部活動に向かう生徒たちで賑わっている放課後の旧校舎。

ここが「旧校舎」と呼ばれるようになってから、かなりの年月が流れていた。かつて新校舎と呼ばれていたのも今は昔の話だ。

放課後特有の騒がしさに包まれている校舎の中でも、三階は人通りも少なく閑散としていた。部室に割り当てられた教室よりも、空き教室のほうが多いからだ。

三階の東側、空き教室の続く突き当たりに、ひとつの部室があった。すっかり塗装の剥げてしまった扉には『演劇部』と書かれたプレートが掛けられている。

外見だけでなく中もボロい演劇部室には、ひとりの小柄な少女がいた。錆びついた椅子に座って、古びた机に向かっている。

その少女の名を、岡崎汐といった。

汐騒

演劇部の部長である汐は、今年の創立者祭で公演する劇の台本の執筆に追われていた。

「今年は最後なんだし、最高の劇にしたいな……」

シャーペンを指の上でくるくると踊らせながら、汐はこれまでの高校生活を思い返す。

汐が入学した当初、この高校に演劇部は存在しなかった。部員がいなくなり、廃部になってしまったからだ。

彼女の母であり、この学校の卒業生でもある岡崎渚(旧姓古河渚)が一度は演劇部を復活させたが、それも一年限りで再び廃部になってしまった。

その後、汐の姉を自称する伊吹風子が復学した際に再び演劇部を復活させたが、それも風子が卒業するまでだった。

幼い頃からその話を聞いていた汐は、この学校で自分が為すべきことを心に決めていた。

演劇部の復活。ただそれだけを目指して長い坂道を登り続けた汐は持ち前の行動力で事を成し遂げ、一年後、ついに演劇部を復活させることに成功する。

そして、記念すべき演劇部最初の舞台。創立者祭の演目は『Alive』

長い旅の終わり。世界の果てで少女はガラクタ人形と共に唄を歌う。

たくさんの光たち、獣たち……そしてガラクタ人形。みんなの思いがひとつになった時、凍りついていた少女の時間が再び動き出した。

そして少女は世界を旅する。無数の光と共に。

自らの足で、少女は歩き始めた。果てしなく続く、長い、長い旅路を……。

こうして、たくさんの出会いと別れを繰り返し、今も少女はこの町にいる。

奇しくも母の……渚の演じた話を受け継ぎ、そして終わらせる物語だった。

物語は大団円で幕を閉じ、新生演劇部の公演は好評を博した。

「うーん……去年の公演より面白い話じゃないといけないけど、人数の問題もあるし……」

思いに耽っているうちに体の前まで垂れ下がってきた長い髪を軽く手で後ろに払う。母譲りの美しい色艶の髪は、薄い水色のリボンで束ねられていた。

母から……厳密には父方の祖母から受け継いだそのリボンは、元は海のような濃い青色をしていたという。時の流れと共に色褪せてしまったが、汐にとっては大切な……お気に入りのものだった。

