「……おとうさん」
ゆさゆさと身体が揺さぶられている。
「おとうさん……」
寝返りを打っても、しばらくするとまた揺さぶられる。
今日は確か……日曜、それに仕事も休みだ。公休日ではないが、もともと公休であっても作業日程によっては出勤することも多い。そのため曜日の感覚が狂いがちで、油断していると今日が何曜なのかすら忘れてしまう。
慣れた仕事とはいえ、昨日は九件もの仕事を片づけなければならなかったためさすがに疲れたが、家に帰って妻や娘たちの顔を見ればそんな疲れも吹き飛んでしまう。
俺は今、間違いなく幸せなのだろう。
「お父さんっ」
布団の中で幸せを噛みしめていると、勢いよく身体の上にのしかかられる。結構重い。
こうやって俺の娘も知らぬ間にすくすくと成長していくんだな。これも愛か……。
俺は観念して身を起こし、愛娘を抱擁した。言葉通り、その名前もまさしく『愛』という。
「愛も大きくなったな……」
抱き寄せて頬と頬を合わせる。
目に入れても痛くないという言葉を、俺は改めて実感していた。
「お父さん、寝ぼけてはいけません。愛ちゃんはあっちです」
指差す先、ベッドの脇で俺の寝間着の袖を引っ張っている娘がいた。心なしか少し拗ねている様子だ。
だったら俺が今、抱擁&頬擦りしている相手は……
「お父さん、今日は待ちに待ったお休みですので早く風子たちと遊びましょう」
妹だった。
♪Love&Papas
「いい加減、俺のことを『お父さん』と呼ぶのはやめないか?」
家族四人でテーブルを囲む、いつもの朝の風景。
俺はおかわりの茶碗を公子から受け取りながら、そう話を切り出した。
「やっぱり祐介さんはお兄ちゃん属性ですか」
「そういうことじゃない。紛らわしいだろう」
「わけわかんないこと言って祐くんを困らせちゃダメでしょ、ふぅちゃん」
「でも風子、現実を認めたくないんです」
「どういうことだ?」
「風子、愛ちゃんにはいつも『お姉ちゃん』と呼ばれてます」
黙々と食事を続ける愛のほうに風子は顔を向ける。
愛はたどたどしい箸使いでご飯を口に持っていき、よく噛んでから飲み込む。そして一度ちゃんと箸を置いてから答えた。
「うん、ふうこおねぇちゃん」
相変わらず俺の娘は可愛い。その様子を眺めているだけで頬が緩む。
「ですが現実は残酷です。本当は風子、愛ちゃんのお姉ちゃんではありません。戸籍上では叔母さんですっ!」
「そりゃ確かに」
「あんまり実感湧かないけど、ふぅちゃんもそろそろいい年なんだよね」
「そろそろとか言わないでくださいっ。風子、まだまだヤングチームです。学校でも演劇部のマスコット部長として部員のみんなに可愛がってもらってます」
確かに風子はまだ学生なんだが、「おい、そこの娘」と呼ぶには無理がある実年齢だ。そんな年齢なのに学校や公園で子供たちに馴染んでしまえるのは、その幼い外見と言動があるからにほかならない。
公子が言うには昔の風子はかなりの人見知りだったそうだが、俺の知る限りその面影は見られない。学校へもう一度通うことを決めたのも風子自身だし、その学校でも友達を誘って部活を始めるほどだった。
「それに風子はキラキラ星から来た宇宙人でハタチ以降は一年ごとに年が若返っていくので、今はまだ青春真っ盛りの15歳ですっ!」
口元に米粒をつけた風子が言葉を続ける。15歳を自称しても違和感ないのが恐ろしい。
「またわけわかんないこと言ってる……」
相変わらず突拍子もない風子の言葉に、公子は呆れた様子でため息をつく。
俺にとっては可愛い妹だし、風子の奇行にも今の生活にもだいぶ馴染んできたつもりだが、公子の気苦労は絶えないらしい。
「そんなわけですので、愛ちゃんのお姉ちゃんでいるためにも、風子、祐介さんの子供になることにしました。祐介さんはお父さんです」
「どんだけでかい子供だ……」
さっきの詐称年齢から考えてもぎりぎりだ。
「それだとお姉ちゃんもお母さんになっちゃうんだけど、それでもいいの? ふぅちゃん」
「問題ありません。特に違和感ないです」
「もしかして私、そんなに老けてみえるの……?」
なぜ俺のほうを見る?
