも、なにもかも……変わらずにはいられないです』
『楽しいこととか、うれしいこととか、ぜんぶ』
『ぜんぶ、変わらずにはいられないです』
……。
何もかも変わらずにはいられないのなら……
こんな生活も、いつか変わるのだろうか?
変わる日が来るのだろうか?
#3「願い」
一日の授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
担任が退室すると、教室内は開放感あふれる喧騒に包まれた。
「よっし、終わった! いくぞ、岡崎っ」
勢いよく席から立ち上がると、春原は俺の返事も聞かずに廊下へ向けて歩き出した。また資料室に行くのだろう。
仕方がない。続きは放課後にしようと言ったのも俺だからな。
俺も椅子を引いて立ち上がった。
廊下に出たところで、ふと立ち止まって振り返る。
……。
俺に目を向けている奴はいない。
「……?」
誰かに呼ばれたような気がしたんだが……気のせいか。
「って、また来ないのかよっ!」
春原が戻ってきた。
「わかったわかった。今行く」
「僕たちの冒険はまだ始まったばかりさっ。楽しい放課後を一緒にエンジョウしようぜっ!」
「焼け死ぬからな」
***
「いらっしゃいませー」
資料室(冒険者の酒場)に入ると、もはや定位置となりつつある宮沢の向かいの席につく。
その隣に座った春原が、宮沢の入れてくれたコーヒー片手にさっそく冒険談義を始める。
「さて、今のパーティーメンバーはふたり。僕と岡崎なわけだが……」
「いちいち言わなくてもわかる。さっさと本題に入れ」
「まぁそう慌てるなって」
コーヒーカップをソーサーに置き、一息ついてみせる。
「たとえふたりしかいなくても、知っての通り僕の身体能力はズバ抜けている。そして観察眼も並じゃない」
「確かに……人間にしては出来すぎてるな」
「でしょ?」
「ああ、妖怪じみてる」
「それ、褒められてる気しないんですけど……」
「で? その妖怪春原がどうした?」
「妖怪じゃねえよっ! 敢えて言うなら、そうだな……超人春原、といったところだねっ」
「鳥人春原か」
「字が違いますよねぇ!」
「よくわかったな……」
いつもの馬鹿なやり取りをする俺たちを見て、宮沢はくすくすと笑う。
「相変わらず楽しいですね、おふたりが揃うと」
「ちっ、お笑いコンビのように言わないでよ」
「話が進まないな。早く本題に入ろうぜ」
「あんたが話の腰を折るからでしょ!」
「前振りが長いんだよ……」
しばらくの間、このようなやり取りが続いて宮沢を笑わせたが、それもいい加減飽きてきた。
春原も疲れてきたらしく、ようやく本題に入るようだ。
「さて、今のパーティーメンバーはふたり。僕と岡崎なわけだが……」
また最初のセリフから語り始める春原。そうしないと気分が乗らないのだろう。
口を挟むとキリがないので黙っておく。
…………。
「つまり……僕がいれば、あとは人数合わせで誰でもいいってことさっ」
長い前振りの割にまったく中身のない本題だった。
「人数合わせでもなんでもいいが、ここでコーヒー飲んでて集まるもんじゃないだろ」
「……」
俺の指摘に春原が固まる。こいつは本当にメンバーを集める気があるのだろうか?