「よし……」

汐は表情を引き締めて机に向かうと、親譲りの集中力を存分に発揮して、間を置かず台本作りに没頭していった。

「汐さんっ!」

汐が台本に向かい始めてから少し後、ガタガタと音を立てて建てつけの悪い引き戸が開かれ、ひとりの女生徒が慌てた様子で部室に入ってきた。

肩のあたりで綺麗に切り揃えられた髪。おっとりとした顔立ち。汐とタイプは違うが可愛らしい少女だ。

制服につけられた校章の色から2年生であることが判別できる。汐の後輩にあたる演劇部員だった。

「大変ですっ!」

「……」

「大変ですってばっ」

「…………」

部室へ駆け込んできた女生徒の声も、台本書きに集中している汐には届かない。

長年の付き合いからそれをよく知っている女生徒は、すぅっと大きく息を吸って部長の耳元に顔を近づける。

「聞・い・て・く・だ・さい!」

「わあっ!」

汐は驚きのあまり、飛び上がるほどの勢いで両手を挙げる。その手にあったシャーペンが宙に放り出されたが、女生徒が見事にキャッチしてみせた。

「なんだ、愛ちゃんか……。どうしたの?」

「これ書いたの、汐さんですかっ?」

愛ちゃんと呼ばれた女生徒は、汐に一枚のポスターを突きつける。

演劇部の部員を募るそのポスターには、色とりどりの丸い物体がひしめき、ポスター全体を埋め尽くしていた。

「だんご大家族に何か問題でも?」

「それはそれで大いに問題ですけど……それより問題なのは、この煽り文ですよっ!」

指差す先には綺麗な字で『校内一の美少女部長と、校内でも指折りの美少女部員たちがお待ちしております』と書かれている。

「本当のことじゃん」

「何言ってるんですかっ! こんなの誇大広告ですよっ、JAROに訴えられますっ」

「愛ちゃんはもう少し自分の容姿に自信持ったほうがいいよ」

「い、いえ、私なんて……ってそうじゃなくてっ!」

頬を赤く染めて照れたと思ったら、わたわたと両手を振って慌ててみせる。忙しい子だった。

「下心見え見えの男子がいっぱい集まっちゃってるんですってば!」

「ありゃ、そんなに? 案外単純なんだなぁ」

顎に手を当てて少し考え込むと、汐は愛へ向けて親指を立ててみせる。

「よし、その件は愛ちゃんに任せた!」

「なっ……! なに爽やかに指立ててるんですかっ! 嫌ですよ、私っ」

「しょうがないなぁ……」

本気で嫌がっている愛の様子を見て、汐は渋々席から立ち上がると、入部希望者が集まっているという同じ階の空き教室へと向かった。

「お待たせっ」

「やっと来たわね……」

「岡崎先輩、遅いですよぉ~」

汐が空き教室の引き戸を勢いよく開けると、そこには多数の男子生徒と、それと相対するように教壇に立っている二人の女生徒がいた。

一人は汐と同じ3年生で、小柄な汐に比べると背は高め、髪を両サイドに束ねたキツそうな印象を受ける女生徒。もう一人は間延びした喋りの2年生で、髪を三つ編みにしていて、おとなしそうな印象の女生徒。

演劇部員総勢四名。汐が豪語したように、全員が校内でも指折りの美少女と呼ぶにふさわしい容姿だった。性格はいざ知らず。

そして、ポスターの甘言に釣られてぞろぞろとやってきたのが、溢れんばかりに空き教室内を埋め尽くす男子生徒たち。いずれも1年生だった。

表向きは演劇部入部希望者なのだが、本当のところは愛の言うように「下心見え見えの男子」なのだろう。

その証拠に、教室の中へ入ってきた汐と愛に向けて無遠慮な視線が投げかけられ、浮ついた声まで聞こえてきている。

「う、汐さん、なんとかしてください……」

愛はその視線に耐え切れず、汐の背に身を隠す。

汐は多数の無粋な視線に晒されても動じることなく、人差し指をぴんと立ててひとつの提案をした。

「よし、勝負しよう」

「……は?」

「あたしたちと勝負して、勝てた者を演劇部員として採用するッ!」

「な、何言ってるんですかっ」

「まーた岡崎のわけわからん思いつきが始まった……」

「あたし"たち"って、わたしたちまで巻き込まないでくださいよ~」

部員からブーイングが上がるが、汐は一度決めたことを曲げるような人間ではなかった。

「なんでもいい。あなたたちの自信があるもので勝負よっ!」

こうして、演劇部員vs.入部希望者の闘いの幕が上がった!