「い、いや、そんなことはない」
「でも私たちが初めて逢った時、祐くんまだ高校生だったし……」
しゅんとしてしまう公子。
もしかして気にしてたのか……。
「さっき風子が言ったのはそういう意味じゃないだろう」
手を伸ばし、風子の口元についたままの米粒を取ってやる。
その様子を見ていた愛が、自分の口元にわざと米粒をつけていた。子供らしい対抗心に頬が緩むのを感じながら、その米粒も取ってやる。
「風子にとって公子は母のような存在だったということだ。そうだろ? 風子」
「はい、お父さんの言う通りです。おねぇちゃんは風子にとってお母さんみたいなものです」
「だから、俺をお父さんと呼ぶな……」
長い間ふたりで暮らしてきた仲の良い姉妹。年は離れていても、風子にとって姉は一番身近な存在だった。
公子は何かを思い返すように目を閉じると、最愛の妹に笑顔を向ける。
「……ありがとう、ふぅちゃん」
「どういたしまして。ご理解いただけたようなので、これからはおねぇちゃんのことを『お母さん』と呼んでいいですか」
「ダメ」
*
「窓の戸締まりも完了しましたっ。アリ一匹入れません。つまり、この家は密室です!」
「愛ちゃん、水筒はちゃんと持った?」
「うん」
「よし、じゃあ出発だ」
朝食を終えてしばらくのんびりした後は、家族全員で家を出る。
日曜日に休みが取れた時は、揃って遊びに出かけるのが俺たち家族の習慣だった。
「さて、今日はどこに行く?」
「風子、ハンバーグが食べたいです」
「いきなり昼食の話か……」
「ふぅちゃん、お昼にはまだ早いでしょ?」
振り向いた風子がぴたりと動きを止める。
「……匂いがします」
「…………」
「みんなノーリアクションですっ!」
「だってふぅちゃん、またわけわかんないこと言うでしょ?」
「そんなことはありません。いつだって風子は単純明快です。なので風子、行ってきます」
「ちょ、ちょっと、どこ行くのっ、ふぅちゃんっ」
急に走り出した風子を全員で追う。相変わらず名前の通り、風のような子だ。
風子を追って角を曲がったところで、俺たちと同じように子供と手を繋いで歩く男女の姿が見えた。
「汐ちゃん、発見ですっ」
風子がその後ろ姿に飛びつく。
「親父ディフェンス!」
それを身を呈して庇う男がひとり。
「んー! なんで邪魔するんですかっ!」
「いきなり後ろから飛びかかってくるな。危ないだろ」
「渚さん、こんにちは」
「はい、ふぅちゃん、こんにちはです」
「こら、無視するな!」
前を歩いていたのは岡崎家の面々だった。
「先生たちもお揃いでこんにちは」
「こんにちは、渚ちゃん」
女性陣の挨拶を尻目に岡崎が寄ってくる。
「ちっす。ご家族でお出かけですか」
「おう、岡崎も同じようだな」
「ええ、休日の日曜は実家に顔出すのが渚の両親との約束なんで」
「そういえばおまえ、日曜は公休日だったな」
「はい。でも先週の日曜は忙しくて休めませんでしたから、渚の父親が『仕事場まで行く』とか言い出しまして……」
「面白い親父さんじゃないか。おまえ昔、あの人のことをドラマーだとか言って仕事場まで引っ張ってきたこともあったよな」
「そっ、そのことは忘れてくださいよ!」
十字路を右に曲がったところで、どちらからともなく道端の電柱へと自然に目が行く。そしてその上に設置された街灯、そして張り巡らされた電線へと視線が上がっていく。
仕事をしていない時でも自分が担当した場所でなくても、こうやって無意識に設備を点検してしまうのは、一種の職業病みたいなものだろう。
「……昨日は親方とジョニーさんが休みだったから結構キツかったっすね」
「まあな。だがおかげで俺も今日は休みが取れたからな」
「予報では当分雨も降らないみたいですし、来週中には一段落つくんじゃないかと」
「ああ、スケジュールに関してはおまえに任せる」
「わかりました」
岡崎は俺が今の仕事に引き入れたようなものだ。パートナーとしてずっと一緒に働いてきた。