「あ、そうだ有紀寧ちゃんっ! 仲間を集めるおまじない、とかない?」
もう案が尽きたのか、春原は宮沢に話を振った。
「あるわけねぇだろ……」
「少し待ってくださいね。ええと……」
宮沢は懐からおまじない百科を取り出すと、ぱらぱらとページをめくる。
「あ、はい。ありますよっ」
……。
もうなんでもありだな。ツッコむだけ無駄か。
「まずは『オレタチノタタカイハ、マダコレカラダ』と心の中で三回唱えてください」
「なんかそれ、仲間が集まったら冒険が終わっちゃいそうな呪文だよね……」
「だな……」
そう言いながらも、その効果を嫌というほど経験してきた俺たちは黙って実行に移す。
「あとは校内をぐるりと一周してきてください。その途中で話しかけてきた人が、あなたにとって信頼できる仲間となるでしょう」
「前のおまじないみたいに最初のひとりだけ、ってわけじゃないんだな」
「はい」
「だったら四人くらい余裕だねっ」
先日のおまじないで校内を五周もしたにも関わらず、ただのひとりにも声をかけられなかったという結果は、おまえの記憶から失われてるんだな。かわいそうに……。
「今日はおまえが先に行けよ」
俺が哀れみの目で見据えていると、春原がそう促してきた。
「どうして」
「僕が先に行くと仲間がぜんぶ集まっちゃって岡崎の出番がなくなるからねっ」
その根拠のない自信は一体どこから湧いてくるのか。
「まぁ別にどっちでもいいけど」
「じゃ、決まりだね。ひとりくらいは連れてきてくれよっ」
「それでは朋也さん、いってらっしゃいませー」
春原の冷やかしと宮沢の笑顔を背に受けながら資料室を出る。
廊下に出た途端、目の前を女子ふたりが通り過ぎていく。
「……ほんとなんだってば! りえちゃんっ」
「その話は私も聞いたことあるけど……」
…………。
目が合うこともなかった。
やべ……これじゃ先日のおまじないと同じじゃないか。
……。
……まさか、な。
「……」
そのまさかだった!
先日のおまじないと同じく、なんか小さいのがこっちを見ている。
先日と同じように寄ってきて、目の前で立ち止まった。
う……心なしか、仲間にしてほしそうにこちらを見ている……ようにも見える。
まさか……おまえなのか……。おまえが信頼できる仲間なのか……。
なぜかはわからないが、こいつを仲間にするのはやめたほうがいいような気がする。
包帯を巻いた手をこっちに向けて伸ばしてくる。その手には木彫りの星があった。
俺は思わず、さっと横っ跳びで回避した。
「……?」
星を差し出したポーズで固まったまま、風子は何やら思案している。
相変わらず包帯だらけの手だが、初めて会った頃に比べるとだいぶマシになってきているようだ。
……おっと、今はそれどころではない。俺は口元に人差し指を当てる。
「しーっ」
「……?」
こっちを向いた風子が首を傾げる。
「お腹を空かしたクマが今もこの辺をうろついてるんだ。立って喋ってると襲われるぞ」
「!」
「だから静かにだ……死んだふりをしながら駆けていけ。あたかもミイラ男のようにだ」
……こくん。
大きく頷くと、風子は目を閉じたままタカタカと走っていった。
ふぅ、今度もなんとかクリアしたか……。
俺は安堵の息を吐くと、階段を上がって二階をまわり、三階へと向かった。
*
……。
旧校舎三階。俺はある教室の前で足を止めていた。
……演劇部。
少し気になった。
ドア越しに中を覗いてみる。
……誰もいない。
……。
『岡崎さんだから、声をかけられたんです』
『えへへ……』
不意に古河の笑顔が思い起こされた。
先日のおまじない――自分に想いを寄せている子がわかるおまじない――の結果は、この笑顔だった。
そして今、女子ふたりといい風子といい……おまじないの流れは先日のそれと酷似している。
と、いうことは……
「岡崎さんっ」
「ぐあ……」
予感的中! 話しかけられた……。
ぎぎぎ……と声の方に顔を向けると、予想通りというか……そこには古河の姿があった。
「びっくりしました。誰かいるって思ったら、岡崎さんでした」
「あ、ああ……俺で悪かったな」
「違います、違う人を期待してたわけじゃないです」
古河はぷるぷると子犬のように首を振ると……
「岡崎さんでよかったです。えへへ……」
そう言って、頬を朱に染めながら照れ笑う。
これ、先日のおまじないとまったく変わらない気がするんだが……。
「頑張ってるみたいだな」
誰もいない部室に目を向ける。
以前、古河と一緒に見たこの教室は乱雑に積まれたダンボールで埋め尽くされていた。
演劇部は廃部になっていた。部室であるはずの教室は物置になっていたのだ。
だが次に俺がこの教室を見た時には、あれだけ積み上げられていたダンボールはひとつ残らずなくなっていた。
きっと古河がひとりで片づけたのだろう。
「今日も演劇の練習か?」
「はい。今日は掃除当番でしたので、遅くなってしまいました」
今にも雨が降り出しそうな雲行きだったあの日、古河はこの部室でひとり演劇の練習をしていた。
目を閉じ、胸に手をあて、何事か喋っていた。
その姿を見て、俺は安心してその場を立ち去った。
ひとりで演劇部を再建したんだ……と。
「演劇部、再建できてよかったな」
「え? 再建、といいますと?」
「おまえが建て直したんだろ」
「あ、いえ……」
古河の表情が曇った。目を伏せ、うつむいてしまう。
「これは、その……勝手にやっちゃってます」
「勝手に? だったら部として認められないぞ。それでもいいのか?」
「それは……部として認めてほしいですけど……」
古河が顔をあげる。
その顔は、あの坂の下で出会った時と同じ……不安な表情だった。
――この学校は、好きですか?