入部希望者たちが提案したもので勝負をして、演劇部員に勝った者のみが入部できる。普通に考えれば自分の得意分野を提案すれば圧倒的に有利なはずだった。

だがその相手が悪かった。演劇部の先鋒が、本来は大将であるはずの汐だったからだ。

汐は運動部顔負けの身体能力でスポーツ分野を提案した者たちを打ち負かし、勉学の分野を提案した者たちも、この年にして五ヶ国語を駆使し、小学生時代に世界一周した際、出会った女性の教えを受けて量子力学やら理論物理学やらの研究をしている汐にかなうはずがなかった。

遊びの分野を提案した者たちは言うまでもない。母方の祖父と幼い頃からいろいろな遊びを極めてきた汐にとっては一番の得意分野と言えよう。

だが汐の破竹の勢いは、ある男子の提案によって崩された。

「絵を描くことなら自信あるんで、それでお願いします」

「ぐあ……」

新たな挑戦者である男子の言葉を聞き、これまで様々な分野で軽々と男子を打ち破ってきた汐が初めて呻き声をあげた。

そう……岡崎汐は、自画像をカレーライスと間違えられた母・岡崎渚と、自画像をキャッチャーミットと間違えられた父・岡崎朋也の一人娘なのだ。

先天的な才能にマイナスが大きすぎて、いくら光を受け継いだ汐と言えどもそれを補い切ることはできなかった。要するに絵がすごくヘタ。

「愛ちゃん、タッチ」

「……え?」

追いつめられた汐は、最終手段に出た。

そう……愛ちゃんこと芳野愛は、元美術教師である母・芳野公子と、元ミュージシャンである父・芳野祐介の一人娘なのだ。

その芸術的才能を色濃く受け継いだ愛にとって、絵を描くことなどイージーオペレーション……いわゆる朝飯前というやつだった。

「描けましたっ」

「おおっ、さっすが愛ちゃん!」

その後も、愛と残り二人の演劇部員の手によって入部希望者の男子たちはことごとく敗れ去り、結果として入部希望者は全員が敗北、「なんでこんな人たちが演劇部なんだ……」というぼやきを残しつつ、沈んだ様子で空き教室を出ていった。

見事、入部希望者全員を打ち負かした演劇部の面々。しかし彼女たちは重大なことを忘れていた。

それに気づいた三つ編みの女生徒が、遠慮がちに口を開く。

「あのぉ~、入部希望者を全員追い払っちゃったら、部員が足りなくなるんじゃないですか?」

「あ……」

盲点だった! 汐ともう一人は今年卒業。その後に残される演劇部員は二人。この学校では部活動に最低三人の部員が必要だ。

事の重大さに気づいて苦笑いを浮かべていた汐は、窓から差し込む夕日の光に目を細めながら、部長らしく部員たちを鼓舞してみせる。

「坂高(ざかこう)史上最高の廃部回数を誇る演劇部だけど、そのたびに不死鳥のごとく蘇ってきた……。今度もきっと大丈夫っ」

「それって廃部確定みたいじゃないですかっ!」

演劇部の副部長である芳野愛は鋭くツッコミを入れると、部長になるであろう未来を憂いて深いため息をついた。

――終わり。

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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

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関連SS

後書き

光の恩恵もあって完璧(パーフェクト)超人と化した汐の成長後を妄想してみた。

「光見守る坂道で」を読むまでは、汐シナリオ世界の汐は活発な性格、トゥルーエンド世界の汐はおしとやかな性格……と分岐する想像をしてたんだけど、どう考えてもトゥルーエンド世界も活発な性格でした。杏の影響からか、一人称も「あたし」だし。

"完璧"も度が過ぎると拒否反応を起こすので、独自設定として大きな欠点を追加して中和を図ったのですが……それがうまくできていたかはわかりません。

あとは芳野さんと公子さんの娘、というありがちなオリジナルキャラの愛ですが、芳野さんは娘に『愛』って名前をつけそうだなぁ、と。それだけ。

学年が汐のひとつ下、というのに違和感がある人もいるかも。汐シナリオ世界と違い、トゥルーエンド世界では朋也が「奇跡はこれからたくさん起こるのだろう」と感じたあの日(汐が無事生まれた日)に風子は目覚めた……と私的には妄想してます。

トゥルーエンド後世界の私的脳内妄想をこれでもかと盛り込んでますが、楽しんでもらえれば幸せだっ!