長いトンネルを抜けると、そこは雪国でした。

……いえ、実を言うと雪は降っていませんし、積もってもいません。

ちょっと詩的な表現をしてみたかっただけです。

ですが、ここが北国であることは事実です。

がたんごとん、とゆっくり進む列車の音。題してカントリートレインです。

車窓から見える町の風景。初めて見る景色が、風子の冒険心を刺激します。

そして開けた窓から吹く風が、今の季節にぴったりの穏やかな陽気を運んでくれます。

今月のはじめ、風子はあの学校を無事卒業しました。

卒業証書に『スカ』と書いてあって卒業できなかったらどうしようかと少し不安でしたが、ヘン崎さん（風子命名、ヘンな岡崎さんの略称です）の言うことはやっぱり嘘でした。最悪です。

やるべきことや、やりたいこともすべてやり終え、悔いのない高校生活でした。

そして春休みの今、風子は故郷の町を飛び出し、冒険の旅に出ています。

出かける前、おねぇちゃんにまた「大丈夫？」などと心配されてしまったのですが、そこは風子の大人っぷりを披露することで説得しました。さすがのおねぇちゃんも思わずため息をつくほどの説得力です。

そんなこんなで風子の卒業旅行冒険記、はじまりますっ！

「どうかしたんですか？　さっきからそわそわしてますけど」

流れていく町の景色を眺めていると、隣の席から声がかかりました。

旅に同行している風子の後輩で三代目演劇部部長、芽衣ちゃんです。風子が3年の時にスカウトした綺羅☆（←実はヒトデです）のように光輝く逸材で、風子の卒業後も芽衣ちゃんがいれば演劇部は安泰です。

「そわそわしてません。どちらかというと風子、わくわくしてます」

「ふぅん……わくわく、かぁ。どきどきじゃなくて？」

「どきどきもしてないです」

実はこの芽衣ちゃん、風子の先輩である春原さんの妹さんだったことをあとになって知ったのですが、これも何かの縁なのでしょう。

その縁もあって、この旅行では芽衣ちゃんの実家に泊まらせてもらうことになりました。宿泊代が浮いてラッキーです。

「おねえちゃんって、あんまり緊張とかしないタイプなのかなぁ」

「そんなことはありません。こう見えて風子、いつでもどこでも気を張っています」

「それ、緊張って言うんですかねぇ……」

最近は風子のことをなぜか「おねえちゃん」と呼ぶようになった芽衣ちゃんですが、これは風子の大人の風格に参ってしまっているのでしょう。先輩風をぴゅーぴゅー吹かしまくっていた頃のヘン原さん（風子命名、髪の色がヘンな春原さんの略称でした。その後、髪の色がヘンじゃなくなったので今は『春原さん』と呼んでいます）とは大違いです。