――わたしはとってもとっても好きです。
「でも、演劇をしたい人は……もういないんだと思います」
――でも、なにもかも……変わらずにはいられないです。
「だから、なくなったんだと思います」
――楽しいこととか、うれしいこととか、ぜんぶ。
――ぜんぶ、変わらずにはいられないです。
「なので、今さらわたしひとりのわがままで演劇部は作れないと思います」
――それでも、この場所が好きでいられますか?
…………。
古河の言葉が悲しかった。
気持ちが体にも表れてしまっているのか、背中に何かがのしかかったような重みを感じて肩を落とす。
「そうかもしれないけどさ……」
動揺が声に出ないように冷静を装って言った。
「でも、やってみないとわからないじゃないか。演劇、おまえは好きなんだろ?」
「はい、好きです……夢でしたから」
夢……。
不意に春原から聞いた話を思い出した。
『迷宮の奥深くに異世界へと通じる扉があって、そこへ行けばどんな願いも叶うって言われてるんだ』
こんな……それこそ夢のような話を信じているわけじゃない。だが……
願い、か……。
……。
「古河、おまえの願いはなんだ?」
ぶしつけに訊く。
「願い、ですか……?」
「演劇部だよ。叶えたいか」
「あ、はい。それは、もちろんです」
「じゃあ俺が叶えてやるよ。期待せずに待っててくれ」
俺は軽く手を上げると、演劇部室を後にした。
自分でもなぜこんなことを口走ったのか、よくわからない。
ただ、古河の願いを叶えてやりたい……そう思っただけだ。
だったらなぜ、俺はあの時――古河が演劇部を再び作ろうと決意した時――手伝ってやらなかったのだろうか。
演劇部に入部せずとも、手伝うという選択肢はあったはずだ。
面倒事に首を突っ込みたくなくて手伝わなかった。確かあの時はそんな感じだった。
……だったらなぜ、その後も部室の様子を気にしたりしたのか……。
自分の行動が矛盾しているような気がしてくる。
なんか足取りが重くなってきた。
「あのっ、岡崎さんっ」
重い足を引きずりながら自問自答を繰り返していると、俺を呼び止める古河の声がした。
たとたとと後ろから足音がする。
俺は足を止めて振り返った。
「なんだ? 説明するのは面倒なんだ。おまえは演劇部復活を祈っててくれ」
「いえ、そうではなくて……」
古河は俺の後方に目を向けて言った。
「その子を保健室に連れていくのでしたら、わたしもお手伝いします」
その子?
振り返ってみる。
……誰もいない。
「岡崎さん、後ろです」
古河の言葉を受けて振り返る。
目の前に古河。
……ほかに誰もいない。
「あの……後ろです」
古河の奴、俺をからかってるのか……。
いや……さっきから何か妙だ。何かが背後にいる。そんな気配がする。
さっき急に背中が重くなったりしたのは気のせいじゃなかったのか。
「後ろっ」
「と見せかけて前っ!」
「と思ったが後ろ……ではなく前!」
「あ……」
軽くフェイントをかけてみると、目の前に小さいのがいた。
こ、こいつは……
「ヘンな人に見つかってしまいましたっ」
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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!
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♪後書き
そんなわけで#3です。
パーティーメンバーについて最初からずっと悩んでましたが、おぼろげながら全体の流れは決まってきた感じです。
こんなスローペースでいつになったら冒険できるんだよっ!という現実問題からは逃避しております。RPGでもよくあるよねっ? キャラクターメイクに時間がかかりすぎてなかなか冒険に出られないことが。
今回は気づいたらぷちシリアス風味にもなってましたが、楽しんでもらえれば幸せです。