だから今、こうして親方の補佐として立派に働いているこいつの姿を見ていると、自分のことのように嬉しかった。無論口に出したりはしないが。
「汐ちゃん、風子の妹になりませんか」
「うーん……」
休日だというのに俺たちが仕事の話をしていると、風子が汐ちゃんに背後から負ぶさるようにして抱きついていた。
「こらこらっ、まだ諦めてなかったのか、おまえ」
「人間、諦めたらそこで終わりです」
「言ってることは正しいが……なんだろうな、このおまえにだけは言われたくねぇって気持ちは」
「それが愛です」
「ありえないからな」
汐ちゃんは風子に抱きつかれたまま、愛と手を繋いで歩いていた。年も近く、赤ん坊の頃から一緒にいることも多かったふたりは、まるで本当の姉妹のように仲が良い。
そんな娘ふたりを見ているだけで、俺と岡崎の父ふたりは頬を緩めてしまう。汐ちゃんにおんぶお化けのように抱きついている風子は、頬どころか顔全体が緩みきっている。
「先生たちはどちらまで行かれるんですか」
「うーん、特に決めてないけど……」
俺たちのように頬を緩めたりはしていないが、いつも以上に優しい顔になっている母ふたりが顔を見合わせる。
「風子、汐ちゃんと公園で遊びたいです」
「あいも、しおちゃんとあそびたい」
「うんっ、遊ぶ」
風子を皮切りに次々と挙手する娘たち。どうやら今日の行き先は決まったようだ。
「じゃあ渚ちゃんたちとご一緒しましょうか」
「そうだな」
*
「それじゃ、わたしたちはお父さんとお母さんに会ってきますので」
公園のすぐそばにある渚さんの実家にさっそく挨拶に向かった渚さんと公子を見送る。
「あいちゃん、きょうは砂のおうちを作りたい」
「うん、いっしょにつくろっ」
愛と汐ちゃんはふたり手を取り合って砂場へと駆けていく。少し遅れて岡崎もふたりについていった。
残された俺に、風子が胸の前でぐっと拳を握って詰め寄ってくる。
「ではお父さん、今日は風子と勝負です」
「ほう……それで、逆上がりくらいはできるようになったのか?」
「当然です。できるどころか三回転半くらいしてしまいます」
三回転はともかく、半ってのはなんだ?
そんな俺の疑問をよそに、風子が鉄棒に向かう。
…………。
「いかがでしたか?」
「普通に一回転だな。でもまぁ、できるようになったじゃないか」
「次はお父さんの番です」
「わかった。まぁ見てろ」
鉄棒を逆手で握り、軽く勢いをつけて前に踏み出した。
「どうだっ!」
ぐるりと世界が回る。一回転、そして二回転目……
「ぐおおおっ!」
地面に頭をぶつけた。
「いつつ……鉄棒が低すぎたか……」
「風子の勝ちです」
「こら待てっ、俺は一回転半したぞ。おまえは一回転だろう」
「いいえ。風子は一回転コンプリートですけど、お父さんは一回転ゲームオーバーです」
「意味わからん……」
判定基準が適当な風子ジャッジで俺の負けになってしまった。
「次はブランコで勝負です」
「よし」
俺たちは意気揚々とブランコに向かった。
………………。
…………。
……。
「芳野さーん、愛ちゃんが絵を描いたからお父さんに見せたいって言ってますよー」
一通り勝負を終えてベンチに座ったところで、愛と汐ちゃんを見守っていた岡崎から声がかかる。
「おう、そうか。今行く」
砂場の近くに座っている愛たちのほうへ向かう。
愛と汐ちゃんがさっきまで遊んでいた砂場には、大きく盛り上がったドーム状の家が完成していた。えらく未来的な家だな。
「ふたりとも、立派な砂のお家を建てたな。それで、次はお絵かきか」
ふたりは座り込んで地面に向かい、絵を描いていた。どこからか拾ってきたのか、その手には棒切れが握られている。
「おとうさん、これ」
「おお、愛はお母さんに似て絵がうまいな……って、これ、まさかヒトデか?」
「ヒトデと聞けば即参上っ!」
瞬時に風子が寄ってくる。
「ヒトデに関しては風子うるさいです」
風子は地面に落ちていた棒切れを手に取り、いつもの理屈っぽいのかアホっぽいのかよくわからないヒトデ理論を愛に説明しながらヒトデの絵を描いていく。