「あ、おねえちゃん、そろそろ窓閉めないと」

「わっ！」

ぶおんっ！と耳を切る勢いの大きな音にびっくりした風子は、思わず座席を飛び出して通路側にまで緊急避難してしまいました。

「またトンネルですっ」

「ここらへん、トンネル多いですから」

「真っ暗でつまらないです」

ですが、このトンネルを抜けたら今度こそ雪国が待っているかもしれません。

そう思いなおし、風子は席に戻って窓を閉めました。

「…………」

ぶぉぉーーっというトンネルの音（？）がずっと続いています。今度も長いトンネルみたいです。

窓を見ても、そこに映っているのは風子の顔だけでした。

「……」

ささっと髪を整えてみました。

「あれぇ～？　おねえちゃん、何してるんですかぁ？」

芽衣ちゃんが、にやにや笑いながら風子の顔を覗き込んできます。

何か勘違いしているようなので、風子はびしっと言いました。

「前髪のポジションが気に入らなかっただけです」

「ふぅーん？」

隙のない風子の反論に、ぐうの音も出ないようです。

「二年ぶりですもんねぇ、会うの」

「そうです。その間に背も伸びました。風子、ずっと子供扱いされてきましたけど、今度はぎゃふんと言わせてみせますっ」

「うんうんっ。おにいちゃんのこと、よろしくお願いしますね、おねえちゃん♪」

……はっ。

そこで風子は罠を察知しました。

「今の、誘導尋問ですっ」

さすがは演劇部随一の策士、芽衣ちゃんです。次期部長に就任した途端に部費をアップさせたその手腕は侮れません。

「おねえちゃん、可愛いですっ」

「風子、もう『可愛い』と言われて喜ぶほど子供じゃないです」

「おにいちゃんに久しぶりに会うのが嬉しいんですねっ」

「うれしいかどうかは定かではないですが、話したいことはいっぱいあります」

それに、さっきからすごくうれしそうな顔してるのは芽衣ちゃんのほうです。風子はポーカーフェイスですので、たとえうれしかったとしても顔には出ません。

「よし！　ここはわたしが一肌脱ぎましょうっ」

「暑いんですか」

「わたしに任せてください！　おねえちゃんとおにいちゃんの劇的な再会を演出してみせますよっ！」

演劇部時代はこうして提案してくれたことに間違いのなかった芽衣ちゃんですので、風子は黙って頷きました。

「あ、トンネル抜けた。次の次で降りますからねっ。準備しましょう！」

張り切って風子の手を引く芽衣ちゃんでしたが、なんだか必要以上に舞い上がっているみたいで逆に不安になってきました。

あ、それと、やっぱりトンネルを抜けても雪国ではなかったです。

☆

「……」

駅のホーム。

時刻表が書かれた掲示板の後ろに、風子は身を潜めていました。

なぜこんなところに潜伏しているかというと、芽衣ちゃんの作戦だからとしか言いようがありません。

実はすぐ近くに春原さんの背中が見えているのですが、芽衣ちゃんの合図があるまで出られないです。

「おにいちゃん、お迎えありがと。せっかくの休日なのに、今日はごめんね」

「別にいいって。寮にいても気が滅入るだけだしさ……」

「じゃあ今日はうちに泊まっていってよ。おにいちゃんの仕事の愚痴も聞いてあげられるよ」

「そりゃ構わないけどさ……おまえ、友達はどうしたんだよ」

「え、何？　気になるの？」

「ちげーよ！　友達連れてくるっつったのに、いなかったら普通聞くでしょっ」

友達、って風子のことでしょうか。

厳密には先輩です。春原さんみたいに先輩風をぴゅーぴゅー吹かしまくるわけではありませんが、そこはきちんと主張しておきたいです。

「ま、まさか……友達って男じゃないだろうな……」

「……え？」

「なんだよ今の間はっ！」

「いや、違う違う。予想外のこと聞かれたからびっくりしただけ」

「男ができたらまず僕に言えよ。にいちゃんがどんな奴か見極めてやるからさっ」

「はいはい」

祐介さんが風子に言ったのと同じようなこと言ってます。世のおにぃちゃんというのはそういうものなんでしょうか。

「今その子、ちょっとトイレ行ってるんだ。すっごく可愛い女の子だよ」

「マジかよっ！」

「やっぱり気になるんだ？」

「は、ははっ。何言ってんの。芽衣の友達っつったらまだ高校生だろ。僕からしたらまだガキだっての」

「ううん、先輩だし。来年から大学生」

「マジっすか！」

風子のことを話しているような、いないような……なんだか落ち着きません。

これが芽衣ちゃんの言っていた緊張でしょうか。風子、なんだかどきどきしてきました。

「あ、おにいちゃん、寝癖ついてるよ」

「えっ、どこ！？」

「可愛い子と会う前に直してあげる。ほら、しゃがんでしゃがんで」

「自分で直すって」

「いいから早くっ！」

「ちっ、わかったよ……」

渋々といった感じで、春原さんは風子に背を向けたまま前屈みになりました。

あっ！　芽衣ちゃんから目配せの合図ですっ。

さすがは演劇部きっての策士。背が伸びたと言ってもまだ風子の手が春原さんの顔にまでは届かないことを見越しての作戦。芽衣ちゃん……恐るべし、です。

これで果たして劇的な再会になるのかどうかわかりませんが、とりあえずやってみます。

「……えいっ！」

風子は前屈みになった春原さんの斜め後ろに忍び寄り、両手を伸ばして春原さんを目隠ししました。

「うおっ！　なんだ！？」

目をやられた春原さんはさすがに驚いています。

えっと、次は……どうするんでしたか。

…………。

……。

風子、忘れてしまいました。

「ぬおぉぉーっ！」

「わーっ！」

雄叫びとともに春原さんがいきなり立ち上がったことで、風子も一緒に持ち上げられてしまいました。

風子、身軽さには自信がありますけど、やっぱりこういう時は軽いほうが不利ですっ。

「おにいちゃん、落ち着いて！」

「なんだ！？　取れねぇ！」

混乱する春原さんに振り回され、うっかり手を離した風子はそのままの勢いで掲示板に激突しました。

「んーーーーっ！」

「だ、大丈夫ですか？　すぐに『だーれだ？』って言わなきゃダメじゃないですかっ」

ショックでその場にうずくまった風子の背中を、駆け寄った芽衣ちゃんがさすってくれます。

「芽衣の友達だったんすか……大丈夫っすか？」

混乱が治まったらしい春原さんも近寄ってきます。

まだ背中がひりひりしてますが痛みは治まってきたので、風子はがばりと顔を上げました。

「最悪な再会ですっ！」

「って風子ちゃんかよ！」

これが風子と春原さん……二年ぶりの、劇的な再会でした。

「こらこらっ、いいところで終わらないでよっ！」

「風子、疲れました」

「またまたぁ。そんなに恥ずかしがらないでよ、おねえちゃん♪」

「恥ずかしがってません。それと『おねえちゃん』は禁止ですっ」

「照れない照れない」

「照れてません」

芽衣ちゃんと思い出話に花を咲かせて数十分。

あれはまさに最悪の再会でしたが、今となってはいい思い出です。

「あー、いい湯だった」

当の本人がお風呂から出てきました。

「ねぇ、続き続きっ」

「いえ、もうおしまいです」

「おっ、なになに？　なんの話？」

「なんでもありません」

「あのね、おにいちゃんとおねえちゃんが――」

「わーーっ！」

芽衣ちゃんの軽い口を、両手で素早くふさぎます。

もう芽衣ちゃんとは長い付き合いになりますが、こういうお調子者っぽいところはおにぃちゃんそっくりで困ります。

「まぁいいや。次、芽衣が入るんだろ？」

「あ、うん」

「……ん？　何？　僕に何かついてる？」

じっと見ている風子の視線に気がついたようです。

「……それ、さっきまで着てた服です」

「へっ？」

「お風呂で脱いだ服をもう一度着直すのやめてくださいっ。不潔です」

「あ……いや、ひとり暮らしん時の癖でさ……」

「いいから早く着替えてきてくださいっ」

「は、はいっ！」

風子の迫力に恐れおののいたようです。そそくさと脱衣所に向かっていきました。

「さすがはおねえちゃん、尻に敷いてますね。ダメな兄ですけど、見捨てないでやってくださいね」

「いえ……風子もダメでしたので、一緒です」

風子は最近、おねぇちゃんの気持ちがよくわかりました。

だらしない家族というものは、とても疲れます。

それと同時に、とてもお世話したくもなります。

「これからも一緒に、歩いていきたいです」

いろいろと大変なこともありますが、風子は今、とても充実しています。

それが幸せなのだと、風子は思います。

――おしまい。

「朋也と渚が恋仲だった場合の風子エピローグ後」の風子と春原の話は春風の旅立ちで一段落ついたので、今回は芽衣も加えて春風アフターを想像してみました。

春原と風子は「友達」だと想像が膨らみますが、「恋人」となると途端に想像しづらくなります。意外と「夫婦」のほうが想像しやすいので、最後はそんな感じになりました。CLANNAD 10years after ～風子～の後書きに書いたような風子の成長を想像しているので、春原も同僚に写真を見せて自慢しそう。喋り方や性格はあまり変わってないから写真だけで実際には会わせないけど。