「さて、汐ちゃんのほうは……」
汐ちゃんが描いていたのは、丸? にしては中に線があるが……。
そんな円形のものを次々と描いていっている。
「汐ちゃん、これは何かな?」
「だんご大家族」
「しおちゃん、とても上手ですっ」
いつの間にか渚さんまで寄ってきていた。
「だんご大家族は大家族ですから、ママも一緒に描きますっ」
渚さんも地面に落ちていた棒切れを手に取り、娘と同じように円形のものを描いていく。
「だんごっ、だんごっ」
「ヒトデっ、ヒトデっ」
見る見るうちに周囲の地面が星形と円形のもので埋め尽くされていく。
「よし岡崎、俺たちはスパナを描くぞっ」
「いや、なに対抗してるんすか……」
*
しまいにはプロの公子まで参戦してきた白熱の絵描きバトルが終了し、岡崎とふたりベンチに座る。娘たちはまだまだ元気な様子で遊び続けていた。
「以前から思ってたんすけど」
「なんだ?」
「愛ちゃんたちと遊んでる時の芳野さんって、すげぇテンション高いっすね」
「マジか……」
あまり意識していなかったが、周りからはそう見えるのか……。汐ちゃんが生まれたばかりの頃と比べ、幾分か落ち着いたように見える岡崎に言われるとショックも大きかった。
「父親としてはおまえより後輩だからな。娘の前で愛を叫びたくなるのも当然だ」
「そ、そんなもんなんですかね。なんか芳野さんが後輩とか言われると不思議な感じがします」
「それよりどうだ、おまえもそろそろ父親の自覚ってやつが持てるようになってきたんじゃないか?」
「父親の自覚、ですか……。仕事を頑張れるのは渚と汐がいてくれるからってのがありますけど、汐のことはほとんど渚がやってくれてますし、俺なんて親としてはまだまだっすよ」
「それは家族愛だな」
「え、ええ、まあ。……けど、時々怖くなるんですよ。汐が生まれたあの日、結局俺は祈ることしかできなかった。苦しんでる渚の手を握ることしかできなかった。汐が無事生まれたのは、渚の母としての強さがあったからだと思ってます」
渚さんは出産当時、持病を患っていて、母子共に危険を伴なう出産だったと聞いている。確かにそれを乗り越えたのは母の強さ……愛だろう。
「昔、芳野さんにも言われましたけど、俺は渚……それに汐がいないとダメな人間です。どちらが欠けてもダメなんです。だから、俺が夫として父として自覚を持てるとしたら、渚と汐がいつもそばに居てくれるおかげです」
敢えて口にはしなかったようだが、岡崎の恐れていることは想像がつく。俺と公子も目を覚まさない風子を見守り続けていた数年間、そんな恐怖がなかったわけではない。
「あ、でも汐から『パパ』って呼ばれるたびに、あぁ……俺、こいつの父親なんだな、って、改めて思うんですよ」
黙り込んでいる俺に気を遣ったのか、岡崎は明るい調子でそう言って、愛や風子と一緒にシーソーで遊んでいる汐ちゃんを優しい目で見つめる。それは紛れもなく、父親の目だった。
「最近は渚まで俺のこと『パパ』って呼ぶんすよ。なんか照れくさくって」
「いいじゃないか。俺なんか風子にまで『お父さん』と呼ばれてるんだぞ」
「そりゃキツイっすね、ははっ」
ふたり顔を見合わせて笑う。
「パパー」
「おとうさーん」
娘たちの呼ぶ声。
「おうっ」
俺と岡崎はそれに応えて、仲良く遊ぶ娘たちのもとへと駆けていった。
――終わり。
-----
感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!
---
♪後書き
今回はLittle Snowで軽く触れた芳野家と岡崎家の休日の過ごし方を書いてみました。汐騒に登場した愛ちゃんも少々。
芳野さん一人称は難しかった。朋也と一緒にCDのタイトルを考える場面や、汐シナリオで風子と遊んでいる場面の「どうだ、うわっはははーっ」が芳野さんの素顔だと思ってるので、こんな感じになりました。ほのぼのしてもらえたら嬉しいよっ!